2016年06月09日
これも昔話ですが、芝浦のヤナセには、GM事業部、ワーゲン/アウディー事業部と並んで、メルセデス・ベンツ事業部の建屋がありました。
20代の頃、ヤナセの芝浦にスーツを着て190を見に行ったとき、出てきた営業に
「一限の客が来てるから、カタログ持ってきて。」
とこけにされたので、以来車を見に行くだけにしていたのです。
ヤナセは、縁故入社の奴が多くて生意気な社員が闊歩しているという話を聞いていたのですが、まさか自分がその目に遭うとは思いませんでした。
実際社会人として接した時も大変不愉快なやつと仕事をしました。
自動車のディーラーとしては、有名ですが、他にも北海からいわしを輸入したり、アパレルをやっていたりしていました。
しかし、そんな会社にも”変人”と言われる人が居るのです。
ほかの会社なら常識人でもヤナセの中では、変人扱いの人々のいるのが、ウエスタンコーポレーションと部品部でした。
梁瀬次郎のいきがかりもあり、補修部品の品揃えは、当時としては舌を巻くほどでした。
これももう昔ばなしですが、いま港北のIKEAがある場所は、もともとヤナセの部品センターがあったのです。
あんな大きな敷地にあったのですから、凄いことです。
そんな会社の本社の部品部は、本当に素晴らしい品揃えでした。
プラ部品等は、ほぼ数台分の在庫を持っていましたし、驚くのは、並行輸入の車でも一度でもヤナセのフロントを通れば、消耗部品は用意されているのです。
W202を持っているとき、日本に1台しかないクルマなのにフィルター類は即対応だったのには、驚きを隠しきれませんでした。
前のブログに書いた123が首都高でテンションプーリのベアリング壊れ、ヤナセに駆け込んだら
20年落ちの車の部品ですが、15分で出てきたこともありました。
また、本社の裏にあるので、本社駐車場を横切っていかなくてはならないのですが、本社の駐車場なので、置いてある車が楽しくて、ワーゲンの輸入一号車やGMストレッチリムジンなんかまで置いてあって、非常に面白かったのです。
興味深いのは、ヤナセは、顧客調査のため、サンプル輸入した仕様の車があるのですが、一部は一般ユーザーにも流れていて、そんな車も見ることがありました。
ヤナセもシュテルン系が出来てからは、弱体化してしまい、特にワーゲンの代理店を取り上げられたことで弱体化が促進されてしまうのでした。
ヤナセの栄華は、植木等の映画などでよく出てきていることでわかるように昔はそれはすごいものだったのに今のヤナセを見ると盛者必衰の摂理を見るようです。、
Posted at 2016/06/09 22:58:54 | |
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2016年06月09日
もう随分クラッシックの部類に入るW123ですが、私が持っていた頃は、俗に言う”ポンコツ”扱いでした。
その123は、クーペ。
280CEなのです。
その車は、そもそも前オーナーが、彼の娘さんの練習用に購入したものだったのです。
皆さんには、なんでそんな車が練習用になるのか疑問でしょうが、その頃のそのウチの所有車両は、W140の600のSELと600クーペ、126の560、124の320CE、109のSLCという巨砲巨艦主義の塊で、彼は小さい車を持って来いと言わせて、280CE持ってこさせてというものでした。
娘さんは、
「同級生のみんなが国産車乗ってるのに私、ベンツ嫌なの」
と言い続けていたのですが、オトーサンの趣味であてがわれたのでした。
やはり、愛情のない子が乗っている車は、クルマにも伝わるのか、よく壊れてくれたのです。
しかし、オトーサンは、
「娘が野球帽をかぶって乗っているのがカッコイイ」
とはばからず、また売った中古車屋に
「あまり壊すから、もう勘弁してください。」
といわれたので、私が面倒を見ていたのです。
私が、面倒を見ている間にもとうとうガスケットが吹き抜け、冷却水漏れが発生したので、エンジンも載せ替えたのです。
ある日、娘さんから、電話がかかってきて
「オトーサンを説得して国産のワゴンに乗せてもらえるようにしてもらえませんか?」
と言われたのです。
ちょうどのタイミングで知り合いのクルマやが、自分の足グルマのセプターワゴンを売りたいというので、娘さんに頼まれていたことを黙って、オトーサンに見せたところ、OKがでてセプターを納車したのです。
そして、さすがのお宅も駐車の場所がないから、私から
「280CEですけどどうします?」
「いらないから、あげるよ。」
これで私の所に280CEが来ることとなりました。
さぁ、流石に若い娘が気もつけずに乗っていた車というのは、めちゃめちゃです。
ただオーディオだけは、凝っていて、サブウーハーは、リアシートを削って仕込んであるので、抜群に迫力があるのです。
乗り始めた翌日、燃料を満タンにし、30kmくらい走って帰ってきて、駐車スペースに置き、
次の日、燃料計を見るとからっけつになっているのです。
おかしいなと思って下を覗き込むと、綺麗に乾いているのですが、なぜかガス臭い。
まずは、少しだけガソリンを入れてジャッキアップしてタンクを見ていると、ジワーとガスが染み出てるではありませんか!
この車の燃料供給方法がKジェトロのため、燃料の出口がタンクの一番底面にあるので見事に
カラになってしまうのです。
しかも、その真下はデフですから、よくぞご無事でという感じでした。
そのうち今度は、燃料ポンプが止まってしまったのです。
もしやと思い、燃料フィルターを点検すると、どうも新車以来取り替えた形跡がないのです。
この車は走行距離が、年式の割に少ないかと思っていたのですが、どうも距離をごまかしていたようなのです。
まず燃料フィルターを換えましたが、燃料ポンプは回りません。
「ああっ、やっぱりリレーがダメかぁ。」
とは思ったのですが、当時ちょうど並行輸入のリレーが品切れ状態で、動かせないのは困ると思い、どうしようかと思っていると、工具箱にあるサークリッププライヤに目をつけました。
そうだ、これをピンに挿せば、行けるかもと思い、突っ込んでエンジン復活となりました。
それ以来エンジンをかけるたびにボンネットを開け、サークリッププライヤーを突っ込んでからという儀式をリレーが到着するまで踏むようになりました。
さてそんなこんなで、下駄がわりに乗り始めると都内ではもう見なくなってきたカタチなので首都高などでは、注目を浴びていました。
このクルマがまともに走り始めると、燃費の悪さが目立ち始めました。
しかし、あまりの燃料系の落ち方に変だと思っていたら、燃料系のセンダーが壊れていたのです。
123の燃料センダーは、お安い構造で抵抗線の間をフロートが上下する構造なので抵抗線を替えればいいのですが、日本にはないので、解体車から外してきました。
そのあと消耗品を交換したのですが、燃費は、都内で5km/l、高速で8km/lくらいでした。
同時に室内のボロさが目立っていたので、ダッシュパネルのクラッシュパッド、シートを探して交換しました。
ここまでやったのですが、ある日前のユーザーのところに乗って行ったところ、
返して欲しいと言ってきました。
まぁ随分直したのでその分払っていただければ、いいですよ。
と言って紳士協定で先に車を渡したのですが、その後一円も貰えず頭にくる結果となりました。
その後どうなったかは知りませんが、きっとオーナーを悩ませることになったと思いたいものです。
Posted at 2016/06/09 22:23:26 | |
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