
「ハイエース3台かあ」 とぼんやり見てたけど、
今では重量級のハイエースも初代は軽快で華奢と言ってもいいくらいの軽い車でした。
学生のころ、大学所有の初代ハイエースコミューターで教授や職員を東京の校舎~神奈川の校舎へ送迎するのは2年生部員の仕事でした。
ぼくは早生まれなので、弱冠19歳、免許取得から1年そこそこで大学教授の命を預かっていた、コンプライアンスとかの概念のないのんびりした時代でした。

(Wikiより、コミューターの画像がなくてバン)
盆暮れは部費捻出のため、部を挙げてデパートの配送のバイトをしてましたが、学生はほとんどが自転車での配達が当たり前だった当時、軽トラで多くの荷物を配れる自動車部員は他の学生アルバイトから羨望の目で見られていました。
ある日、初めての配送センターの場所が分からず遅刻して、係のおじさんに挨拶すると、
「今頃来たって自転車ないよッ」 と怒鳴られて、
「あのう、自動車で配達するって聞いてるんですけど」 と言うと、
「自動車部ならそうと先に言ってよ。待遇違うんだからあ」 と言われたりしたいい時代でした。

(Wikiより、2代目スバルサンバー)
Posted at 2014/12/14 21:00:00 | |
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国産車 | 日記