
かなり昔、今から50数年以上も前になるが、川崎市に在った向ヶ丘遊園という遊園地に冬季にスケートリンクがあって、そこで本格的にコーチとフィギュアスケートの練習をしているワンピースタイプの練習着を身に付けた可愛い女の子がいた。
昨今、オリンピックでフィギュアスケートが盛り上がっていたが、ワシはその向ヶ丘遊園のスケートリンクの女の子を思い出す。
当時、スケートリンクには氷上整備員だったか、そんな仕事をしているスタッフが居て、リンクの氷の状態が悪くなると、氷の表面を削り取って整える作業車を運転して、わりと短時間で手際よく作業を終わらせていて、見ていて飽きなかった。
その氷上整備車両を運転するスタッフは、普段はリンクを滑っていて危険な行為をするゲストを注意したり、転倒している若くて美しい女性ゲストに優しく手を貸したりしていて
「ナンダ、このスケベ野郎!」と、心の中で思っていた。
ま、時効だから名前も明らかにしておこう。
ワダというヤツだ。
そんなワダなのだが、確かに滑るのはとても上手くて、ワシなどがワダに勝てるハズもなく、若くて美しい女性とイチャイチャしているワダを指を咥えて見ているしかなかった。
それである日、偶然にもワダのスケート靴をじっくり見る機会に恵まれて。
当時、遊園ではスケート靴の刃を削る有料サービスがあって、ワダが自分のスケート靴をそこで入念に手入れしていた。
ヤツのスケート靴は、フィギュアかと思っていたのだが、ホッケー用のを自分用にアレンジして、かなり手を加えていたのである。
ワシも貸し靴ではなく、マイ靴(わざわざアメ横まで行って買ったハーフスピード)だったが、ワダの真似っこしてホッケーを買って、さらにエッヂを整えた。(秘密チューンなので公開はしない)
こういう場面で、ワダに負けたくない。というか、ワダを転倒させてやる。という燃える下心は当時、中2でも凄まじいモノが有ったのである。
だがその時代、どうやって毎日スケートリンクに通っていたのか、ふと考えた。
ワシは中坊で、毎日通えるほどのお小遣いは貰っていないし、アルバイトも中坊を使うところなんて有るハズもない。
良く良く思い出してみると、当時、家で契約していた新聞屋が集金に来るときに遊園のスケートのタダ券をたくさん持って来てくれたことを思い出した。ありがとう新聞屋様。
トモダチにも配るほどの量を貰えたので、学校から帰って来ると、チャリに乗って遊園に行った。雨の日や雪の日は行かなかったと思う。
ワシの目標はワダを転倒させて、毎日フィギュアスケートの練習に来ている可愛い女の子と手を繋いでペアで滑走する事だ。オリンピック選手のように。
ところがだ、ワシ自身の滑走能力向上と引換えに、可愛い女の子は来なくなってしまうのである。
ワシはワダを転倒させることも成功するのだが、一緒に手を繋いで滑る相手は他校(稲中)のちょっと怖いJC。参考までにワシは生中。
その強面のJCが、ワシの滑走を見ていてテクニックを教えろ。と、氷上整備中のインターバルに脅された。
そんな感じで、スケートリンクに行きたくない日が続くのだが、行かないと怒られるので彼女の顔色を伺いながら優しく教える。というチビりそうな寒いスケートの日々が続いた。
ある日、スケートを終えて帰るときに、その怖いJCが「ちょっとアタシに付き合え!」って強い口調で言うので
何か気にさわったのかな?と、ビクビクオドオドしながらチャリを押して歩いて付いて行くと、登戸駅に向う途中に在ったラーメンハウスというところに入って
好きなのを頼みな。ゴチしてやるから。
ふたりで熱いラーメンを食べた。
そのJCは、2ヶ月足らずでかなり滑れるようになり、ワシに感謝の気持ちを伝えたかった。と、言っていた。
で、その日以降ようやく気持ちもラクになって仲良くなれて、遊園のスケートリンクの外周路を手を繋いでワダをブチ抜いて気持ち良く滑れた。
翌シーズンもその怖いJCとリンクで滑ったが、ワシは生中を卒業して都内の某男子高に進学し、学校から徒歩で数分の黄色いビルのスケートリンクに行くようになり、遊園には行かなくなった。
黄色いビルのスケートリンクは遊園よりもかなり狭かったが、和洋九段のJKたちと仲良くなって、彼女たちにスケートを教えて悦に入る。
これも遊園のワダ様のお陰様であった。
以下、クソ洩らしジジイ仲間からわかりにくい。とか誤解を招く。と、指摘されたために補足説明を追記。
画像は、当時モノの遊園のスケートリンクのポスター。向ヶ丘遊園は25年近く前に閉園となっていて、今はどうなっているのか知るよしもない。
「遊園」と言うのは、地元では向ヶ丘遊園のこと、「ランド」というのも有って、それはよみうりランドのことを言う。
「稲中(イナチュウ)」と言うのは川崎市立稲田中学校
「生中(ナマチュウではなく、イクチュウ)」は川崎市立生田中学校
黄色いビルは、JR中央線各駅停車の水道橋駅前のビル。
都内某男子高校とは、かつて涵徳亭(かんとくてい)小石川後楽園の向かいに在った電機学校の末裔。現在は少子化により共学になって神奈川県北多摩郡小平村辺りに疎開した。と、聞く。
Posted at 2026/02/18 02:24:26 | |
トラックバック(0) |
アーカイブ | 趣味