
1970年から1980年までの10年間私は大和市にバイク屋を営んでいました。
私が何故この地を選んだのかと言うと当時人口に対し飲食店の数が日本で一番多い所だったのです(その後広島に抜かれてしまいましたが)。
当時はまだまだオンリーバーが多くて厚木基地の近くはアメリカの街並みを歩いている様でしたね。
私のショップは料理屋さんを改装したもので店の大きさからいくとバイク屋しか出来なかったのですが店の裏は結構広くてそこで車のチューニングやレストアをしていました。
因みにこの大和市は二大暴力団が妙にバランスをとって共存しているところでもあったのです。
だから大和では外車に乗っているのはヤクザかバイク屋と言われていたのです(笑)。
因みに当時の私の車は金色のシトローエンCX、小坂一也から譲って貰ったコーベット、それにメッサーシュミットでした(汗)。
うちのショップからは直ぐ近くに大和警察が有り、当然彼等とも仲良くしていました。
勿論やーさん達ともお友達で色々な問題の解決の相談にも乗っていましたよ。
又、昨日のブログに書いた様に厚木基地には殆んどフリーパスで入れたのですよね。
ショップは毎朝、55カップのコーヒーメーカーにコーヒーを作る事から始まります。
当時こんな大きなコーヒーメーカー等は日本では手に入らないの基地のPXから買ってきました。
コーヒーはと言うと空母ミッドウェイの乗組員が既に挽いたコーヒーを5ガロン缶に詰めたものをいつも只で持って来てくれるのですよね。
警察にとっても非番のGI達にとってもこのショップは息抜きの場所だったのですよね。
昼時になると私のショップの前にはパトカーやジープが停まっている奇妙なところでした。
GI達は無修正のプレイボーイやペントハウスを持って来るのですがそれを一番読み? あさっていたのはお巡りさんでしたね(笑)。
そして必ず「○○さん、これは証拠物件として押収する」と言うのですよね。
昔からお巡りさんは好きでしたね(笑)。
この奇妙なバイク屋の話しはもう少し続けますね、当時の日本が分かって面白いと思いますよ。
因みにタイトルフォトは当時の私のショップの写真です漫画家のイトシンさんも常連客でした。
トライアンフタイガーやメグロが見えるでしょう。
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Posted at
2015/08/25 09:24:58