
高価なそれではありませんが、とても気に入っていたコーヒーカップを、さっきぽーっとしていて割ってしまいました。
習慣化は怖いです。
けれど、どの領域にも、無意識に形成させてしまうどうしようもない余地というものがあります。
のんびりと誰の気兼ねもなく自室でコーヒーを飲むという営みは、当たり前の要請と受け止められますが、その一方で、然様な余地を、わたしたちが生成していることは顧みられることが余りない様に思います。
自動車の運転は別種ですが、果たしてどうでしょう。
刻々自らの意識を批判しつつ、多様に状況を捉え、的確さを損なわない操作に注力する。
けれど、ここにも、あの余地の生成は、等し並みに形成されて行くと前提すべきです。
ドイツの、あの勇ましくわれわれを鼓舞した思想家は、ちいさなメモに、「わたしは傘を忘れた」と記していました。
ある種のピアニストは、ピアノの前で、この過ちを犯しません。
あらためて見習わせていただきたいと思います。
Posted at 2024/06/28 09:37:21 | |
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思い掛けない余地 | 日記