2016年08月08日
三台目の購入には、二台目購入の中にキーワードがあるのです。
そのキーワードとは、4気筒。
時間関係は前後しますが、1990年頃にインプレッサの購入検討しているときのこと、スポーツラインの2,6搭載車の出物が出てきました。
スポーツラインは、88から92年にかけて(確かそうだったと思いますが、少々記憶があやふやですが・・・)バリエーションとして出てきたモデルです。
このクルマ、2年経っていないのに超多走行で、7万キロ走っているのです。
そこで、友達Nとその車を見に行ったのです。
まだ若い自分の話で、ハイパーなクルマに興味があったので、その頃、既に最初の300Eに乗っていた私に感化されたNは、常日頃、
「ベンツ、ベンツ。」
と繰り返していたのでした。
そんな頃、知り合いの中古車屋から、
「ヤナセの下取りで、入ってきたスポーツライン2,6があるんだけど、どう?」
と声がかかりました。
行って、現車を確認すると記録簿からしても実走行のようです。
すごい走行距離だというのにNは、
「どうせオレ、休日しか乗らないから、何年持っても距離は伸びないから気にしない。」
とベンツのベタ惚れの様子でした。
「車検も残っているし、乗せてもらってもいいですか?」
と言って試乗に出かけたのです。
その中古車屋の周りは、適当に曲がりくねった道路があり、試乗するには楽しいところです。
しばらく、Nがハンドルを握っていると、
「なんか、300Eと比べて楽しくない。」
と言い始めました。
変わって私がハンドルを握る番です。
ハンドルを握ると、確かに早いには早いのですが、ハンドルが思ったるく感じるのです。
もちろんギア比なども変わっていないと思うので、焦点は、ひとえに重たいエンジンにあるようです。
この件については、ベテランのベンツフロントマンに話すと
「いやぁおっしゃる通りですよ。202にしろ、201にしろ直6ですからあのクラスのボディーにはバラ ンスが悪いですよ。」
というのですが、
「あの直線番長的な乗り味は、ベンツらしくないといえばそうですが、私は実はアレが好きなので す。」
この人は、201、202と直六を乗り継いでる方なのです。
どうもすっきりしない気持ちで帰ってきたのです。
そんな時から、はや十数年の時が流れました。
既に201が生産中止になって随分な時が流れました。
Nの201に対する情熱は、なくなるどころか、ますます強くなってきたのです。
彼も既に210のオーナーだったのですが、201への思いが立ちきれません。
そして、ある日のこと
「201探して!」
と言われたのです
流石に10数年経過しているので車に対するデーターは膨大になっているので細かい仕様の指定を突きつけてきたのです。
彼の理想の201は、
4気筒のスポーツライン。室内は千鳥格子の布張り。
これだけで部品商に言わせれば、
「オマエソレは難しいな。4気筒のスポーツラインは、90と91しかないぞ。」
車探しは、難航しました。
「せめて6気筒にしてもらえば?」
と部品商は、そう言いますが、Nは粘着質な資料魔なので認めるわけがありません。
そうこうしているうちに2年くらいたったある日、知り合いの修理屋から、
「おじいさんが亡くなって、いらなくなった190があるんだけど見に来る?」
と言われてたのです。
その車は、おじいさんが自分の生命の危険を感じた時に早々娘の名義に変えてあって書類上はツーオーナーですが、実質ワンオーナー、ナンバーも新車からのナンバー。
「孫たちのため取っておいてくれ。」
と言っていたのですが、孫が大きくなってリアシートの狭さ(ご存知だとは思いますがスポーツラインは定員4人なのです。)に不便を感じて泣く泣く手放すことになったのです。
これもまた珍しいのですが、バブル真っ只中だったので、高級品が好まれたので、革張りのシートが圧倒的に多かったため、布張りのクルマは、希少でしたので、即決で購入することになりました。
ところが、Nも
「いま車庫が空いてないから、しばらく乗っていてよ。その間に整備とかしておいて。」
というので、しばらく190、それも珍しいスポーツラインのオーナーとなりました。
昔からよく言われることですが、メルセデスの布シート表皮は、デニムとかでこするといとも容易く表皮が破れるというのですが、全くその通りで、特にスポーツラインのシートはサイドの盛り上がりがグラマラスで、なおさら擦れやすいので、この車の場合、中身がはみ出ているほどでした。
まずはここからの修理です。
うちの懇意にしている解体屋に行くと、190があるのです。
しかもスポーツラインの右ハンドル、そして布張りシート。
ただ昔のメルセデスは、助手席のシートは簡素化されている場合が多く、124あたりでもシートリフターが省かれていることがあるのです。
こちらのクルマは、左運転席側がダメ、恐る恐るシートを見ると、うまいことに右ハンドルのこの車の助手席には、シートリフターが備わっていたので、シートをアッセンで交換しました。
そして、エンジンの振動がひどかったのでエンジンマウントを交換。
そして、点火系に手を入れたことがなかったので、デスキャップ(センターピースに抵抗が入っているのですが、長時間の使用で断線して調子が悪くなることがあるのです。)、プラグコード、プラグを全交換しておきました。
それから用心のため、ドライブベルト、テンショナーを交換しておきました。
そして若干小ぶりのステアリングのステアリングダンパーを交換してやると、直進性が弱いと言われる190は、それこそ矢のように直進するようになりました。
彼が鷹揚なのは、それから半年ほど私のところへあずけていたのです。
このクルマは、現在も彼の家のガレージに眠っていることは言うまでもありません。
Posted at 2016/08/09 00:36:55 | |
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2016年08月08日
一台目を手放してから、しばらくしてウチの解体屋のオヤジから電話がきました。
「オマエ変な車好きだろう?面白いクルマあるから見に来いよ。」
と言われて、彼の作業場である城東地区の店にいきました。
行ってみると、左前がぶつかっているアンスラサイトグレーの190が置いてあります。
「なんだ事故車かよ。それにアンスラサイトか?魅力的じゃないな。それにこの年式なら珍しくもな んともないじゃん。」
「へっへっへ、そう思うだろ?トランク見てみな!」
えっ、エンブレムが付いているのですが、日本仕様の証、Eマークが付いていないのです。
今と違い、切り抜き文字ではないので、フレームに文字が並んでいるので細工したわけではありません。
「なにこれ?どいうこと?」
するとニヤニヤしながら、
「ボンネット開けてみろよ。なぁ、インジェクションがないだろう?ストロングバーグキャブの190だ よ。クルマは、88年式、個人で持って帰ってきた並行車だけど、ずっとヤナセで面倒見られてた んだ。ついでに言えば、オートマ、パワーウインドウ、MBテックス、サンルーフがついているけど
よく見てみな、なんか足りなくないか?そう、エアコンがないんだ。こんなの客に売れないだろう?
メーターは、マイルメインのマイル表示。イギリス仕様だ。面白いだろ?」
「そりゃぁ面白いけど、ブツかってるじゃん。板金やったら大変だよ。」
「何言ってるんだ!オマエ自分で出来るじゃん。必要な部品は付けてやるよ。車検が残っている
し面白いだろう?値段?全部込で、15万で、どうだ?」
その頃この年式の車で、100万以下の車などそうそうないのに破格の値段!
即購入して持ち帰りました。
さっそく、板金に取り掛かりました。
ベンツのフロント周りは、よく研究されていて、国産などで採用しているフロントにコアサポート等が付いていないのです。
フロントの構造材は、バンパーが負っていて、フロアーと薄めの下側エンドパネルから縦方向に柱が立っていて、それを中心にヘッドライト等が付いているのです。
ですから、調整が簡単なのです。
メルセデスは、未開地の板金屋でも直しやすいような構成にしてあるのです。
そこで”未開な板金屋は、フロントバンパーから取り外しました。
そうすると、押されているのが、バンパーとフロアーパネルと左フェンダーだけで、形状の複雑なインナーフェンダーは、無傷なのです。
押されているフロアー部分には、日本仕様では、エアコンのリキッドタンクがついていますが、このクルマにはないので、バンバン当金を当てて引き伸ばしてヘッドライトが載るように直しました。
そして、解体屋からもらってきた部品を組み付け、3時間ほどで板金完了です。
アンスラサイトは、不人気色だったので、解体屋にも部品がいっぱいあって、バンパー、フェンダーは、塗らずに済んだのです。
そして友達と試乗に出かけました。
まあ自分は回送してきたので、大まかには性格はわかっているので、途中で友達と運転交代をしました。
彼の第一声は、
「なんだこれ、これじゃコロナあたりと変わらない乗り味だな。どこがベンツなんだ?」
でした。このクルマは、2万マイル、つまり3万2千キロくらい走行のクルマだったので、ちょうど乗り頃なのです。
ところが評価が一変するのは、80km/hを越えたあたりで、友達が
「おおっ」
と声上げました。引き続き
「これは、ベンツそのものだ!80km越えたあたりからのステアリングの切れ方、反応の仕方、紛 れもないベンツの乗り味だ。やっぱ190は、4気筒だな。」
というのでした。
その後しばらく持っていましたが、Yという友達が勝手にやつの知り合いに売りつけてしまい、お別れとなってしまいました。
その時、念を押すように
「日本仕様じゃないから、エアコンないからね!」
と念押ししたところ、
「今度の人、自分でつけるって言ってたよ。」
何も知らないんだな、このクルマは、インジェクションじゃないから、アイドルアップ難しいのにと思っていましたが、人の意見も聞かずに素人に売りつけてきたので、知らないふりして渡してしまいました。
Posted at 2016/08/08 23:21:36 | |
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2016年08月08日
先日最善か、無か、というブログを書きました。そこで質問を頂き、回答をしているうち、以前から書いていますが、私の最高なオーナーカーはW124だったのですが、その次に台数を乗っているのが、W201なのを思い出しました。
そもそも当初は、85年にファーストカーとして、新車を買おうと考えていたのですが、その時国産初のスーパーチャージャー付きのクラウンに目がくらんで、買ってしまったのです。
その次が、海外駐在もあり、W124を立て続けに乗り、新車を買う機会を失ってしまいました。
それから何年かして、知り合いが、
「オレ635のMテクをもらったから、190いらなくなったのよ、それでよかったら置く場所もないの で、乗ってていいから、売ってきてくれない?」
というので、現在でいう190クラス、正式には、W201の正規輸入(俗に言うヤナセ物)87年に乗ることになったのです。
貰ってきて最初に驚いたのには、前のオーナーの手入れの悪さです。
このクルマは、珍しいことに5気筒のディーゼルのNAだったのですが、まず目に付いたのが、ダッシュボードのワレです。
これは、80年代のメルセデスにはよくあるトラブルで、特に青色のダッシュは、皆ワレが入る代物でしたので、アメリカにはこのダッシュの目くらまし用にオーバーカバーが売られていたくらいです。
そして走っていると、グロープラグのランプが点いたり消えたりしています。
これは、グロープラグのどれかが切断している証拠なのですが、点灯の具合で、どれが断線しているか分かるようになっています。(ただどういう付き方だったかは、忘れてしまいました。)
それを直すと、今度は、始動時にグローインジケーターがつかなくなりました。
長年、グロープラグの不良のまま乗り続けていたため、とうとうグロープラグコントロールが逝かれてしまったのです。
これはさすがに頭にきたので、前のオーナーに費用負担をさせたのですが、あの頃の価格で64000円くらいしたと思います。
このクルマは、結構売れずにいたので、一万キロくらい乗っていました。
その間にダッシュボードの良品を探していて、見つかったので、その交換に取り掛かりました。
この車のダッシュボードは、単純に見えるのですが、結構微妙な曲面で構成されており、隠しネジがあったり苦労しました。
特にこの頃はまだまだプラスチック部材が悪くて、細いプラを割ってしまったものです。
190のダッシュは基本、2種類あって灰皿が、ダッシュボードにつくタイプと、コンソールにつくタイプの2種類になります。
コンソールにつくタイプは、私の記憶が正しければ、本国のタクシー用の流用で、タクシーメーターが、取り付くような構造にしてあると記憶しています。
年式から行けば、92年式からだったと思います。
この車の手入れの悪さは、オイル漏れを見ても明確でしたが、一つ宛修理をしてどうにか商品にして手放しました。
その後この車は、オーナーの帰郷で東北地方に行ってしまったので、その後の消息は不明です。
Posted at 2016/08/08 22:30:18 | |
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