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家村浩明のブログ一覧

2016年08月24日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《1》

クルマという「文化的存在」(と敢えて言う)がものすごく巧みに使われ、さらには作品としてのポイントも高めている映画を発見した(注1)。スタジオ・ジブリの制作、高畑勲監督による『おもひでぽろぽろ』である。

映画は、都内の、それも都心と思われるオフィスのシーンから始まる。高層ビルの中、社内のデスクにはキーボード、OA化が既に行なわれているフロアで、ひとりの女子社員(OL)が上司に休暇届を出している。
「十日も休暇を取るっていうから海外かと思ったら、山形へ行くんだって? 岡島君」
「はい」
「失恋でもしたの?」

いまであれば、ゲスの勘ぐり、このセクハラ・パワハラ、誰か止めてくれよ!……という状況かもしれないが、そういえば20世紀には、セクシャル・ハラスメントという言葉はまだ無かったのではないか。だから、この時の女子社員も、上司の言葉に何のリアクションもしない。いかにもありそうな男たちの反応として、想定内だったのか。ともかく、彼女は短く応える。
「田舎に憧れているんです」──

続いて、小学生たちが登場するシーンになる。一学期が終わったのか、成績のことを語り合い、夏休みには田舎へ行くんだという話題になって、女生徒のひとりが言った。
「うん、長野(へ行く)。タエ子ちゃんは?」
振られた少女は、ただ「わかんない」とだけ答える。
(ということで、この物語の主人公の名は「岡島タエ子」か)

さて、小学生のタエ子は、算数はどうも得意ではないらしい。一学期の通信簿、算数の成績は「3」のようである。それを母に指摘されると、少女は「でも、理科は4になったよ」と抗弁した。そして少女は、夏休みの旅行を母にねだる。
「ねえねえ、どっか連れてって」
しかし、母はクールだ。
「うちは田舎がないの。ないものねだり、しないでちょうだい」

ここでナレーションが入る。語るのはタエ子か。ただし、子どもの声ではない。
「私は、親の代から東京生まれの東京育ち。田舎を持ってる友だちが、うらやましかった」

この導入部で、映画は、岡島タエ子の現在と、そして、その小学生時代。さらに、主人公の「心の声」としてのナレーション。これらが交錯しながら進んでいくらしい……ことがわかる。

そして夏休みとなり、小学生のタエ子は朝のラジオ体操に出席していた。広場に響くラジオ体操の音源は、オープンリールのテープレコーダー。CDどころかカセットテープもないという時代か。体操に来ているのは、タエ子と年長らしい生徒の二人だけ。
「タエ子ちゃん、毎朝、ちゃんとラジオ体操に来てエラいわね。みんなは田舎へ行っちゃってるのよ。タエ子ちゃんはどこか行かないの?」
「行く! あたみ!」
「あたみ? 熱海に何しに行くの?」
「お風呂入りに行くの」

小学生のタエ子が家族にねだって、ようやくゲットした夏休みの旅行。それは熱海の温泉ホテル、そこにあるさまざまな種類の風呂に入りに行くことだった。

シーンが変わって、タエ子の現在。電話しているタエ子。受話器からは「もしもし、岡島ですが」という声が聞こえる。
「あ、ナナ子姉さん? 私、タエ子。今日、出発するけど、ミツオ義兄さんから、本家に言伝てないかと思って」
「うーん、とくにないみたい。……あっ、そうだ。ナオコちゃんにクッキーでも買ってってくれない?」

そして、話題が母のことになり、姉ナナ子は言った。
「お母さん、怒ってたわよ。あなた、お見合い断ったでしょう。27歳にもなって、あんな良いお話、もうないわよって」

これで、タエ子の年令が明らかになった。27歳、見合い話があるのだから、当然、独身か。対して、姉のナナ子には夫がいるようだ。電話の受け答えの際に彼女は「岡島姓」を名乗っていたから、カタチとしては岡島家が婿を取ったということか。そして義兄のミツオと姉ナナ子の夫婦は、おそらく都内にいる。

そして、タエ子の山形行きの目的も明らかになる。姉のナナ子が言う。
「それに、あなたも物好きねえ。去年は、野良仕事まで手伝ったんだって?」
「そうよ、稲刈り。今年はね、紅花、摘むの」
「ベニバナ?」
「そう。せっかくナナ子姉さんのおかげで、田舎が持てたんだもの。しっかり、田舎の気分ば、味わってくるっす! フフフ(笑)」
ナナ子「フフフ(笑)よしなさいよ。たまの休みなんだから。あんな古い家に泊まらずに……」

──オシャレなペンションにでも泊まればいいのに、と言う姉。しかし、それでは熱海旅行と同じになってしまうと、タエ子は応じている。この熱海行きについては、最近、姉妹で話をしたことがあったようだ。「あーあーあー! この前聞いた、あれね」と笑い飛ばす姉。
「あなた、まだ、あんなことにこだわってるの。あなたって、大変な過去を背負って生きてんのねえ、ハハハ(笑)」

何気ない姉ナナ子のセリフだが、これはけっこう重要かもしれない。この物語を見ていくうえでキーになる言葉が詰まっているようだ。「こだわり」「過去」、そして「背負って生きてる」など。

映画はこれ以後、これらのキーフレーズを底流に、ストーリーが進んで行くことになる。

○注1:いま頃ジブリ映画を「発見」したとはどういうことか!とファンに怒られそうだが、実は私、子どもの頃に見たディズニーものを除いて、これまで「アニメーション映画」をほとんど見なかった。
……あ、評判の映画ということで『千と千尋の神隠し』にチャレンジしたことはあったが、その時、まるで意味わからず(爆)、また『もののけ姫』も「?」だったので、以後“ジブリ”もアニメもまとめて、敬して遠ざけていた。しかし今年の夏、ふと『風の谷のナウシカ』に触れてようやく「!」となり、以後“ジブリもの”をいくつか見て行くうちに、この『おもひでぽろぽろ』に出会った次第。
いまは、自分なりにひとつ決めたことがあって、それは映画を実写とアニメで「区別」するのは止めようということ。(私にとって)おもしろいか、そうでないか。映画の種類はこの二つしかない、たぶん……。

(つづく)

◆今回の名セリフ

* 「田舎に憧れているんです」(タエ子)

* 「あなたって、大変な過去を背負って生きてんのねえ、ハハハ(笑)」(ナナ子)
Posted at 2016/08/24 17:04:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年08月24日 イイね!

【スポーツ column 】ベースボールは「国際化」しない… 《2》

ベースボール=野球の起源を探っていくと、遠く中世ヨーロッパで行なわれていた球技にまで行き着くらしい。何かを丸めて小さなボール状にしたものを投げ合う。さらには、それを打って飛ばすというのは、誰かが言い出したから始まったというようなものではなく、人の「遊戯欲」の根源的な部分とどこかで繋がっているのかもしれない。

この「遊戯欲」ということでは、人は「重力」を利用して滑ったり落ちたり、また「重力」に逆らって飛んでみたりと、「G」を絡めての遊戯がとても好きである。20世紀という百年間に、世界中でクルマが急速に普及して一般化したのも、この「G」(重力)をコントロールしたい、「G」と戯れたい!……という、多くの人々が抱えている秘かな欲求と関連があると私は考えている。

さて、それはともかく、このベースボールという競技もしくは遊戯(エンターテインメント)が非常に好まれて発展したのがアメリカであるということについては、誰も異議はないはず。そして、そのアメリカでのベースボールの発展と楽しみ方で、つくづく(おもしろいなあ……!)と思うのは、これを行なう競技場(球場)の規格について、彼らがまったく無頓着なことである。

ベースボール=野球とは基本的に、対戦するそれぞれのチームが獲得した得点を競うゲームで、初期には21点先取でゲームセットとしていた時期もあったという。(あまりに時間が掛かりすぎたので「回数」を定めることになった)

そして「ホームラン」というショットが出ると、それだけで1点の獲得が認められるというルールもある。そういうことであるなら、その「ホームラン」の定義は厳格であっていいと思うのだが、これがどうもそうではない。打球がどのくらいの距離を飛んだらホームランにするといった決まりは別にないようで、この件は言ってみれば“その場任せ”になっている。

この球技では(ランニング・ホームランを例外として)多くの場合、向こうに見えてる「あの塀」を越えたら本塁打にしようね!……といった決めごとがあるだけのようだ。その「塀」にしても、ホームベースからの距離やその高さは「不定」で、さらに球場の左翼側と右翼側では「塀」までの距離が異なるという場合も少なくない。そうした競技場の形状の「左右非対称」ぶりは、とくに米メジャー・リーグで顕著であるという。

そういえば、この「ホームラン」だが、これはプレーしているボールが「競技範囲」の外に出てしまった、もう誰もプレーができないよ……ということであろう。そうであるのだがベースボールの場合、それを「アウト」とか「OB」(アウト・オブ・バウンズ)といったペナルティにはせずに、ヒットの中でも最上級のものとして賞賛する。これもまた、この球技の特異なところだと思う。

まあゴルフでも、ティーショットの飛距離は長ければ長いほどいいじゃないかと言われるかもしれないが、ただご承知の通り、ゴルフには、飛ばしすぎは絶対不可のショートホールがある。また、その“飛ぶと嬉しい”ティーショットにしても、打ってよろしいというその範囲はきわめて狭く、ベースボールのように「広角」(90度)で許容されているわけではない。

さて、ベースボールが「範囲外」や「場外」を、むしろ歓迎すること。そして、ベースボールを行なう競技場の規格について頓着しない。これは何故なのだろうか? ベースボール大国のアメリカで、この“遊び”が始まった頃を想像しながら、ちょっと考えてみる。

ベースボール(の原型)は、アメリカ各地のタウンというかシティというか、そうした「街」の中の広場や空き地で、おそらく自然発生的に始まったと思う。一説では、オフィスやショップなどで仕事をするために「街」に集まってきた社員や職員の昼休みの娯楽として、このボールを使うゲームが始まったとされる。そう言われてみると、ベースボールをプレーする際の、妙にダブダブしていて、そして“日常的”な「競技ウェア」のナゾも、少し解けるような気もする。

このウェアについて想像を巡らせると、「街」の仕事場に社員がニッカボッカ姿で来ていれば、昼休みにはそのままプレーした。そして普通のズボンであれば、その裾をソックスの中に入れて、あるいはもう一枚のソックスを履いてまとめ、“足さばき”を良くした。このどちらの格好にしても、目立つのは膝から下のストッキングの部分で、それが下半身だったとすれば、上半身はジャケットや襟のあるシャツは脱ぎ捨て、Tシャツ一枚、もしくはその種の襟のないウェアを重ね着して、昼休みにプレーしたのではないか。

アメリカ最初のベースボール・チーム(アマチュア)の名前は「ニッカボッカーズ」だったそうで、そして、プロフェッショナルなベースボール・チームは、1869年、シンシナティでの球団創立に始まるという。この時のチーム名が「シンシナティ・レッド・ストッキングズ」だった。

こうしたネーミングからも、ベースボールをプレーする際の「靴下姿」が、遊ぶ人々とそれを見る人々の双方に、非常に印象的だったことが想像できる。ゆえに今日でも、メジャー・リーグにはホワイトソックスやレッドソックスといったチーム名が残り、長い伝統を持つ球団であることを、その名によって誇示しているのではないか。

ちなみに、レッド・ストッキングズが創立された「1869年」とは、アメリカでは南北戦争が終わって3年後。日本では「幕末」期に当たり、前年の1868年には江戸城が無血開城されている。そして、この年には幕末期の戦いの最後であった函館戦争が終わり、元・新撰組の土方歳三が五稜郭で戦死した。そしてアメリカでは、レッドストッキングズ誕生の7年後(1876年)に、最初のプロ野球リーグとしてナショナル・リーグが興っている。

さらに、ちなみに/その2だが、シンシナティなど北部や東部で人々がベースボールのプロ・リーグを楽しんでいても、アメリカの西部や南部はそうではなかった。そこでは、新大陸にヨーロッパからやって来た人々が「開拓」という名の“侵略”的な行動を起こしたのに対し、それに反発するネイティブ・アメリカン諸部族が武力によって抵抗していた。歴史では、アパッチ族のジェロニモが降伏した時に、ネイティブ・アメリカンによる軍事的な抵抗が終わったとされているが、それは1886年のことであった。

つまり、ようやくアメリカの西・南部が「平定」(という言葉を一応使っておくが)された年より10年も前に、米メジャーのナショナル・リーグは創立されていて、東部の人々はベースボールの勝敗に一喜一憂していたということ。アメリカという国の広さと複雑さを示すエピソードとして、これ、個人的にはちょっと好きである。

(つづく)
Posted at 2016/08/24 02:46:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
2016年08月24日 イイね!

【 70's selection 】vol.05 ギャランGTO

【 70's selection 】vol.05 ギャランGTOGTOは、先行して売られていたギャラン・セダンのクーペ・バージョン。グランツーリスモを名乗るとおりに、スペシャリティを謳うセリカよりは、ぐっとスポーツに寄っていたスポーツマシンだった。もちろんこれにも、アメリカのポニーカーの影響は顕著で、スタイリングとしては、このGTOは、初代マスタングのイメージをかなりダブらせているといえよう。

 このMRという仕様は、シリーズ中唯一のツインカム・ユニット搭載のバージョン。当時はカムシャフトが2本であるというのは、それだけで稀少価値であり、価格的にも高価で、いま風にいえば相当なレアものだった。GTOというシリーズは、精悍なスタイリングが受けてそれなりのヒット作となり、このカッコウを見かけることも多かったが、しかし、このMRは滅多なことでは街を走っていなかった。

 ギャランのセダンは、当時走りには定評があり、それを低重心化しタイヤを強化した仕様であるこのGTOも、シャープなハンドリングで楽しめた。だが、三菱のスポーツ活動はラリーが中心だというイメージがあり(フォーミュラ・カーもやっていたのだが)、その意味でこのGTOは「三菱的」にはあまりコンペティションの匂いがせず、それがある種の上品さではあったが、一方ではイメージ的な弱さにつながっていたかもしれない。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/08/24 02:19:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年07月08日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.04 カペラ・ロータリー・クーペ

【 70's J-car selection 】vol.04 カペラ・ロータリー・クーペカペラ・ロータリー・クーペ S122A(1970)

大衆車ファミリアの上位に位置して、ブルーバードやコロナと張り合っていたマツダのミドルサイズ乗用車シリーズがカペラだった。そして、他社のファミリー・セダンとこのクルマとの決定的な違いは、スカイラインGTにも対抗できるスーパースポーツをそのラインナップに持っていたこと。それが新開発の12Aロータリー・ユニットを積む「ロータリー(RE)クーペ」である。

1960年代後半に“羊の皮を被った狼”を名乗ったのはスカイラインGTだったが、しかし「スカG」の場合はロングノーズ造形で、6気筒エンジン搭載であることは見た目でも知れた。一方、このクルマはルックス的には地味なクーペで、“羊と狼”、つまり外観とリアル性能とのギャップ、そしてそのインパクトの強烈さでは、このカペラ・ロータリーはスカGをしのぐものがあった。このクルマは輸出名に「RX-2」という名を持ち、このコードネームが後年のロータリー・ピュア・スポーツ、サバンナRX-7(1978年)につながっていく。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/07/08 22:23:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年07月06日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.03 フロンテ・クーペ

【 70's J-car selection 】vol.03 フロンテ・クーペフロンテ・クーペ LC10W (1971)

当時はまだ「FF」がメジャーになる前で、スバルとスズキは軽自動車には「RR」を採用していた。つまり、リヤエンジン/リヤドライブ。この方式はVWビートルやルノー4CV(日野ルノー)、フィアット500など、欧州の小型車で一般的に採用されていて、リヤにエンジンを積み、そのまま後輪を駆動するというコンセプトだ。

スバル360やスズキ・フロンテのセダンは「RR」によってスペース・ユーティリティを確保していたが、そのメカを実用性のためでなく「スポーツ的」に用いようとしたモデルとして、このフロンテ・クーペは日本車の歴史に残る。流麗なデザインの「RRスポーツ車」、そのクーペ・ボディの全高は1200ミリしかなく、デビュー時には2シーター(二人乗り)仕様のみが設定されるという徹底ぶりだった。

きわめて低い位置にあるシートに収まると、丸形メーターが目の前に6個も並ぶインテリアがドライバーを包んで、スポーツの主張は強烈そのもの。搭載されていた2ストローク3気筒エンジンはパワフルで、かつ低速域でのトルクも太く、市街地を流すような走行でも何ら支障はなかった。この360ccのエンジンはフォーミュラ・カーにも積まれ、サーキットでも大活躍した。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/07/06 11:01:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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