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天スバ STI ver. 555のブログ一覧

2025年05月24日 イイね!

令和七年 皐月総括

令和七年 皐月総括長かった、兎に角長かった。
ゴールデンウィークがいよいよ!
和訳すると、黄金週間(ぇ












働き方改革のそれは、交代勤務にも関わらず皆無に等しかった完全週休という恩恵を産み出した。
駄菓子菓子、それは業績低下に繋がるからさらに馬車馬のように働けという副産物を産み出してしまった。
昨今の新卒採用が低下する状況、それに伴う人材不足。
とはいえワタスのとこはワンオペ故に何の支障も無い訳。
それでも負担大には変わらない。
その制限された中で欠員出たらさらに負担マシマシ。
なるべく避けたいとこでもある。

日々の責務から解放され、リセットも伴う連休。
今年こそは有意義にしようと息巻いて迎えた!



GW前休んで参加した、うちのお寺で同宗派の僧侶(お東さん)を招き、御門徒の前で説法をする〖大会合 おおかいごう〗
今回30年に回る当番寺にあたった。
ちなみに江戸時代中期から伝わる山形県の内陸部にしかない当番制の行事。
この30年前に当寺に回って来てたはずだが、ワタスはまだ未成年だったなー
堅苦しい内容ではなく、現在に沿った話は、なかなかに印象強い内容だった。


帰りはやっぱりラーメン屋笑笑







いよいよGW!!
所用終えて、地元にある織田信長公を祀る建勲神社の例大祭へ。









甥っ子のバースディにお呼ばれ!




GW集大成とも言うべきか、久しぶり過ぎの遠出(  ̄▽ ̄)
しかし、道の駅とか鬼混みやん((( ;゚Д゚)))
目的地は、県南飯豊町の白川ダム水没林。
豪雪地帯にあるダム湖で、春の雪解けにより増水し、木々が水没する。
アクティビティにカヌー体験も。
湖畔はキャンプでにぎわう場所。
ホントはカヌーしたかったが、お一人様がひきずって、ただボヘーっとして終わってしまった( ̄▽ ̄;)
当然周りは家族連れやアベックのリア充ばかり←















あとは━━━━━━━━━
えーっと━━━━━━━━







何かあったはず━━━━━━





あれ、思い出せん。
つーか、ネタ切れなん?






















Posted at 2025/06/09 22:27:33 | コメント(1) | トラックバック(0)
2025年05月02日 イイね!

令和七年 卯月総括

令和七年 卯月総括新生活スタートという節目を迎えた最後って30年も前なのか……………





成人してからの4月は消防団があって、それに向けてのブラバンを素人なのに拝命受け、通常活動プラスアルファをこなさなきゃならない時期だけに憂鬱で仕方なかった。
出向で県外行って不在になるも代わりを入れることもないという摩訶不思議アドベンチャーなおもひでも笑笑







とりあえず代わり映えの無い4月をダウンロードするとしますかね。


え━━━━━━━━━━━━っと………















セルフ誕プレ着弾の巻!!!












タイヤ交換でぎっくり腰インパクト発動((( ;゚Д゚)))
今回は遅延型でこの日は単なる腰痛と思っていたが、翌朝痛すぎて5時作動の目覚ましより早く起きた。
無論起き上がるのに歯を食い縛り、唸りながら。脂汗かく思いだ。
2日ほど休みをもらい、ぎっくり腰に起きる坐骨神経痛が収まるまで約1ヶ月を要した。
今回の坐骨神経痛は腹部に来たので、腹の具合も最悪だった。
もはや脊髄に見られた軟骨の変形はヘルニア化してるため、仕事も調整。
町内会行事は幸いまだ無いが、諸般の事情と諸々参加は見合わせるつもりいた。
さしあたり4月にある市消防団全体が集まる演習含む旧町内の消防団関連は一旦欠席した。






腰痛ストレッチを進めつつ、少しずつ改善が見られるも、まだまだ。
そんななか、ソメイヨシノはまだまだだったが、2日にわたり地元の桜まつりの人間将棋が開催された。
ゲストは、サバンナのふたり、つるの剛士。








一番の目玉は、甥っ子が小学生ラストの行事となる〖維新軍楽隊〗出演!
幕末期、日本各地が戦乱の中にあって、東北各地も次第にきな臭くなってきた。
当時奥羽鎮撫総督府の先導役を受けた天童織田家藩主に代わり家老が担い、隊列を組みながら威風堂々と奥羽街道を北上し天童に入った。その隊列の中で鳴らしたのがイギリス式 軍隊行進曲の通称維新マーチ。
元は藩士が継いでいたが、天童藩陣屋跡に出来た小学校に要請しその意思を繋いできた。
五年生になると、六年生から引き継ぎ、5月の織田信長を祀る建勲神社の例大祭にデビュー、市街地を行進。
翌年の人間将棋の開会式には堂々たる演奏を披露する。
姪っ子はコロナ禍で出演自体が中止になったが、その苦い思い出を引き継ぎ、甥っ子は堂々たる演奏を披露。
ワタスは母親連れ、甥っ子の両親と合流。
悲鳴をあげる腰に歯を食い縛りながら向かい、その勇姿を見ることが叶う。

ワタスは消防ラッパ隊だったが、こっちのほうがかっこいいなと、うらやましく思ってしまった笑笑





桜まつりに間に合わなかったソメイヨシノもだんだん満開に。
遅れてエドヒガンも咲き始めた。
腰と坐骨神経痛も六割ほどだが、まだまだ。
固まった筋肉をほぐしながら魂の浄化を図る。

地元天童市のエドヒガンの種蒔き桜。



清池の石鳥居のソメイヨシノ。



寒河江市白岩のエドヒガン、種蒔き桜。




寒河江市、寒河江川の桜回廊のソメイヨシノ。
この日、まさかのみんともさんとエンカウント笑





いよいよGW!!!
愛機の整備も一段落したし、起動実験も問題無し。
さてどこに行こうか思案しながら4月は何とか生ききったかな笑笑















腰の爆弾さえ炸裂しなきゃいいけど←




と言う訳で!!!






じゃなくて笑笑

Posted at 2025/05/24 23:37:21 | コメント(0) | トラックバック(0)
2025年04月02日 イイね!

令和七年 弥生総括

令和七年 弥生総括明かりを付けましょぼんぼりn(略







気づいたら3月だぁああああああああああああああああああああああああああ

とまぁ、恒例のヤル気ナッシングな振り返りをプレイバックしてみやす。


え━━━━━━━━━━━━━━━━っと??




















久しぶりに見た霜柱(  ̄▽ ̄)














今年も迎えた3.11。
この記事は、令和七年の3.11について書いています。





翌12日に義妹祖父他界、休み取って葬儀参列へ。
帰りに鬼のように花のお返し( ̄▽ ̄;)
彼岸だったので墓前と仏壇に供えさせてもらう(*- -)(*_ _)ペコリ



参列していた年少さんくらいの子からバレンタイン的なチョコをもらう(  ̄▽ ̄)
オジチャンではなくおにーちゃんと呼ばれ、鬼の目にも涙なワタス・゜・(つД`)・゜・
このあと彼岸の入り。
珍しく彼岸の期間に墓前に手を合わせることができた。





このあとしばらくして白い日のお返しに、究極のわらび餅を出す店へ。
以前は混みすぎて入れなかったが、ようやくチャンスが巡ってきた!
ちょっと前に取材来ていたので心配していたが、以外とすんなり笑笑
そのことでしばらく店員さんと駄弁った(  ̄▽ ̄)









三男宅にお返し持参で襲来していたなか、次男夫婦が!
天に還った愛犬を見送ったとの話。
うちの司令官も今回の義妹祖父、弟のワンコも自宅で家族みんなと一緒にいて旅立った。
諸行無常は否めなかったが、だがしかし理想であり願望である終活だったな。









ケンミンショーに取り上げられた山形名物〖あじまん〗爆売れの件( ̄▽ ̄;)
天童市にある本社内で材料の下ごしらえなどをしているらしく、シーズン内はてんてこ舞いだった模様((( ;゚Д゚)))



山形市のシンボルたる千歳山。
R13山形市内を南下すると左手に見える三角おにぎりの形をした山。
ここは歌枕にも詠まれるほど有名な阿古耶姫(あこやひめ)悲恋伝説で有名だが、その麓にある千歳山こんにゃく屋は創業昭和元年ということで、今年が節目100年、そして100年の歴史を閉じると知り急いで行ってきた。
100年この千歳山登頂や千歳稲荷神社参拝者への休憩処としての役目を果たしていた。

千歳稲荷神社。








名前こそ知っていたが、何せ国道バイパス通過点の場所だったこともあり寄る機会を失っていた為、実は初来店だった。




そばこん。
麺は当然こんにゃく。
スープは和風仕立て、実はチャーシューも入っている。
こんにゃくだけにスープが絡みずらいかと思ったら、シミシミだったりしてびっくり。



味噌田楽は、ほとんど玉こんにゃくのそれ。
玉こんにゃくを半分にしたような感じ、田楽の概念がくつがえされた。



閉店ラスト2日前めちゃくちゃ混んでいて提供まで30分くらいかもと言われても辛抱して待った玉こんにゃく。
ちょっと前にラーメン屋行っといてよかった笑
実は主役が餃子っていう笑笑
オーダーしてから作るため時間かかっても待つ価値があった。




千歳山こんにゃく屋へ急ぎ向かう。
ご存知山形ソウルフードの玉こんにゃく。
一般のよりふた回りもデカイ。
中までシミていないのに十分な風味。
弾力があるのにシャクシャクと相反する食間は千歳山こんにゃく屋のお家芸だ。
もう二度と食べることができない。
じっくり味わって、古民家造りの店内の雰囲気を愉しんだ。














一番の衝撃的事案、地元局女子アナの軒並み卒業。

その中に千葉から来て30年近く山形に住まい様々な番組やラジオDJをこなす女子アナがいた。
年のころはワタスの1個上と言うのを去年辺りに知ったかな。
テレビ局女子アナというブランド。
順風満帆なキャリアライフと思ったけどやはり人生色々、色々紆余曲折はあった模様。
ラストの番組でのトークを嗚咽ころしながら、感情的になりすぎず言葉を紡ぐ。
だがしかし本心もごまかさず語りきったのは、やはりメディアを長く勤めてきた玄人たる仕事ぶりだったに他ならない。
50にして天命を知る。
ご実家に残した父親と向き合う時、自分自身の新たな生活。
その英断を寂しくもあり、それでも喜びもありのお見送りをメッセ入れながらできたかな。










3月最終日は某氏が肉体に魂を宿らせこの次元に出現した日。







真下に映るのがノベルティのネルフピンバッチ(他選択アリ)狙いと、欲しかったエヴァシリーズルームミラー!
梱包材や納品書までもがネルフ管理とは( *´艸`)

ちなみに書籍はエ○本らしい(ぇ



構想一年、みんカラでも有名な伊の蔵レザー様へDMにて制作していただいた至高の一品!



ま、この十年責務を全うしてきた自分自身への自己投資ゆえ、それなりにゼニは去っていったけども(  ̄▽ ̄)












えーっと、起承転結の結が見いだせ無くなったので強制終了しやす←


  終
制作・著作
━━━━━
 ⓃⒽⓀ

Posted at 2025/04/29 22:15:51 | コメント(1) | トラックバック(0)
2025年04月01日 イイね!

4月1日 決意表明

4月1日  決意表明年度が変わったことを機会ととらえ、今後の身の振りを決めた。















まずもって、ここを含め〖一切から身を引く〗ことにしようかと思う。
このご時世、最優先にせねばならぬことが多分にあり、親の脛かじって独身貴族で気ままに行けたらよかったが、もはやその逆となる親を面倒見る責務がある身ゆえ、まして自分一人の稼ぎで生きなきゃならないから。
もう、ギリギリダンスだよね。




まもなく人生折り返し地点目前ということもあるかな。
天命を知ることになるだろうか。
碇シンジのように、ようやく大人になれたのだろうか。




































え?冗談は顔だけにしろだって??

もう、冗談もふざけるのも卒業なんすね。
どうせ皮肉ってもふざけてもおちゃらけても真面目に行っても、人を見て罵詈雑言に批判されるわけ。
相容れられないのは相容れられないのが解ったし。
そう、磁石のS極とN極みたいね。

去年は苦流しの厄だったせいか、命の危機は回避出来ても、真綿で首を絞めるかのごとき悪縁だけは、斬っても斬ってもきりがなかった。







そういうことで、皆さん、ごきげんよう( o´ェ`o)
































































































あ、4月1日って何かあったんだっけ(謎)
Posted at 2025/04/01 20:50:45 | コメント(0) | トラックバック(0)
2025年03月11日 イイね!

令和七年の3.11

令和七年の3.11まもなく東日本大震災から14年を迎える。


夜勤あけにあの揺れが来て、まだ生後2ヶ月の姪っ子を寒くないように毛布でくるみ、母親と義妹を退避させたっけ。
そんな姪っ子も14歳かぁ。


唯一見ることが出来たレガシィのテレビには、信じられない光景。




兎に角ガソリンに泣かされた。
詰めなきゃ仕事行けないから。
夜勤あけ一晩極寒の車中で待ったっけなぁ。






本州の半分が不毛の地になりかけた時、福島第一原発の所長吉田氏の英断で救われたが、その爪痕は深くて大きくて痛々しいものだった。
地下に広がる膨大な量の燃料デブリ0.7g採取の作戦はようやく日の目を見たのかもしれない。
僅かな僅かな第一歩。









震源地側の女川町含め被災地も、すっかり様変わりした。
復旧から復興へとスイッチして久しいだろうか。





それでも、当時をリアルに残す遺構のそれは、時が止まったまま。






ブルーインパルスのモニュメントが鎮座する鹿妻駅、そばの東松島基地も大津波で襲われた。
こうして待ち合わせなどで来ているが、やはり信じられないのが正直あった。
復旧が加速して東北モーターショーが開催されるあたりには、まだ流された瓦礫が山になっていた。









阪神・淡路大震災も概ね復興は完了したみたいな話が散見されるが、当時を思い出しては悔やんだり、思った通りに元通りになったわけでもなかったり、真の復興にはなってないのが現状か。
住み慣れた我が家がもどるわけでもない、まさに不可逆的なもの。
復興とは難しいもの。


未曾有の大災害を教訓に、能登半島地震の復旧復興を祈りたいが、まともに進んでいないのは歯がゆい。


勤務前とはなりますが、本日14年目。
鎮魂の祈りと哀悼の意を表します。
Posted at 2025/03/11 14:17:00 | コメント(2) | トラックバック(0)

プロフィール

「シャア:備蓄米は関東関西の首都にのみにしか行き渡らんのか?

問屋:備蓄米解放はパフォーマンスです。民衆はそれに気づかんのですよ。」
何シテル?   06/12 21:47
天スバ STI ver. 555です。 名前の通り、出身地が山形県天童市のスバリストです(そのまま笑)。 ハンネなのにいつしか天スバってあだ名が出来、あだ名で...
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