2006年07月25日
所属クラブ、ステージアドットコムのステッカーデザインが完成しました。有志で集まり、デザインを決めるのに時間がかかって苦労しましたよ。
詳細は専用URLへお越し願います。
Posted at 2006/07/26 00:43:21 | |
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2006年07月25日
免許を取って2年目、ようやく50万円を貯めて、中古車屋さんへスカGを注文しました。それから約10日くらいたった頃、その中古車やさんから電話があり、1台見つかったから見においでと連絡がありました。早速見に行くと、シルバーグレーの46年型スカイライン2000GT4Drが店においてありました。屋根の塗装が少しはげていたり、ボンネットに傷が多少有り、そこのおやじさんは、屋根は黒のレザートップを張り、車体全体は再塗装してくれるとのことで、ちょうど50万円でOKと言ってくれました。私は直ぐお願いしました。それからまた10日ほど経ち、車が完成したと連絡があり、嬉しくて直ぐその日の内に貰いに行きました。修理完成後の車を見たら以前見た時とは別ものになって、とても綺麗に仕上がっていました。意外にも黒のレザートップは車体を低く見せ、キャビン意外の部分がシルバーグレーなので全体がシャープな感じでとても気に入ってしまいました。
後に、この車との付き合い相当長くなるとは考えもしませんでした。この車はL型直列6気筒OHCエンジンで、ブロックは後のRB系ブロックの基本になります。4速マニュアル(当時オーバードライブ5速は47年型からでした。)の車でメーターは240Kmまで刻んでありました。(GT-R仕様を標準化)
実際に湾岸で走ったらメーター読み195Kmまでは出ました。
あまりお金がなかったので、改造は少しだけ行いました。
当時、車高調なんぞはありませんでしたので、ショック交換とバネ交換です。族の連中はバネを切って車高短にしているのがほとんどでしたが、よく上下に跳ねていたので胃に悪そうに見えましたよ。
私のスカGはショックをコニーのスペシャルDでスカG用は無くセドグロ用を流用しました。バネはケンメリのバネを流用しました。ケンメリはハコスカより車重が100~150キロ位重くて、バネレートが上がっていました。しかも、ハコスカにポン付け出来たのです。かなり良い足になり、友人に乗ってもらっても、いいんじゃな~~イと言われ上機嫌でした。・・・ハコスカの巻、その5へ続く・・・
Posted at 2006/07/26 00:07:38 | |
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2006年07月24日
一週間後の土曜日、昼ごろ、シビックの白いバン(ワゴンじゃないよ)で軽井沢へ向かいました。途中、銀座通りの有名な洋菓子店で、お土産を買い、いつものノリでサンタナやセルメン(セルジオメンデス&ブラジル66)のカセットをカーステでガンガン鳴らし、そしていつものアホな会話をしながら向かったのでした。(車、下ネタ、女の事ばかり)
夕方、無事に到着し、おばちゃんはとても歓迎してくれました。そこの旦那さんも凄く喜んでくれ、また、中学生の一人娘さんもいて出迎えてくれたのです。
しかし、何か変だぞ!と、一瞬、頭の中をよぎりました。一人娘のいる家に、むさ苦しい学生ども3人を迎え入れ・・・まっいいか~~・・・とにかく、出来立てのほやほやの離の家に入り、居間で挨拶をして、お土産を差し出しました。それがえらく喜んでくれて、こちらも嬉しかったのでした。
そして、荷物を降ろし、またあの鉱泉へ一風呂浴びてきてらっしゃいと言うので、すぐ出かけました。歩いて5分くらいかかったので、以前に車できた時より遠く感じました。
家へ戻り居間に上がると、豪華な食卓になっていました。そしてビールで乾杯し、食事をしながら楽しく歓談していました。何気なく、おばちゃんは我々3人の大学の事や、実家の事など聞いてくるのです。こっちも酔っ払ってきたので、疑問も持たずに素直に答えていると、突然、うちの娘は来年、中学を卒業するんだよ・・・と言い出し、婿さんでこっちに住む気ないかね~~!と3人に向かって言ってきたのでした。あっ!!やっぱり、そう来たか・・・と思い、しかし、酔っ払っているので下手な事言えないと感じ、とにかく、まだ学生ですのであまり考えたことがありません・・・と、ちょっとごまかしながら答え、話題を変えて、トランプゲームでもやろうと言い出して、娘さんを交えてゲームを始めました。2時間ぐらい楽しくゲームをやり、夜もふけてきたので、お開きにして、おばちゃんとその家族は母屋に戻りました。3人は布団の中で、おい、さっきの話、覚えているか・・・と言い、やばいよ、やばいよこれ!とお互いに顔を見合わせて言っていました。とにかく、その事は触れずに、何とか明日、直ぐに帰ろうと言い、寝てしまいました。
翌朝、朝御飯も早々に、身支度をして、お礼を言って、どこも寄らずにさっさと帰ってきました。その後、酒屋の息子を代表にして、お礼の手紙を出しました。1週間後、おばちゃんから手紙が届きました。また、遊びにいらっしゃいと書いてありました。オ~~やばい!よく考えると、離の新築の家は婿養子を迎える為に建てたのかな、母屋もそんなに古くないし・・・もう、それっきりにしました。その後、軽井沢に行っても、あの大谷地鉱泉には近づかないようにしていました。(Yahoo検索で見つかるよ!湯船がタイル張りから大理石風になっていました。あとは当時そのままの建物ですネ~。)
それから2年間、親戚の車を借りたり、友人と一緒にそいつの車であちこちに行き、ナンパしたり、東女のおねえちゃん(めちゃ美人だった)に逆ナンされて知り合いになり、その子の友人を誘おうとしたが失敗したりで、遊びまくりの学生時代でした。やはりマイカーが無いと行動範囲が・・・と考える日々でした。そして、アルバイトで貯めた貯金がようやく50万円に達しました。知り合いの中古車販売兼整備屋のおやじさんに、全部コミコミで50万円のスカG(当時スカイライン2000GTをそう呼んでいました)を探して下さいと、頼み込みました。・・・ハコスカの巻、その4へ続く・・・
Posted at 2006/07/24 19:50:02 | |
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2006年07月23日
翌朝になり、車中泊での寝苦しさは相当なもんで、首の周りが汗びっしょりになっていました。早速、旧軽まで走り、郵便局の並びの雑貨屋でタオルと石鹸を買い、以前に行ったことのある鉱泉の風呂屋へ向かい来ました。そこは、国道18号線の信濃追分から少し入った所に在り、大谷地鉱泉というところです。(今でも在るかな~!?)鉱泉というのは摂氏25度未満の温泉を言い、温泉とは呼べないのです。そこは朝8時からやっていて鉱泉をボイラーでわかしてお風呂にしています。結構有名な鉱泉らしくて皮膚病に効能があり阪神方面からも湯治に来る人がいると、そこのおばちゃんが言っていました。実際、居間の壁には、あの肝っ玉母さん役の京塚昌子さんのサインの色紙が架けて在り、あの方は太っているので汗疹がひどく、ここに来たらすぐ好くなったと言って、よく入りに来ていたそうです。民家の風呂場を男女別にして少し大きい湯船(3人位しか浸かれない)にしたようなお風呂屋さんです。入り口で靴を脱ぐとすぐ右に脱衣場、左には12畳敷き位の居間があり、そこに大きなお膳と冷えた牛乳の冷蔵ケース、テレビなどが置いて在り、普通の家みたいな感じでした。
その一番風呂にゆっくり浸かり汗を流して上がり、居間で牛乳を飲んでいたら、そこに居合わせた近所のおばちゃんが、あなたたちは学生さんかい、と聞いてきたので、まあ、そんなものですと答えました。そしたら、時間があるならお願い事があるのだけれど、頼まれてくれるかい、と言ってきたのでした。いいスよ、どんなことですか?と聞き返すと、いま旦那が出かけちゃって、すぐ、お金を届けなくてはならなくなり、困っていたところなんだよ、すぐ近くなんだけれど車で連れてってくれないかね~!、と言ってきました。俺達は、いいスよ~と言って、すぐ、おばちゃんを乗せ目的の場所へ向かいました。18号線を7~8キロ走った所のレストランでした。用事を済ませたおばちゃんを再び乗せ、元の大谷地鉱泉へ戻る途中、車中での話で、おばちゃんが、東京から遊びに来ていたのかね~、又来週にでもこっちに来なさい。と言うのです。えっ!と思ったのです。驚いたことに、1週間後に、そのおばちゃんの家の離が新築で完成するので、遊びに来て泊まりなさい。と言うのでした。最初はビックリしましたが、とにかく、行けるかどうか判りませんが電話連絡します。とう事でおばちゃんの家まで送りました。確かに新しい家を作っているようでした。電話番号のメモをもらい、その場を去りました。そして東京へ向かいました。ポン友と車の中で、東京では考えられねーな!せっかく誘ってくれたのだから、本当に電話して泊まりに行くか~!なんて話をしながら帰りました。東京に帰り、いつもたむろしている酒屋の友人の家でその話をしたら、俺も行くと言い出し、結局3人で行くことになりました。翌日、電話をすると、例のおばちゃんが出てきて、忘れていなかったようで直ぐ、待っているからね~と言ってくれました。
そして一週間が経ち、酒屋のシビックのバンに乗り3人で軽井沢へと向かいました。そして、又、思いもよらぬ展開が・・・ハコスカの巻、その3へ続く・・・
Posted at 2006/07/23 22:28:02 | |
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2006年07月22日
運転免許を取ってすぐ、車が欲しい病にかかりました。しかし、まだまだ、車を買うにはお金が足りませんでした。運転免許の教習所に通っていた頃、その教習所のすぐ近くに従姉妹の夫婦が八百屋をやっており、旦那さんがやはり車好きであり、たまに教習所の帰りに遊びに行き、車の話をしていました。その旦那さんが乗っていたのが45年型スカイライン2000GT4Dr(GC10)ハコスカでした。しかもオールペンをしていて黒のレザートップにサンシャインレッドでした。滅多に見かけないアルミホイールまで履いていたのでした。赤のボディーのスカイラインはとても目立って格好良かったのでした。その旦那さんといつも話していたのがGT-Rの事ばかりでした。そしていつの頃か免許を取ったらこの車を貸してあげるよ、空いているときは使っていいよと言ってくれたのです。そして免許をもらい免許証を見せに行き、ちょっと遠慮しながらも車を貸してくださいと言いました。旦那さんは快く貸してくれました。実際に運転してみると、教習車とは全く違うシロモノでした。クラッチはめちゃくちゃ重いしハンドルも重い、今の車みたいにマスターバックもパワステも無い車でした。それでも、目立つ車なので嬉しくて走り回ってしまいました。それからというものハコスカに乗るのが楽しくなって、或る夏の日の土曜日、高校時代の友人のバンドグループがヤマハのポプコン関東甲信越大会に出ると言うので、高校時代のポン友とそのハコスカに乗って、前橋市民公会堂に見に行きました。予選大会でしたが、もちろん落ちました。そのとき、バンドのメンバーの一人が、あのシルバーグレーのGT-Rハードトップに乗って来ていたのでした。思わずエンジンや車内を見せてもらって、1時間ぐらいハコスカの話で盛り上がってしまいました。そして、そこで解散しました。
明日は日曜だから、このまま帰るのはもったいない、せっかく前橋まで来たのだから、どこかへ行こうという事になりました。
2年くらい前から、夏になると友人の車に乗って軽井沢に遊びに行っていましたので、道も解っているし、軽井沢へ行こうという事になりました。そして、夜8時すぎに中軽井沢に到着しました。夕飯を食べたところで急に疲れが出たせいか眠くなったので、東京には今晩帰らずに、あさ風呂に入ってから帰ろうということになり、ドライブインの駐車場で車中泊をしたのです。そして、翌朝、面白いことになってしまったのです。・・・(ハコスカの巻、その2へ続く)
Posted at 2006/07/22 22:51:55 | |
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