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2016年12月02日 イイね!

映画『コクリコ坂から』~1963年的「細部」とクルマが気になる 《6》

映画『コクリコ坂から』~1963年的「細部」とクルマが気になる 《6》「白い花の咲く頃」をみんなで歌った討論集会が終わった後で、松崎海と風間俊は夕暮れの坂道を一緒に歩いた。そこで「海」が提案する。
「あのね、お掃除したらどうかしら?」
「古いけれど、とってもいい建物だもの。キレイにして女子を招待したら、みんな素敵な建物だって思うわ」
この後の別れ際、俊が「ありがとう、メル」と、初めてアダ名で呼びかけ、二人の距離がまたひとつ縮まった。

夜のコクリコ荘では、討論集会の様子を聞いた北斗女史が「相変わらずねえ」と笑い、そこにウイスキーが登場。ツマミにチーズが切られ、ゴキゲンになったのか北斗女史が、自分のために開かれる送別パーティに、港南学園の「男の子たちも呼ぼうよ!」と言い出した。後日、風間と水沼の二人がコクリコ荘にやって来るのは、こういう経緯からだ。

この夜にコクリコ荘で持ち出されたウイスキーは、ジョニーウォーカーの黒、通称「ジョニ黒」だった。また、コクリコ荘での送別パーティで合唱される曲が「赤い河の谷間」。そして、もう少し後のシーンになるが、アメリカから帰国した「海」の母が配ったお土産がビーフ・ジャーキー。

この頃、つまり「1963年」頃は、ウイスキーといえばスコッチで、「舶来」ならジョニー・ウォーカーだった。そして赤よりも黒ラベルで、“ジョニ黒”の方がプレミアム。カントリー・ミュージックの「レッド・リバー・バレー」は、これをビートに乗せたインスト曲「レッド・リバー・ロック」の方が、多くの人に記憶されているかもしれない。そしてビーフ・ジャーキーは、この頃では珍しかった外来の食べ物のひとつだった。

その北斗女史の送別パーティの日。初めてコクリコ荘に来た風間俊に、古い建物の中を案内しながら、松崎海は自身について語っていく。

父は「船に乗ってたわ」「こんな家でしょ、お父さんとの結婚に、お爺ちゃんたちは猛反対」「だからお母さんは家を出て、駆け落ちしちゃったの」
(信号旗は)「私が子どもの頃ね。旗を出しておけば、お父さんが迷子にならずに帰ってくると教わって」「物干し台に旗を出して、お父さんの帰りを待っていたわ。毎日、毎日……」

「でも、朝鮮戦争の時、父の船が沈んで、それっきり」
「それでも毎日、旗を出してた」「あの旗竿は、この家に来た時、旗を揚げられないって私が泣くもんだから、お爺ちゃんが建ててくれたの」

そして、いまはアメリカに行っている母の書斎へ行く。壁に貼られた古い写真を見る二人。「それはお爺ちゃん。父はこっち。ハンサムでしょ」。話題が父のことになったので、「海」は、「私、この写真が好きなの」と三人が並んで撮った写真を取り出して、俊に見せた。

しかし、その写真と、そこに記された署名を見た俊の様子がおかしくなる。「沢村雄一郎……」

パーティが終わり、運河沿いの家に、帰宅した風間俊。父は晩酌をしながら、茶の間で野球中継を見ていた。テレビからは、「長嶋、三振!」というアナウンスが聞こえている。

当時、テレビの野球中継といえば、日本テレビの巨人戦だった。そして、その巨人軍の四番打者が長嶋茂雄。記録よりも「記憶」に残る選手として、いまもなお、日本の野球史で語り継がれているスーパースターだ。帽子が飛んでしまう豪快な空振りとともに三振するのも、彼の愛されるパフォーマンスのひとつであった。

そんな父を横目に、二階に上がった俊は、戸棚からアルバムを出して、自室でそれを開いた。そこにあるのは、沢村雄一郎ら三人で撮った写真。何と、松崎海と風間俊は、それぞれ「父の写真」として秘蔵していたフォトがまったく同じものだった。

その翌朝。風間父子を乗せたタグボートが行く。息子の俊が、船を操縦している父に言った。「父さん、聞きたいことがあるんだ」

「沢村雄一郎って人が、俺の本当の父親なんだよね」
「そのことは、前に話したろう。……お前は、俺の息子だ」

そして、“養父”は“息子”に語っていく。「あの日は、風の強い日だった。沢村が、赤ん坊のお前と戸籍謄本を持って、俺の家に来た」「俺たちは、子どもを亡くしたばかり」「母さんが、お前を奪い取るように抱いて、乳を含ませた」

「沢村は、いい船乗りだった。朝鮮戦争で、機雷にやられちまってな」
「ミルク代を、ずっと送ってくれていた」
「近頃、あいつによく似てきたな」「お前は、俺たちの息子だ」

風間父子のタグボートが、コクリコ荘の前を通り過ぎようとしている。しかし今日の俊は、答礼の旗を出す気配がない。一方、“丘の上”では旗が揚がり、その様子が海から見えた。

コクリコ荘で、いつものように旗を掲揚した「海」は、下宿の二階、広小路の部屋に駆け上がった。メルが訊く、「広さん、来ました?」
窓から、港を見る広小路。「今日は、通らないみたいね」

実はコクリコ荘では、メルが旗を掲揚するところからは、海=港の海面が見えなかった。しかし、二階の広小路の部屋からは港が見えるので、画学生の彼女は「答礼するタグボート」をテーマに、港の絵を描いていた。それを知ったメルが、一度、そのボートが掲げる旗を見たいと、広小路に頼んでいたのだったが……。

この日、メルと広小路の前を、答礼旗を掲げたタグボートが通ることはなかった。

(つづく)  (タイトルフォトはスタジオ・ジブリ公式サイトより)
Posted at 2016/12/02 13:43:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
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