待ちに待った盆休みも12日分余計に増えたので、ニヤニヤが止まらなかったどうもワタスでございやす(๑¯∇¯๑)
すんまへん(๑¯∇¯๑)
今回は序破急になぞらえ、盆休み三部作の破としてみますた!
<注:これより先は、センシティブな内容となりますので、閲覧の際はご自身の判断にてよろしくお願いします。
さて………
今年はいつもと変わらない、いや、初盆と言うことで我が家としては特別だった。
ただ、それだけのこと。
……のはずだった。
しかし、これぞまさしく、〖青天の霹靂〗と言うべき事案が起きた。
盆参りに来ていたワタスの弟(次男)の嫁さん(以降義妹と称する)より開口一番。
○○(義妹名)の父ちゃん、癌見つかった。しかも、転移してた。
非常に不味い状況らしい。
え?
遡ること、おっ父逝去より4月の葬儀までと、五月の四十九日と納骨で来てもらっていた。
納骨の時はひどく疲れてたなと思っていたし、時間ギリギリって言うのもひっかかっていた。
想像するに半年とか一年前には異変があったはず。
まさかおっ父を送る時には満身創痍だたのかと、その姿からは想像すらできなかった。
元来義妹の親父さんは、とにかく器用で、冬は除雪依頼で出たり、意外にも将棋駒も彫れたり、海釣り好きで最近前の型ジムニーを購入、酒も好き、自宅は設計から材料まで拘った。
義妹の上に兄二人居るが、結婚した弟を特に可愛がっていた笑
何でも出来るがゆえに、弱みを見せなかった。
ワタスのおっ父と名前が一字違い、生まれ年が同じ、年齢も同じ。
まさか、ここでも偶然が?
盆前あたりに具合悪くて病院行ってまさかの宣告。
生きる上で要ともなる肝、腎が蝕まれて転移もあるから予断は許されない。
ワタスのおっ父の時に経験した訪問介護も視野に入れ、義妹の二人の兄、弟も交え話をして。
特に親父さん同様二人の兄は、なんとかなる精神、なんとか乗り越えなきゃ精神が強かったので、今置かれた現状とこれからを理解してもらうようワタスの弟、義妹に託した。
のっぴきならない状況ではあったが、少しずつ考え方が変わってくれた。
まず、親父さんと義妹兄弟が一生悔いることがない道筋が開けた瞬間。
間髪入れず、主治医と連絡とり、同時進行で訪問看護の手配も済み、いよいよ穏やかに過ごすための緩和ケア作戦が遂行。
穏やかに命を全うし、それをサポートする。
抱え込んでいたことも色々あるだろうけど、緩和ケアを皆で関わることで昇華させ、更には最大にして最強の親孝行をすることにも繋がるだろうし、色々関わることで悔いない最期を迎えることにも繋がるだろう。
なかなか自分の息子らに頼れなかったらしく、珍しく弟に、
『皆に頼っても良いんだろうか』
とこぼしたらしい。
緩和ケアは、死を覚悟し、死と対峙したものにしか出来ない事。
それをもって互いを見直す機会にもなるだろう。
一筋の光を見いだした瞬間でもあった。
しかし、盆休み開け二日目朝イチ第一報が飛び込んできた。
宣告から一週間あっただろうか?
うちのおっ父以上に早い闘病生活の終焉。
当時親父さんはうちのおっ父の通夜で寝てる姿を見て、何を思っていただろうか?
亡くなった次の日の夕方三男弟一家と待ち合わせして、手を合わせに行ってきた。
息子さん二人と、親父さんの弟さんに挨拶と、親父さんに線香をあげた。
そこには眠った顔の親父さん。
色々雑談なんかもしていたが、長男さんが泣き出す。
うん、気持ちは痛いほど解りますよ。
うちと同じ、まだ未練のような後悔のようなのがある。
次男さんも同じだったようだ。
ただ、この急転直下のなか考え方改めて、父親に触れ支えた事で色々考え方が変わったらしい。
最期は癌の影響が強く出てしまったが、一瞬落ち着き三人の子供たちに自宅で看取られたのこと。
お袋さんに先立たれ、男手ひとつで、だったのこと。その頃には大人に近づいていたからそんなに手はかからなかったようだが、大したもんだと。
うちのおっ父の味方でいてもらい、最期送ってもらった仁義を、感謝を持ってお返しの意味を込め、最期のお見送りに参列した。
長男さんの言葉につまる喪主挨拶、聞いていてものすごく辛かった。
通夜で号泣した長男さん、次男さん、義妹を見ていてほんとヤバかった。
でも、素直な気持ちで父を送って、最大にして最強の親孝行は出来たんじゃないかと。
盆休みに、ワタスの次男弟と義妹連れて、恒例の秋田の大曲花火大会に行く約束をしていたらしい。
もうそれも果たせなかったが、皆が一致団結して、且つ寄り添えたことは良かったことだったんじゃないかと。
いよいよ週末は、極楽浄土に着く頃。
ご先祖さまや、何十年ぶりの両親、奥さんとも対面するだろう。
この4ヶ月強、礼服が手放せなかった。
そして、夏真っ盛りのイベントである夏祭り、花火大会、海、 無論オフ会含め、それらも霞むほど気が張り積めた状況だった。
自分の父親を極楽浄土へ見送ってようやく立ち直れるかと思っていた最中、立て続けにおっ父の兄も旅立って、正直我々は精神的にも参っていた。
でも、そういう時期だったのか。
今年はそういう宿命にあったのか。
人生の転換期だったのか。
……にしても、辛すぎますよ。
失うものは大きすぎたが、得るものもまたそれに比例していた。
煉獄さん、今しばらくかかるかもしれんが、真に笑えるように頑張るッス。
おっ父ー!
○○さんそっちに着いたら、色々頼むぞー!
二人で一杯ひっかけるのいいが、飲み過ぎんなYO!
~Fin.~
Posted at 2022/09/27 21:37:30 | |
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