2017年04月22日
今じゃ、普通に買えるクルマで、パワーウインドウじゃないクルマってどれくらい有るんでしょ?
私が、クルマを購入出来るようになった頃、カタログをみると小型車、例えば、カローラ辺りでもSEとか、SEリミテッド、GT 、それにこの頃トヨタで流行ったリセとかライムといった女性仕様くらいしか、パワーウインドウ設定車は、ありませんでした。
軽自動車に至っては、無様なパワーウインドウモーターを室内に設置するなんてこと珍しくありませんでした。
この頃に仕事の必要から、自腹で仕事用のクルマを購入しなくてはならなくなったのです。
今までは、総務、庶務経由で社用車を購入していたから、何が来ても文句は、付けなかったのですが、新車、しかも自腹で仕事用、さて何を買うか考えるはめになりました。
心情的には、子供のこの頃からお世話になった日産から、選びたかったのです。
バンタイプは、アベニールか、ADバン、しかもこの頃は、仕事でもお世話になりかけていて、ADにするかといったところ、一方、トヨタは、既にコロバン、カリーナバンはなく、カローラしかなくなってしまっていたのです。
既にカローラも100系になって大分たっていましたし、何よりそれまで、渡されていた社用車が
カローラバンか、ワゴンだったので、カタログにでているグレードは、ほぼ乗車経験がありました。
この頃のトヨタは、商用に使える乗用車シリーズに力を入れていて、スイッチングワゴンとか後にアシスタシリーズになる車両を出していたのですが装備が、シリーズ黎明期のため装備がお粗末だったのです。
ですから、ほぼADバンの乗用タイプにきめかけていたとき、思わぬ落とし穴がまっていたのです。
それは・・・・・
その頃、AD系は、海外工場で生産されはじめた頃で、保税管理が悪く、輸出完成車からの部品盗難が大問題となっているとメーカー内部から、教えられたのです。
こちらは、急いでいるというのに・・・・・
仕方なく、カローラのスイッチングワゴン、それもディーゼルを購入したのです。
このクルマ、180万も払ったのにパワーウインドウはおろか、電動ドアロックも後ろのバックドアだけ、という有様。
仕方なく、この状態で使っていたのですが、ETCのない時代、たかが都内に出るだけでぐるぐるウインドウレギュレータハンドルを3回、同僚を横浜に迎えに行くとさらに3回が追加されるのには、いたたまれず本腰を入れて解体車を捜すことにしたのでした。
当時は、現行生産車ということもあり、なかなか解体車が、ありません。
栃木、埼玉まで足を延ばしましたが、見つかりません。
ところが、灯台もとくらし、うちの近所の解体屋に運転席ドアのない赤のGツーリングが、あったのです。
フロントが、かなり大破してるが欲しい部品は、運転席ドア以外は、あるからいいやと考え、内装とハーネス、ヒューズボックス、モーター/ドアロックユニット込みで1万という格安価格で購入したのです。
ここで感心するのは、同じ作業は、トヨタは、できますが、日産では、できないということでかす。
K11の安物に同じ作業をしようとすると、日産の場合は、アクセサリーだろうが、エンジンコントロール系だろうがハーネスを一体化してしまってあるので、車体ハーネスのそう入れ替えをしなくてはならなくなるのです。
その点、トヨタは、エンジン系とアクセサリー系が別系統になっているので、楽しくいじれるのです。
これは、電装系修理の故障診断等でも役に立つはずです。
さて、取り外してきたパーツを取り付けるのは、簡単でほとんど、工具はいらないのですが、配線を通す穴だけは、ピラー側には、空いているのですが、ドア側は、ないのでホルソーで開けます。
いよいよ、買ってきたパーツが組み上がり、ヒューズボックスも交換(実は、ヒューズボックスの裏側にあるジャンクションボックスは、車種によって違うのです。)して、ちゃんとしている助手席のパワーウインドウのスイッチを入れてもうんともすんとも動かないのです。
私は、電源は、個々のドアに供給されるものだと思い込んでいたので運転席がなくても平気だと考えたのは間違いで、パワーウインドウの電源は、すべて運転席スイッチから供給されるものなのです。
便利になるどころか、運転席以外は、はめ殺しとなったクルマを作ってしまい、何が何でも運転席側を見つけなければならなくなった私は、必死です。
そんな中、栃木県の街道筋の解体屋に100系スプリンターセダンが積み上がっているのを見つけました。
100系スプリンターは、大分ドア形状が違うはずだが、パーツ類は、同じと踏んで、工具持参で解体屋に駆け込みました。
いきなりスーツ姿の男が、廃車の山めがけて突進していくのを見て、カモと思われたのか、解体部品にしては、高値で売り付けられました。
さあこれで完成かと思ったら、また動かないのです。
テスターを当てて見るとまだ電源が来ていません。
今日は、動かさないと全部はめ殺しになってしまう・・・・・
体裁が悪いが、電源を別系統でとり、動くようになったのでした。
後日、ディーラーで配線図を眺め、ふと部品ロケーション図をみると一個リレーが足りません。
足りないリレーは、何?
何と、パワー供給リレー・・・・・
取り外した時から、欠品してたとは・・・・
事故の衝撃は、思わぬところに出るとは、言いますが、まさか、リレーがトンデルとは・・・・
この作業は、実は、再び行っていて、2回目は、2E搭載の1300で作りました。
この時は、失敗したのは、部品取りをセダンから行った事で配線や動作は、よかったのですが、リアドアのうちばりがセダンは、リアに向かって上がっているのですが、バン系は、荷室窓との関係でフラットなままなのでクルマの外から三角窓の下を見ると、内張りとラインが
あってないくらいでした。
この事で、ディーラーでは、"ウルサイ客"と思われるようになり、ずいぶん厚遇を受けることとなったのです。
Posted at 2017/04/22 20:12:56 | |
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2017年04月22日
みんカラのバナーで今年がスカイラインのデビュー60周年だというのを知りました。
今でこそ、スポーツモデルの代名詞みたいなモデルですが、出たてはごく普通のセダンALSI型から始まったクルマだったのにモーターショーででたミケロッティーデザインのスカイラインスポーツ辺りからスポーツモデルの意識がスカイラインに現れ始めたのではないでしょうか。
私のスカイラインとのつながりは、隣家の人が、プリンス系のクラブに入っていてお父さんは、コース審判員、息子は、ラリーとイった感じだったのです。
で、当然ここでS54が出て来るのでは、と思われるかも知れませんが、残念ながら、隣のうちのクルマは、4気筒S50だったのです。
「何で4気筒なの?」
子供の私が、不躾に質問すると、
「ラリーは、セクションタイムが大事だし、日本の道は、未舗装の道が多いから、6気筒じゃアタマが重くなって収まらなくなるからだよ。」
と教わりました。
その時、おぼろげに
「じどうしゃってじゅうりょうがだいじなんだ。」
と感じたものです。
ラリードライバーの関根元治氏も長らく、4気筒車でラリーに挑戦されていたことでも理解できます。
そのうち、隣のお兄さんもラリーから足を洗うと、やはり落ち着いたクルマが、欲しくなったらしく、S50の次は、GC10の70年式に変わりました。
「やっぱり、プリンスの6気筒に憧れるけど、スカイラインは、もう日産のクルマだからなぁ。」
などと含みのあることを言っていたのです。
これには、裏があって彼は、いつの日か、自分のS50を54に改造したくてS41から、降ろした6気筒を納屋に隠してあったのです。
これからしばらく免許を取得するまで、スカイラインとは、縁が切れるのです。
免許を取得すると、やってみたかった事に中古車屋のバイトがあったので早速、始めました。
ここの社用として宛がわれたのが、C110のバン、通称ケンメリのバンです。
バンは、大きい方ではない、1600の載ったヤツで、タコメーターが無いくらいで
スポーティーさは、GTと変わりません。
ステアリングも当時はやりのウレタン巻きのヤツに替えてあるシブイ仕様。
シフターもナルディがついていて、
「さすがクルマ屋だけにオシャレだわい。」
と感じたのですが、実際ハンドルを握ると余りに酷いクルマなのにビックリ!
ともかく、重たいステアリング、1600といえば、通勤に乗って来る910と同等のクラスなのに格段な重さ。
ウレタン巻きのステアリングというのもくせもので中身のウレタンが、何とも気持ち悪い手触りな上、腕の力が吸い取られているかの様な酷いものだったのです。
そして、無用に大きいリアクオーターパネルと異常に小さいリアドアガラス。
この頃、アメリカでバニングが流行っていた影響か、リア空間が暗くて初心者の私には、荷が重いクルマでした。
私は、スカイラインが嫌いになったのでした。
しかし、たまに客から預かるハコスカマニアの71年式に乗ると
「すべて、荒っぽいけどなんか、いいな!」
とは、思っては、いました。
この頃、師匠M島さんと出会うのです。
M島さんは、私と正反対で、スカイライン信奉者で、
「スカイラインは、いいクルマだ。」
と、いいました。
そして、
「足は、良いんだがな、、、だからターボが必要なんだ!」
と言われて、自作ターボを作りはじめたのです。
最初は、HGC210通称ジャパンのEX。
足が良いというのは、4輪独立懸がのクルマは、国産車にはなかったからなのです。
FF系は、トヨタの安物を除いてだいたい独立でしたが、FR系では、マーク2のグランデ位しかなかったのです。
さて排ガス規制で、イジメられていた国産車、中でも名指しではなかったですが、当時のトヨタの広告で
「名ばかりのGTは、道を空ける」
などと言われていたスカイラインは、良い素材で走りに活気が出て、面白くなってきました。
そこで、師匠と私は、3台ほど自作ターボを作りました。
そんなある日、仲間のがGCで有名な東名自動車のチューンしたエンジンを買ってきました。
それをオイルパンが同じという理由でS30にのせました。
また、その頃、二人ともHR30通称ニューマンスカイラインの純正ターボに足が替わったのです。
この時、二人で出した結論は、
「苦労してチューンしたって、メーカーには敵わない。」
このあたりから、チューンをすることを辞める事にしたのです。
R30の次は、R31ですが、31には、全く魅力を感じないまま、32にモデルが変わりました。
一目惚れもいいところ、早速GTS4を手に入れ、乗っていたところ、
「GTRが出るらしい」
というので、早速替えたのです。
しかし、これが、GTSとくらべて余り良くない。
アテーサもブレーキもGTSのまま、エンジンパワーを上げただけで、首都高あたりだとボディーだけ跳んでいきそうな感じなので早速、ニスモに入れて、足を強化したのですが、違和感はいなめず、もっと走り側のインプレッサを購入することになるのです。
こうやって自分の中のスカイラインは、なんかいつもピンぼけな感じがあるので、
「名車」
というより、
「迷車」
の感じです。
しかし、国産車の中では、伝統ブランドですから、これからも名前を引き継いでいってもらいたいものです。
Posted at 2017/04/22 13:06:45 | |
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