
聖地巡礼と言ったら、やはりアニメなんかで出てきた土地を実際おとずれてみるものだろうか。
もともとアニメ絡みの場所と言ったら、おもひでぽろぽろの山形市高瀬地区の紅花畑とその一帯くらいしかなく( ̄▽ ̄;)
聖地となると、ワタス的にはやはり神仏がいらっしゃる聖域しか思い浮かばない笑
コロナ禍三年経過し、寺社の年中行事も制限を余儀なくされたが、子年から寅年になり、実に二年振りの大きな行事である〖最上三十三観音子年連合御開帳〗が寅年の今年開催された。
子年御開帳ゆえに普通に延期となると12年後。
きっと過去にもこういったことはあっただろうし、12年延期とはさすがにヒトの生きる時間の制限を考慮すると厳しいものがあっただろうし。
(まぁ、山寺立石寺は一生に一度の50年周期の御開帳だったけども)
○年周期とか言われたり、今がチャンスとか、限定的、プレミア性にはめっぽう弱いワタス笑
とはいえ、12年前全制覇したことなんて無いわけで(爆)

冬月副指令:12年ぶりだな。
碇指令;ああ、間違いない。
しかし、延期したから15年ぶりだろうな。
今回この御開帳にあたり頒布される、
左上の特別朱印。
各札所のご本尊お姿。
記念散華。
一念発起、令和四年 最上三十三観音ラリーと銘打って耐久レースを敢行してみた(違)
最上三十三観音の位置は、山形県内陸部に集中している。庄内と置賜合わせると出羽百観音と称されている。
あれ、番外??
三十四観音やん!!!
ってツッコミが聞こえる笑笑
何故番外があるのかは定かじゃないが
四国八十八ヶ所霊場(お遍路)にも番外があり、巡礼スタイルや衣装必要な用具なんかはお遍路さんにならったものなのなので必然的にそうなったのだろうか。
そしてこうした形で組織している寺社は各地にもあるようだ。
かの有名な番組で敢行されたお遍路さん!
巡礼スタイルの一番解りやすい例笑笑
10月10日、地元天童市、一番札所若松寺は若松観音を皮切りに、愛機ブルーインパルス555号機はボクサーサウンドの咆哮と共に爆走巡礼ラリースタート!!!
若松寺、若松観音。
西の出雲、東の若松と称される縁結びで有名。
創建は1300年、その後現在地に移されたのが貞観。あの東日本大震災の1000年ほど前にもあった貞観大地震もこのあたり、富士山噴火などもあり散々な年だったようだ。
ご本尊は秘仏とされ、浅草寺同様他見を禁じている。
その御前立ちを勤められているのが、江戸時代作の聖観世音菩薩立像。
約100km走破し、六番札所でこの日はおしまい。
10月16日 第七番札所から第九番札所まで133km走破。
10月23日 オフ会解散後からのため第1十番札所のみ。依然あげた芋煮会オフのあとの話笑
巡礼のみで見ると大体46km走破。
10月24日 深夜勤務初日で時間あったため、上山市の残りの札所から回ったが、1ヵ所難所というか、観音堂と御朱印所が別れてあり、更に観音堂への道が見つからずこの日も十一番札所1ヵ所のみ。76km走破。
10月25日 夜勤上がりリスタート!
ここからは、ロナウジーニョ第13号機を駆ってのアタックとなる!
前日断念した札所を再挑戦するも結局判らず御朱印所の方に聞くと、話では三十三観音ではイチニを争うであろう札所。
なんと元は山城だったところにあると判明!
おまけに歩きじゃないと行けない笑
なので、あえて御朱印を先にいただいてからの参拝となる!
ここから怒涛の追い上げ!
十二番所から十六番所まで完了、89km走破( ̄▽ ̄;)
ちなみに、この辺りは東軍山形藩は最上・伊達連合軍、対する西軍米沢藩は上杉直江軍が激突した〖出羽慶長合戦〗
いわゆる北の関ケ原と言われた合戦だった。
最上義光と伊達政宗の親戚同士、そして上杉景勝、直江兼続、前田慶次らが激突!
その前線基地が長谷堂城。
この山城に建立されたのが長谷堂観音堂。
10月26日 十七番札所から二十一番札所まで、127km走破。
なかでも村山市の二十番札所は、急峻かつ極狭道路、つづらおれ。
駐車場も広いわけではなく、ブルーインパルス555号機ではなかなか厳しく
小回り効くとはいえロナウジーニョ第13号機は息も絶え絶えな感じだった((( ;゚Д゚)))
スレ違いにハイエース来たが、ちょっと無理な希ガス笑笑
ちなみに門には、浅草寺に納めている大鞋と同サイズが奉られているが、一体どうやって持ってきたのか笑笑
10月27日 二十二番札所から、二十六番札所まで142km走破。
10月28日 二十七札所から三十札所まで113km走破。

尾花沢、大石田方面までの距離が( ̄▽ ̄;)
三十番所 尾花沢市丹生村(にうむら)の住職さんより『もうちょっとで満願ですね、気を付けて頑張ってください!』と。
ありがたいお言葉を頂戴した。
ちなみに満願とは結願と同意義もしくは同じ意味のようで、願が達成されたこと。
この巡礼の基本的概念として、ケガなく無事巡礼をなし得たことも満願となる。
10月30日 三十一番札所から三十三番札所
、そして番外、220km走破。
国道47号線は見事な秋。
この通りにある最上町の瀬見温泉は、義経主従のひとり、武蔵坊弁慶が薙刀の柄を岩に突いたことで湯が出た伝説が残る。

最上三十三観音 第三十三番札所、庭月観音。
再度戻り番外札所へ戻るが、さすがに空腹に耐えかね、鮎を捕るやな場を備えた茶屋で蕎麦をかっ食らい笑
最後の番外札所を参拝し、これをもって満願となる。
とにかく間隔が開きすぎて、順番で巡礼していたらハンパない移動距離と時間((( ;゚Д゚)))
行きやすい行程でも良かったようで( ̄▽ ̄;)
しかし、これを昔は歩きだったんだから恐ろしい…
最後はこの世ならざるもの〖トトロ〗に謁見。
見事なトトロだべ笑
それより都内からお越しの跳ね馬八気筒が居たのがよけいにびっくり笑笑
何だかんだで延べ9日、1046km((( ;゚Д゚)))
今回は御朱印携えての巡礼だったが、いつかは正式な巡礼方式に乗っとってみたい。
そして住職さんからのためになる、巡礼マナーの話など聞けたり。
特に巡礼マナーは、普段の生活や葬祭に関係する意外と知らないことも聞けたり、貴重な時間だったかと思った。
コロナ禍になり、若い人、特にワタスみたいに一人巡礼、女子だけとかもあったり意外。
三度家族の生と死を目の当たりにし、特に令和四年の4月の父親を送り出した事で色々考えさせられた。
地元の風習で見れば、御朱印頂いた笈摺(おいずり)や、御朱印帳を納棺儀に納める。
もう終活みたいなものかもしれない。
混沌とした世俗を生きることの真意、自分自身との対話、何より昔の人たちの生きた証がこの観音像や観音堂として1000年という縁(えにし)を繋げてきた空気を体感できて良かったと思った。