
ニッチツ鉱山を訪れたことのある方は、事務所前の地図を一度は見たことがあると思います。今でこそ、アクリル板が曇ってしまい、よく見えない部分もありますが、20年前はもっと良く見えました。
その時に、この鉱山から八丁峠を越え、両神を通って三峰口の駅まで、索道が通っていたことを知ります。

小倉沢にそびえ立つあの鉄塔は、三峰口まで繋がっていたんですよ。
(2011/10/3撮影)

今日はその痕跡の一つを訪れてみました。

廃道・廃線はその規模から、かなりの数と明瞭な痕跡が残っていることが多いのですが、索道(ロープウェイの事ね)は空中を移動するため、その痕跡を見つけるのは難しいと言われています。

それでも、小倉沢にはあれだけの鉄塔が残されているんだから、何もないはずはないと信じて、休みの度に山中を彷徨っていた時期がありました。

その頃に見つけた一つ。今日は久し振りに会いに行ってみましょう。

今ではこの峠を越える物好きなど、ほとんどいないと思っていましたが、定期的に人は入っているようでした。踏み跡もまだしっかりと残っています。

随分と怠けていたので
休み休み楽しみながら峠を目指します。空が明るくなってくれば、峠はすぐそこ。

お久しぶりです。

南側を向けて祀られた、首無地蔵。

右のお地蔵様には「安永三年」と掘ってあるのが見えます。江戸幕府将軍は徳川家康で、この年は杉田玄白らが解体新書を刊行した年らしいです(Wikiより)。

少し南へ下りた日当たりが良く、風の避けられるところで軽く昼食にして、本題へ。

北側斜面には、先日降った雪が残ってました。

尾根沿いに西へ向かいましょう。

赤平川をはさんだ反対側に、白石山が良く見えます。

送電線の鉄塔脇を抜けると、

ありました。まだ無事です。

去年の大雪で、山側の老木がかなり倒れたようです。それを健気に支えていました。

自然に帰るのも時間の問題でしょう。

この時期なら木の葉が落ちて、もう少し全容が確かめられるかと思っていたのですが、ちょっと想定外でした。
雪で隠れてしまってますが、碍子とか一升瓶とか湯飲み茶碗とかも周囲には散乱しています。

そこから100m程、東側。

こちらは根元から切り取られてます。残っていれば全容が見られたのでしょうが。

その他の残留物も、徐々に埋まりつつありました。

頭がないと何となく寂しいので、帰りに手近な石を乗せてあげました。
また来ますね。

と、まあ。ジムニーはこんな役にも立つのでした。

今月のコバトン。
Posted at 2015/01/22 22:03:15 | |
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