
1941年真珠湾奇襲で始まった太平洋戦争
12歳児のような国民は 「鬼畜米英」 と教えられ、「米英撃つべし」 と鼓舞されました。
が、鬼畜と教えられたアメリカ人はこんなに素敵な車を生産し、所有し優雅に暮らしていました。
1941年キャデラック コンバーチブル
タイヤ、ホイールからなにから完璧にレストアされた車のようでした。
ラスベガスでマフィアの小親分が乗るのに似合いそう。
グリルもまだラジエーターグリルと言うほうが相応しい大きさです。

ドア前縁で行き場を失っていたフロントフェンダーは戦後の1946年型でついにドアに融合し、いよいよフェンダーがボディーの一部として認識されました。
ボディー内にとどまりフェンダーに干渉することのなかったラジエーターグリルもついにフェンダーにまで伸び、バンパーもフェンダーを含めてボディー四隅を保護する形になり、新しい時代の幕開けを迎えました。

キャデラックを見た10分後に偶然見かけたライバル、60年後のリンカーン コンチネンタル マークⅧ
閑話休題
差し入れたフルーツゼリー10個のお返しにもらったLAVAZZA
これをコーヒー好きな人にあげるとまた一回り大きく育って帰ってくる (といいな)

あちこちサマーセール中で、35%引きなのでとりあえず購入。

Posted at 2014/07/23 22:25:37 | |
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アメリカ車 | 日記