
きょう見た1990年頃のクライスラー ル バロン コンバーチブル
マスタングやリンカーン コンチネンタル マークⅢの大成功で1970年にはフォードの社長に就任し、その8年後にはフォード史上最高の売り上げを記録したにも拘わらず、ヘンリー フォード2世に馘首され、失意のままクライスラーに転職し、社長から会長になったリー・アイアコッカ。
当時ずさんな経営から倒産寸前だったクライスラーを蘇生させ、さらにKカーを大ヒットさせアメリカの英雄とまで言われたリー・アイアコッカにはかつての高級車クライスラー インペリアルは非常に魅力的な車でした。
往年のコーチビルダーの名前でもあるル バロンは、かつてインペリアルに付けられた名称のひとつでした。
リー・アイアコッカのリードによりル バロンに2ドアコンバーチブルが設定され、それはかつてのコンバーチブルを懐かしく思っていた人々に大歓迎されました。
スケールは違ってもリー・アイアコッカの記憶の中には、かつての巨大な高級車インペリアルの優美な姿が消えることなく生きていたのでしょう。
クライスラーをフォードを超える大自動車会社にするという彼の野望は、マセラティとの提携、ランボルギーニ、アメリカンモーターズの買収などが裏目に出て、会長就任の13年後ついに1992年68才で退職し、ル バロンも2年後に後を追うように役目を終え消滅しました。

1964 インペリアル

1968 インペリアル

1969 インペリアル
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アメリカ車 | 日記
Posted at
2012/06/26 22:06:05