
物語が終わってみると、山形での十日間を終えて、東京へ戻ろうとするタエ子が電車に乗る寸前に言った「ごめんなさい。今度は大丈夫。もう『5年生の私』なんか連れてこないから」という台詞は、この映画終盤のキーフレーズだったことに気づく。
そもそもこの物語は、「あなたって、大変な過去を背負って生きてんのねえ(笑)」と長姉のナナ子に言われてしまう「27歳のタエ子」が、自身の「過去」(トラウマ含む)を道連れに、山形に旅することで始まる。
「私は今度の旅行に、小学校5年生の私を連れてくるつもりはなかった」
「でも、一度よみがえった10歳の私は、そう簡単に離れていってはくれないのだった」
……と、山形行きの寝台特急車内で語っていたタエ子。そんな彼女が山形入りして十日間が経った後に、「もう『5年生の私』なんか連れてこないから」と呟いて、物語が閉じられる。
この台詞は、見事にラスト・シーンと繋がっている。トシオとタエ子の二人を乗せたスバルについて行こうとする「幻の子どもたち」。しかし、彼らはスバルに追いつくことができない。これは、車内でタエ子が隣のトシオに頼んだからではないか。
「トシオさん、加速して! もっと速く走って!」
この時、タエ子は自分自身に呟いていただろう。(さようなら、小学5年生の私……)
トラウマという語を使えば、タエ子が抱えていたいくつかの「心的外傷」は、田舎という“空気”とトシオ青年の出現によって“溶けて”消えた。トシオはタエ子のトラウマを、「傷」から単なる過去の記憶にしてくれたのだ。
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またこれは、「サナギ」の物語でもある。「27歳のタエ子」にしつこく付きまとったのが、何故「小学5年生の私」だったか。これはタエ子自身が気がついていたように、それが人にとっての「サナギ」の時期だからであろう。
おそらく人にも、昆虫と同じように「サナギ」の時期があって、それが小学5~6年生、10~12歳の頃ではないか。幼年期と少年・少女期との境目、第一次性徴などフィジカルな変化もあり、また、自意識や社会性といった精神的な部分が急速に拡大する。
「青虫はサナギにならなければ、蝶々にはなれない」
「あの頃をしきりに思い出すのは、私にサナギの季節がふたたび巡ってきたからなのだろうか」
ただ、第一次の「サナギ」期は、おそらく誰もが遭遇するオトナへの通過儀礼だが、その第二期については、それがあるかどうかも含めて、個人差があるのではないか。この映画では、山形へ向かう夜行の寝台車の中で、27歳のタエ子が第二期の“サナギ症候群”に陥ったという設定だ。そして、そんな状態のまま、彼女は山形・高瀬地区で農作業を行ないつつ、小学5年生の時の「おもひで」と向き合う。
この映画でひとつ気持ちがいいのは、そんな過去や自身のトラウマについて語っていくタエ子に、「自己憐憫」の風情がまったくないことである。ねえねえ、聞いてくれる? 私って……といった慰労を求める姿勢では、彼女は自身の「過去」を語らなかった。
たとえば、エナメルバッグ~父に頬を張られた件でも、「かわいそう……」と言ったのは、それを聞かされたナオコの方で、タエ子はきっぱり、子どもの頃は「私はとてもワガママだった」とナオコに告げている。また、学芸会での好演~家族のせいでスターになれなかったという件でも、子役や芸能人には私は向いてなかったと、はっきり二人(トシオとナオコ)に言った。
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封印してきた(であろう)自身のトラウマに向き合いながら、しかしタエ子は何故、そんなに逞しくなれたか? それはやはり「田舎」の“空気”と、そこで生き物とともに暮らす(農業に従事する)人々との触れ合いが、タエ子の心身を都会にいるときとは違ったものにしてくれたからだと思う。農作業を実際にすることによる「手」の歓びというか、身体的な快感や達成感もタエ子の背中を押したはずで、タエ子はそんな「田舎」の空気の中で、自身の過去をトシオやナオコに告白していく。
印象的だったのは、タエ子がナオコと一緒に歩きながらカタツムリを見つけ、それを自分の手の甲に載せたシーンだ。東京で、たとえば会社からの帰り道。雨が降って、カタツムリが葉っぱの下に出て来ていたとしても、タエ子は気づかず、また見つけたても、それに触れることはなかったのではないか。
○フォトはweb「やまがたへの旅」より
(つづく)
Posted at 2016/09/25 21:48:52 | |
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クルマから映画を見る | 日記