2020年11月01日
今回、写真はなく、ひたすら文章です。お見苦しい点もあろうかと存じますが、ご了承のほど、よろしくお願いします。
私の「ゾッとした体験」、それは今から20年近く前にさかのぼります。
それは、ある何でもない土曜日の午前、妻と娘(当時3歳くらいかな?)と3人で、マイカー(当時、白プレマシー)に乗って、ショッピングに出かけました。
1時間くらいかけて行くショッピングセンター、山の中を抜ける国道を通って行くのですが、しょっちゅう通る道なので、特に何も意識することなく、いつも通り運転していました。
整備された国道で、車の流れからすると60キロ以上の速度で流れるなか、なんとゆうことなく道中、こちら側が片側一車線、対向車線が、登坂車線のある片側二車線の道路を走行していた時に差し掛かった時、その事象は起きました。
だいぶ距離はありましたが、対向車線の登坂車線、つまり向かって外側を走行していた一台の普通車が、スーッと車線変更をし出しました。ただ、なにか動きが不自然です。右車線に車線を変更するような動きに見えません。
ん?
妻と娘は後部座席に乗っていたため、運転席の私は、一人で???となっていました。
そこからは、一気に事が動き出しました。
その対向車が、センターラインを越えて対向車線に飛び出してきたのです。
危ない!
その飛び出してきた車は、私の前を走行していたワンボックスカーに運転席側同士で衝突したのです。
私も勿論、急ブレーキです。幸い、車間距離を取っていたため、多重事故につながらず、こちらは、後部座席に居た娘がフロントの座席に激しくぶつかり、泣き叫んでいるだけで済みました。まさに、これが「九死に一生を得る」ってことかと思いました。
それからは、夢中でした。車を路肩に停めて、被害者の運転手さん(男性)に声を掛け、私の携帯電話で110番。ただ、住所がわからない。当時は、まだ携帯電話の電波で場所を特定するのが進んでいなくて、50メートルくらいにあった民家に駆け込み住所を聞いた記憶があります。
そんなこんなで、警察の到着を待っている間、被害者の男性に改めて声をお掛けする。どうやら、体には特に異変はない様子。しかし、傍らにいらっしゃった女性(助手席に居た模様)が、横でうずくまっていました。おっしゃるには、ちょっと立てないと。腰が抜けたのかなと。震えてもいらっしゃいました。
それからのことは、あまり記憶にないのですが、パトカー、救急車が来て、事故の処理を行い、私は第一発見者として、事情を聞かれました。なお、どうやら、加害者の居眠り運転だったようです。
もう、ショッピングに行く気はすっかりと失せてしまったので、自宅に帰ることにしました。もう少し、1秒も無いくらいのもう少し、タイミングがずれていたら、被害の当事者は私だったでしょう。本当に怖い体験でした。
話は、これだけで終わりません。
事故の当日から2週間程度経過したころ、夕方、見たことのない携帯電話の番号から着信が。出ると、当時の事故の被害者の方でした。そう言えば、聞かれたので、携帯電話の番号を伝えていました。
その方は、凄くできた方で、当時のお礼、連絡が遅くなってしまったことのお詫び等々、切々と話されました。
ふと、私は思い出して質問しました。
「お連れの女性の方は大丈夫でしたか」と。
帰ってきた返事はあまりに衝撃でした。
「実は、彼女はあの時の事故で脊髄に損傷を受けて、半身不随の状態になってしまいました。結婚をするつもりでいたので、これから私が彼女を支えるつもりです」
こんなようなことを話されたと思います。聞いた私が気が動転してしまい、正確な記憶ではありませんが、そんなような事だったと思います。とても気丈に話されました。ホントに立派な方でした。
その後、その方々がどうなさられたか、それは知る由もありません。
大変長くなり、そして読みにくい文章で申し訳ありませんが、今思い出してもゾッとする…そんな体験でした。
Posted at 2020/11/01 23:40:55 | |
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