1920年代
Horseless carriage つまり黎明期の自動車はまだ 「馬なしの馬車」 として車輪部分はボディーとはまったく別の 「機械的」 なもので、かろうじて泥のはね上げからボディーを守る泥除け(フェンダー)が付くだけでした。
塗色もボディーとは別扱いの黒一色でした。

1930年代
まだ泥除けとしか認めてもらえないフェンダーでも、高級車の一部から徐々に車輪も含めた車体をひとつの塊として認識しデザインする人々が現れました。

1933年
泥除けとして車体下部の汚れ役を一手に担っていたフェンダーに転機が訪れました。
一枚の鉄板として泥のはねる部分だけを覆っていたフェンダーがついに横方向に伸びて車体下部をすべて覆うようになりました。
それはもはや 「馬なしの馬車」 ではなく 「自動車」 そのものでした。

1930年代中期
優美な曲線を描くフェンダーは美しいものでしたが、ボディーの流線化に対し、ドア下のステップで終わるフェンダーはどうにも古臭く見えてきます。
ここで大きな変化としてそれまで優美な曲線を描いていたフェンダーがついに本来の泥除けとしての機能以外に量感(ボリューム)を持ち始めます。
つまりスタイリング的にボディーの重要な要素として自己主張を始めました。

1940年代
量的に自己主張を始めたフェンダーも所詮は車輪が撒き上げる泥除けに変りありません。
それはドア前縁でフェンダーがボディーからきっぱり拒絶されていることでもわかります。

1941年
フェンダーに大きな変革が起きました。
泥除けに過ぎなかったフェンダーがついにボディーを侵食し始めました。

1942年
侵略の勢いは止まらず、それまで前後左右に分断されていたフェンダーがあと少しで前後同化するところまで迫ってきました。

1948年
ついにフロントフェンダーはリヤフェンダーにまで伸び、同時に泥除けとしての使命を終えボディーの重要素となりました。

1950年代
フロントフェンダーは泥除けとしての使命を終えましたが、長年デザイン面でアクセントとして重宝されて来たリヤフェンダーはそう簡単に消し去るわけには行きません。
すべてのフェンダー要素をボディーデザインから取り去ることにはデザイナーも相当な勇気が必要でした。

1950年代後期
本来の機能はとっくに変化しているのに、まだフェンダーの幻を捨て切れません。

1959年
巨大なテールフィンのおかげで長年残っていたリヤフェンダー要素もついに消え去りました。

キャデラックが極端な飛躍をすることなく、毎年のように秩序だったモデルチェンジをし、ある種のデザインを完成させることができたのは、富める国アメリカ随一の自動車メーカーGMの中でも象徴的な位置にあったからに他なりません。
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1932年グラハム・ペイジ
キャデラックより1年早くフェンダーを側面まで伸ばし、当時としては驚異的に新しいデザインを発表しました。

1939年グラハム・ペイジ
史上もっともロマンチックなアメリカ車と言われた車も、巨大企業GMの圧倒的な力の前には消え去る他に道はありませんでした。

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1937年メルセデスベンツ540K
流線型に関して合理的なアメリカ車に対し、情緒的とも言えるヨーロッパ車

1939年メルセデスベンツ540K
フェンダーをボディーの主要素と認識するアメリカ車に対し、少々もてあまし気味なヨーロッパ車

Posted at 2016/12/05 20:43:30 | |
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アメリカ車 | 日記