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家村浩明のブログ一覧

2016年09月07日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《10》

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《10》タエ子とトシオの「縁談」は、ばあちゃん独りだけの先走りなのか。それとも、実はばあちゃんだけが「事実」を見ていたのか。この点は、この段階ではどちらとも言えないのではないか。

たしかに、タエ子とトシオは一緒に農作業をして、二人だけの蔵王デートもした。ただトシオとしては、「東京から来た若い女」を“田舎人”として、しっかり「もてなしたい」のだろうし、またタエ子にとってのトシオは、憬れの「農業世界」に導いてくれて、さらに、いろいろなことを教えてくれる。そんな“お役立ち”の青年だという気配もあった。

そもそも、トシオ、そして(縁談を言い出したばあちゃん以外の)本家の人々は、タエ子が「東京人」であるということを大前提に、彼女に接している。山形に来てはくれるが、しかし、十日もすれば、また東京へ帰っていく人ということである。

また、トシオにとってのタエ子は、秘かなアコガレの人であったのかもしれないが、もし、それを意識してしまったら、また構わず「恋して」しまったら、タエ子が東京へ帰った後は、ただ寂しく辛い時間が過ぎるだけになる。アコガレの人だから一緒にいるのは楽しいけれど、しかし、そのアコガレは、自分に対しても隠しておかねばならない(認めてはいけない)もの。これが駅でタエ子と出会って以後の、トシオの立ち位置と姿勢だったはずだ。

一方、タエ子はどうだろう? 「10歳」の頃と「27歳」の時点と、これら以外の彼女が一切描かれないので想像するしかないのだが、たとえば、いわゆる恋愛経験やその挫折は、27歳まで、タエ子にはほとんどなかったのではないか。そして、結婚という状況が身近になったことはなく、だから、それについてのリアリティもない。奨められた見合いも簡単に断わってしまう。

また、同性の友人関係だが、タエ子が十日間も東京から“消える”に際して、彼女が友だちの誰かに連絡を取った気配はない。もちろんこれは、ストーリー上で煩雑になるために、実際には何人かに先の予定は伝えていたが、たまたまそれは画面としては描かれなかっただけかもしれないが。

ちなみに「1983年」という時点では、携帯電話はまだ出現していない。(レンタルの開始が1985年からだそうだ)

そして、タエ子がナオコに語った、エナメルバッグ~父親によって頬を張られた件。また、トシオに語った分数の割り算がわからなかった件。あるいは、夕陽の中で二人に語った、学芸会での好演~劇団への誘い、その夢が父親のひと言で断たれたこと。これらを、タエ子はこれまで、友だちでも恋人でも、自分以外の誰かに語ったことはあったのか。

これは家族間でも同じで、姉(次姉)が当事者だった“エナメルバッグ事件”にしても、その後に、家族の間でこれが話題に上ったことがあったとは思えない。(同じ「小学5年生」の時の事件や記憶でも、硬かったパイナップルとか、熱海の温泉でノボセた件などは、タエ子にとっては「傷」にはなっていない。ゆえに27歳にもなれば、「あの時は……」と、姉たちと一緒に笑い話として愉しんでいる)

トラウマとは「精神的外傷」とか「心的外傷」などと訳すらしいが、エナメル・バッグ、父親の殴打、分数の割り算、また、芸能界断念といった事件や記憶は、すべてタエ子にとってのトラウマだったはずだ。そしてそれらは、思い出すことさえしないように、また簡単には記憶を取り出せないようにして、ココロの奥底に仕舞って(秘めて)おいた。

そうであったのに、何故タエ子は、そんな「過去」(トラウマ)を、山形の地で、さらには会ったばかりのトシオやナオコに、告白に近いカタチで公開していくのか。

タエ子が山形へ向かう列車の中で薄々感づいていたように、彼女に「サナギの季節」がふたたび巡ってきたからか。彼女にとっての“第一次サナギ症候群”が小学校5年生の時だったとすれば、27歳のタエ子は、図らずも第二次の“サナギ症候群”の中にいる? そして、そんな“症候群”をもたらす「触媒」となったのが、寝台列車、本家の人々の畑での笑顔、紅花の手に痛い感触。さらには、山形の田園風景と、そこで出会ったトシオのストレートさだった?

……あ、「クルマ屋」のひとりとしては、それらに、トシオが出迎えに乗ってきたのがスバルの「R-2」だったことも付け加えたい。あの時、駅前でタエ子を待っていた、木訥な佇まいの白いクルマ。そのスバルがタエ子のココロに、ポッと小さな灯火のようなものを灯したと思いたい。

さて、タエ子がばあちゃんに「縁談」を持ち出され、たまらず、本家を飛び出してしまった場面に戻ろう。

この時に、たとえばタエ子がトシオに何の関心もなかったなら、残念ながらそれはちょっと……と言えば、それで済むことだったのではないか。一方、「え、トシオさんがそんなこと言ってるんですか?」であれば、「じゃあ、ここに呼んでくださいな」と、まずはトシオの気持ちを確かめる。ちょっとダイレクトすぎるかもしれないが、これはこれで、タエ子にとっては確認と区切りになったはずだ。

しかし、話はそのようには展開しなかった。
そもそも、タエ子は何故、「耐えきれず」に、縁談話の茶の間から去ってしまったのか。このことに思いを巡らせると、この映画の鋭さと非凡さが改めて見えてくる。

(つづく)
Posted at 2016/09/07 01:23:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月05日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《9》

東京のOL岡島タエ子の、農業体験付き山形旅行。その最終日に、事件は起きた。
ホームステイ先の本家の茶の間。座卓の上で、何かを混ぜているタエ子。ホイップクリームか。もう食事は済んでいて、何かデザートを作ろうとしているのかもしれない。そんなタエ子に、本家のばあちゃんが声をかけた。

「帰ってしまうのか、明日」
「はい。長い間、ほんとにお世話になりました。おばあちゃんもお達者にね」
「ありがとうさま。タエ子さん、あんた、ここが好ぎか?」
「ええ、とっても。もう、すっかり、自分のふるさとみたい」

そして本家のばあちゃんは、本当に東京よりここがいいと思っているのかと何度か確認した後に、タエ子に言った。
「タエ子さん。あんた、来てくれねえべか、トシオのとこさ」
「え?」
本家の息子とその妻が、ハッとして振り向く。
「ミツオが東京の人になってしまったから、ここが気に入っているあんたが、代わりにトシオの嫁に来てくれるっていうのは、どうだべ」

慌てる息子とその妻。
「ばあちゃん!」「ヤブから棒にほだな。タエ子さんがびっくりしてるでねえかや」
しかし、ばあちゃんは動じない。
「考えておいてけろ。な、タエ子さん」

あまりにも想定外のことが起きたのだろう、タエ子は声が出せない。そんなタエ子を気遣いつつも、本家の人々は彼らだけでやり合う。
「気にしないで下さい、冗談ですよ。な、冗談だべ、ばあちゃん」
「いいや、オレはマジメだ。お前たちだって、そうなってもらいたいんだべ」
「そりゃ、そうなってもらいたいよ。でもよ、タエ子さんは東京の人だって、アタマから決めてたからよぉ……」

「でもよ、タエ子さん、ここば気に入ってるんだし、野良仕事もがんばるし。見ててとっても気持いいもんなあ」
こう言った息子の妻が続けた。
「そりゃあ、トシオさんとこさ来てくれたら、こんないいことないけんど」
「何いうんだ、お前まで。タエ子さんに失礼でねえがや。タエ子さんは東京に、れっきとした勤め口があるんだし、トシオは年下でねえか」
「あら、勤め口なら山形にもあるでねえの」

そして彼女は、ばあちゃんの隣に座り込む。タエ子は、クリームを混ぜる手を休めないが、しかし、相変わらず、何も言えないでいる。
「タエ子さん、怒らないで聞いて。いまの農家の若い嫁さん、みんな勤めに出てんの。だから……」
「何で、急にこんな話はじめるんだ。タエ子さんは、休暇を楽しみに来てるんでねえか。それもたったの二回だぞ」
「んだら、あんたは反対?」
「現実的に考えろっていってるんだ。第一、トシオの気持ば、聞いでもみねえうぢに。ばあちゃんは」

息子に言われたばあちゃんは、間髪を入れずに断言した。
「ほだなこと、トシオば、ひと目見ればわかる」
わが意を得たりと、妻も言う。
「んだよ。あんたみたいに先回りして、ダメだって言ってねえで、タエ子さんの気持ば、聞いてみ……」

──ここで、タエ子は立ち上がった。そして、呼び止める声を振り切り、外に向かって走っていく。
残された息子は、「ほれみろ、ものにはな、順序ってものがあるんだ」と母(ばあちゃん)を責めるが、ばあちゃんは落ち着いている。
「オレは、悪かったと思ってねえよ」

食卓には、タエ子が調理しかけたボウルの中の白いクリーム、泡たての器具、缶詰のみかんを開けたものなどが残された。氷水の上では、白いクリームがいっぱいのボウルが揺れている。

夜の道を歩くタエ子、ナレーション。
「農家の嫁になる。思ってもみないことだった。そういう生き方が私にもあり得るのだというだけで、ふしぎな感動があった」
「“あたしでよかったら……”、いつか見た映画のように、素直にそう言えたらどんなにいいだろう」

「でも、言えなかった。自分の浮ついた“田舎好き”や、真似事の農作業が、いっぺんに後ろめたいものになった」
「厳しい冬も農業の現実も知らずに、“いいところですね”を連発した自分が恥ずかしかった」
「私には何の覚悟もできていない。それをみんなに見透かされていた。いたたまれなかった」

空でカミナリが光り、雨が降って来た。その時、タエ子は、ある声を聞く。
「お前とは、握手してやんねえよ!」

ハッとして振り向いたタエ子の前には、10歳くらいの少年がいた。少年は鼻くそをほじりながら、お前の顔なんか見たくないとばかりに、憎々しげに顔を背ける。さらにタエ子は、同級生、つまり小学5年生の女の子たちのヒソヒソ声を聞いた。

「ねえねえ、今日、アベ君が着てたシャツ、4年の時、田中君が着てたやつよ」「アベ君てね、アヒル当番の時、エサのパン、おうちへ持って帰るのよ」「アベ君の手のひら見た? すごいわよ」「よかった、隣の席じゃなくて」「先生に言って、席替えしてもらいなさいよ」「ねっ、タエ子ちゃん」

「私……、私は平気よ。そんなこと言うの、アベ君に悪いわよ」
「平気なの? なによ、いい子ぶってさ!」

……現在、つまり27歳のタエ子の額に汗が浮いていた。目の前に突如現われた少年は、「ぶっとばされんなよ!」と、もう一度悪態をついてタエ子に背を向け、肩を揺すりながら去って行く。

(つづく)

◆今回の名セリフ

* 「タエ子さん。あんた、来てくれねえべか、トシオのとこさ」(本家のばあちゃん)

* 「ほだなこと、トシオば、ひと目見ればわかる」(本家のばあちゃん)

* 「私には何の覚悟もできていない。それをみんなに見透かされていた。いたたまれなかった」(タエ子)
Posted at 2016/09/05 16:12:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月04日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.09 フェアレディ240ZG

【 70's J-car selection 】vol.09 フェアレディ240ZGフェアレディ240ZG HS30(1971)

初代のセリカ(1970)もそうだったが、この頃は各メーカーで「高性能車」の数が限定されていたせいか、いまなら、こんなクルマで何で?……と思うようなモデルが、いきなりラリー・フィールドで走っていたりする。フェアレディZもそのひとつで、アフリカのサファリ・ラリーで勝利する輝かしいリザルトまで残した。

ただ、今日の私たちは「ランチア・デルタ・インテグラーレ以後」のラリー界を知っていて、“軽自動車にターボ”とでもいうべきか、前後オーバーハングの少ない小さなボディにハイパワー・エンジンを組み合わせたクルマが“強いラリー車”だというイメージを刷り込まれた。そのために一瞬、(え、フェアレディZがラリーに?)……と思ってしまうのだが、1970年代は、あのポルシェ911もラリーの世界にとって重要なモデルだった。その意味では、ニッサンが「Z」をラリー界に送り出しても何のフシギはなかった。

また、そもそもニッサンは、1950年代の終盤から「ダットサン」ブランドのセダンで海外ラリーに参戦していた。その「DATSUN」(米人は“ダツン”と呼んだ)のラインナップに、スポーツカーの「240Z」が加わったのだから、その高性能車でサファリ・ラリーに参戦するのは当然! これが当時のメーカーのスタンスでもあっただろう。

もちろん、この「Z」は(911と同じように)ラリーだけでなく、国内外のサーキット・レースでも活躍。世界中の人々が、このクルマをリーズナブルな価格のピュア・スポーツ車として愛し、とくにアメリカでは「Zカー」として高い人気を得た。本国(日本)で「Z」が初登場したのは1969年。そして1971年には、フロントに“Gノーズ”を付けた「240ZG」が加わって、さらにファンを増やした。

パワフルな直6エンジンをフロントに搭載するオーソドックスなFRだが、このクルマは、このレイアウトから可能な限りの“切れ味”を生み出すよう、巧みにチューニングされた。とりわけアメリカ向けの仕様は、そのシャープさの度合いがいっそう高かったといわれる。当時の米国のスポーツカー乗りは、過剰なまでに俊敏なクルマ(たとえばコルベット!)を乗りこなすことをもって「スポーツ」と考えていたからである。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/04 13:48:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月04日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《8》

エナメルのバッグ、そしてお出かけ時の“ダダこね”で、思いがけず父に頬を張られたこと。また、分数の割り算ができなかったこと。山形にやってきたタエ子は、ナオコやトシオに、こうした自分の「過去」を語っていくが、そういえば、これらのことをタエ子はこれまで、自分以外の誰かに言ったことはあったのか?

東京駅で寝台特急に乗った時から、タエ子には「小学生の時の自分」がまとわりついていた。そして山形という環境で、彼女のそんな「おもひで濃度」は、さらに濃くなったようだ。トシオとナオコと三人で、夕焼け空にカラスが飛んでいくシーンを見ていたタエ子に、またしてもそんな記憶のひとつが浮上する。

それは小学5年生の学芸会。そこでのタエ子の役が「こぶとり爺さん」のその他大勢、「村の子1」であったことだ。セリフがひとつしかない端役ながら、演技に独自の工夫をしたタエ子の努力は実り、それが校内で評価されただけでなく、大学生を中心とする劇団から子役として来てほしいという要請まで受けた。

学芸会じゃなくて、オトナの人たちと一緒に演技ができる! そこから願望(妄想か)は果てしなく拡がり、10歳のタエ子は子役スターになって芸能雑誌の表紙を飾っていることまで夢想した。

岡島家の夕食でも、タエ子へのオファーの件が話題になる。
「タエ子、学芸会で光ってたものねえ」
「お母さんよろしくお願いしますって、頭下げられちゃったわ」
「へえ、すごいじゃない」
「ひとつぐらい、取り柄はあるもんね」
「あら、タエ子は作文だってうまいのよ」

姉たちと母の会話、それに祖母も加わって、話はエスカレートした。
「タエ子は算数よか、そっちの方に才能があるのかもしれないねえ」
「あたしなんか、舌切りスズメのお爺さん役やったけど、お誘いなんか来なかったもんねえ」
「で、出るの?」
「これがキッカケで、本職の子役になったりして」
「わあ、宝塚、入りなさいよ」
「そうよ。いまからでも練習すれば、入れるかもよ」

……というところで、それまで黙っていた父が言った。
「演劇なんてダメだ。芸能界なんかダメだ」
「そんなあ! 芸能界なんてオーバーよ」「そうよ、そんな。ねえ」
「ダメだ。メシ!」

食後、食器洗いをしている母と姉ナナ子を、タエ子は詰(なじ)る。
「ねえねえ、どうして本職の子役なんて言ったのよ」「宝塚とかさあ、芸能界とか言うからさあ……」「ねえねえ、何であんなこと言ったのよ。ナナ子姉ちゃんたらぁ」

結局、母は学生劇団員からの申し出を断わった。
「本人が、恥ずかしがって」「内気なもので……。何度も足を運んで下さったのに、本当にどうもすみません」
この時タエ子は茶の間にいて、独りでテレビの『ひょっこりひょうたん島』を見ていた。だみ声による歌は、「♪プアボーイ プアボーイ」「♪うちから遠くはなれて プアボーイ」……。

後日か、タエ子は商店街へ。母の買い物に一緒に行ったタエ子は、母に言う。
「私の代わりに、1組の青木さんが出ることになったのよ」「青木さん、みんなに触れまわってるんだよ」「今日なんか、お母さんが学校に迎えに来てさ。ヒラヒラの服、着て……」

ここで母は、タエ子にしっかり“ダメ出し”した。
「タエ子、大学のお兄さんが 最初にタエ子のところに来たってこと、学校で言っちゃダメよ」「そんなことわかったら、青木さん、いやな気持ちになるでしょ。わかった?」

商店街を歩く母。その後ろを、しょんぼり肩を落としたタエ子がついていく。夕方の商店街には、テレビの音が響いていた。「子どもニュースでした」というアナウンスの後に、始まる主題歌──。
♪波をチャプチャプ チャプチャプ かきわけて
♪雲をスイスイ スイスイ 追い抜いて

番組は、ミュージカル仕立ての人形劇『ひょっこりひょうたん島』。商店街で、テレビに合わせて主題歌を一緒に歌う、10歳のタエ子。
♪苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ
♪だけどぼくらはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃお
♪すすめー ひょっこりひょうたんじーま

……話を聞いていたナオコが呟いた。
「かわいそう、タエ子さん」。
しかし、タエ子は冷静だ。
「私、高校に上がったら、すぐ演劇部に入ったの。あの時のこと、忘れられなかったのよね、やっぱり」「楽しかったわよ。役者もやってみたの、でも、向いてなかった」
「だから、スターになり損ねたっていうのは、残念ながら冗談。ウフフッ(笑)」

聞いていたトシオは、「オヤジっていうのは、東京も田舎もおんなじようなもんだったんだなあ」と言った。高校の頃に東京に出たかったが、その時は父が許してくれなかった、と。

そしてトシオは、同じ番組を山形で見ていたことをタエ子に告げた。さらに、『ひょうたん島』に登場した歌についてトシオなりの解釈をして、タエ子を微笑ませる。
「そういえば、あの頃の歌って、励ましの歌、多かったと思いませんか」「『ひょうたん島』にも、まだあったなあ。ほら、“今日がダメなら明日があるさ、明日がダメなら、あさってがあるさ”──」

そして、この歌のその後を、タエ子とトシオは一緒に歌った。
♪あさってがダメなら しあさってがあるさ
♪どこまでいっても 明日がある

(ナレーション)
「トシオさんは、今日がダメなら明日にしましょという“一日延ばし”の歌を、“明日があるさ”と前向きにして、憶えていた」
「そんなトシオさんの生き方が、ステキに思えた」

(つづく)

◆今回の名セリフ

* 「演劇なんてダメだ。芸能界なんかダメだ」(岡島家の父)

* 「そういえば、あの頃の歌って、励ましの歌、多かったと思いませんか」(トシオ)

* 「トシオさんは、今日がダメなら明日にしましょという“一日延ばし”の歌を、“明日があるさ”と前向きにして、憶えていた」(タエ子)
Posted at 2016/09/04 02:43:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月02日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《7》

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《7》次姉から、分数の割り算とその答えを教えられた後か。おそらく何も納得しなかったであろうタエ子は、茶の間で、切り分けられたリンゴを食べ、なおもそのリンゴを「分けて」みたりしながら、おばあちゃんと一緒にテレビを見ていた。画面から聞こえてきたのは、「♪何も言わないで ちょうだい」という倍賞千恵子の歌。(「さよならはダンスの後に」)この時、タエ子はおばあちゃんに「この人の妹、宝塚?」と訊いている。すると、祖母はすかさず「SKD」と答えた。この一家、実は芸能界にはけっこう詳しいようだ。(妹とは倍賞美津子、そして彼女はSKD=松竹歌劇団の出身)

ここで思い出すのは、映画冒頭の休暇届を出すシーンである。上司から、旅行の理由として「失恋?」と、セクハラまがいのひと言を振られた際でも、“世慣れたOL”であれば、「そうなんですよぅ、課長。いい人いませんかぁ」などとウケてやるのかもしれないが、タエ子にはそれができない。旅行の行き先にしても、「今回はパリなんですぅ」とでも言えば無難なのだろうが、その種のウソもつけない。

タエ子は上司に、事実ではあるものの、実はとても伝わりにくい「田舎に憧れているんです」という答えを返してしまう。彼女は、自分でも気づかないまま、この時、ほとんど会話を拒んでいる。タエ子の言う「分数の割り算がスンナリできた人は、その後の人生もスンナリいく」(でも、私はそうじゃなかった)とは、たとえば、こういうことなのかもしれない。

……時制が現在に戻って、蔵王で並んで歩きながら、タエ子はトシオに言った。
「いま考えてみても、やっぱり難しいのよね。分数の割り算」

その後、スキーのリフトに乗っているタエ子とトシオ。二人は山を下りているようだ。そのリフト上で、トシオはタエ子に話しかけた。
「タエ子さん、スキーやるんでしょ」
「うん、会社の人に連れられて二~三回」
「じゃあ今度、冬に来ませんか。俺、教えますよ」
「スキー得意なの? トシオさん」
「いやあ、大したことないけど。冬はここで、指導員のバイトやってるから」

この時のトシオには、おそらく何の“下心”もない。半年先の予定が決まっていると、ちょっと嬉しいな! そんな程度の気持ちで、タエ子の「冬」を確認してみたのではないか。そういえばトシオの言葉には、ウケ狙いとか半分ジョークとか、そうした“ウラ”を探らなければならないような要素がほとんどない。オモテもウラもヨコもない、ただの一枚板。野球でいえば、直球しか投げない投手。タエ子はここまでの彼との接触で、このことは感じていたはずである。

山道を駆け下りて、二人を乗せたスバルは平地に戻った。トシオは、目の前に田んぼなどの田園風景が広がる路側にクルマを停めた。“田舎好き”のタエ子は、この景色にさっそく反応する。
「あー、やっぱり、これが田舎なのね」「本物の田舎、(リゾートの)蔵王は違う」
しかしトシオは、簡単には同意しない。
「うーん、田舎かあ……」
そしてさり気なく、しかし根源的なことをタエ子に語っていく。

「都会の人は、森や林や水の流れなんか見で、すぐ自然だ自然だって、ありがたがるでしょう」「でも、山奥はともかく、田舎の景色ってやつは、みんな人間がつくったもんなんですよ」
「人間が?」
「そう、百姓が」
「あの森も? あの林も? この小川も?」
「そう。田んぼや畑だけじゃないです。みんな、ちゃーんと歴史があってね。どこそこのヒイ爺さんが植えたとか拓いたとか、大昔からタキギや落葉やキノコを採っていたとか」

「人間が自然と闘ったり、自然からいろんなものをもらったりして暮らしているうぢに、うまいことでき上がってきた景色なんですよ、これは」
「じゃ、人間がいなかったら、こんな景色にならなかった?」
「うん」

スバルの車内に戻った二人は、さらに話し続ける。
「百姓は、たえず自然からもらい続けなきゃ、生きていかれないでしょう? だから自然にもね、ずーっと生きててもらえるように、百姓の方もいろいろやって来たんです」
車内には例のハンガリーの音、トシオの言う“百姓の音楽”が流れていた。
「まあ、自然と人間の共同作業っていうかな。そんなのが、たぶん田舎なんですよ」

日が変わって、水田で草取りをしていたタエ子は、一緒に作業をしているトシオにグチった。
「ああ、腰が痛くなっちゃった。有機農業、ちっともカッコよくないじゃない!」
「ハハハ(笑)カッコイイのは理念の方の話。前に言ったでしょう、生きものの手助けっていうのは、えらく大変だって」

そこに折りよく、本家のお母さんがやって来た。
「精が出ることなあ、タエ子さん。お茶にすねえか」
「ああ、助かった! ひと休みしたいと思ってたとこ」
その後、トシオに教えてもらったのか、トラクターを運転しているタエ子。そんな光景を、微笑みながらお母さんが見ていた。

ナレーション。
「トシオさんは、私に少しずつ、いろんなことを経験させてくれた」
「私は、すっかり田舎を知ったつもりになって、得意だった」

画面に、牛の乳搾りをするタエ子。そして、果物に袋を被せているタエ子の姿が映し出される。

(つづく)

○フォトは、山形県四ケ村の景色。web「やまがたへの旅」より。

◆今回の名セリフ

* 「でも、山奥はともかく、田舎の景色ってやつは、みんな人間がつくったもんなんですよ」(トシオ)

* 「人間が自然と闘ったり、自然からいろんなものをもらったりして暮らしているうぢに、うまいことでき上がってきた景色なんですよ、これは」(トシオ)

* 「百姓は、たえず自然からもらい続けなきゃ、生きていかれないでしょう? だから自然にもね、ずーっと生きててもらえるように、百姓の方もいろいろやって来たんです」(トシオ)
Posted at 2016/09/02 18:20:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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