カラ梅雨の後、一気に暑くなって来ました・・・。
チョイ古欧州車には、一年で一番厳しい季節到来。
そんなにエアコンも効かないし、こういう時期はgtvの水温計では無く、自分の体温を上げる方が良さげです。
久し振りの休日。
今朝は早起きして、近所の彩湖をグルグル。
さすがに暑くなってきて、これぐらいで退散。。。。。
東京~埼玉の水がめである彩湖の水位は、やはりかなり低めです。
今年の夏は節水が必要な様子。
シャワーの後に、川崎市民ミュージアムへ行って参りました。
雑誌CGにも告知が出ていた、日本初の常設サーキットであった「多摩川スピードウェイ」の関連写真、資料、遺構紹介の展示です。
私は小学生まで、川崎市中原区に住んでいました。当時、多摩川を挟んだ向いの東京側には、ジャイアンツの多摩川練習場がありました。
当時の小学生が皆憧れた、王、長嶋を始め、柴田、高田、堀内、高橋一三、河埜、土井、森等々。TVで見慣れた選手を見に、父親のオリンパスPenを借りて、自宅からミヤタのショボイ自転車で、丸子橋経由でよく行っていたのです。
途中、多摩川自転車道を経由してたのですが、東横線鉄橋/丸子橋手前の右側堤防に、古びたコンクリの段々があったのを、今でも覚えているのです。
これ、多摩川スピードウェイの観客席跡だったのですね。
しかもここが日本初の常設サーキットで、本田総一郎氏も昭和11年/1936年の第一回レースに「浜松号」で弟さんと共に出場し、トップを走っていながら周回遅れの大クラッシュして優勝を逃していたとは。
鈴鹿サーキット建設やF1チャレンジの原点は、ここから始まっていたのかも?
展示の後、数十年振りに現地まで歩いて行ってみました。
東横線鉄橋も丸子橋も架け替えられていて様子は変わりましたが、この右側のコンクリ段々の光景は全く一緒でした。
上流側の一番端の観客席跡から河川敷を良く見ると、第四コーナーの痕跡が少しだけ垣間見えます。
小学生当時はその正体など知る由も無かったのですが、今回の展示を拝見して、僅か三年しか使われる事無く、戦争と共に忘れられてしまった多摩川スピードウェイの貴重な遺構だった事が理解出来ました。
「多摩川スピードウエイの会」会長は、あの小林彰太郎さんの御子息、小林大樹さんっだったのも知りませんでした。今年の
「ノスタルジック2Days」で、小林さんが多摩川スピードウェイを熱く語られています。
先日メモリアルリーフレットを設置されたそうです。
80年前に三万人の観客がここに集まり、ブガッティ、フォード、カーチス、ダットサン、オオタ等の参加車の咆哮に対し、熱い声援を送っていたんですね。
当時もこんな青空だったのかなぁ~
なんとも不思議な時間を過ごした、今日の午後でした。尚今夜のCGTVは、「多摩川スピードウェイ」特集だそうです。
Posted at 2016/07/24 22:41:30 | |
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