2017年04月23日
先日、頼まれて、部品商を駅まで迎えに行った時のこと、
「オイ、VWが、アメリカからだされていた制裁金払ったらしい。」
「へぇー、そうなんだ。さすがにここは日本だからそんなの報道されないよな?どっからそんなこと聞いて来たんだ?」
「ンー、ボッシュのヤツ。報道されてる額より、大分金額少ないらしい。VWは、胸をなておろしたらしいんだけど、汚いのは、その一部をボッシュに払わせたんだと。」
「さすがドイツ人、シナバモロトもかよ。まぁ、いくらサンプル出荷の念書があるからとはいえ、何百万って個数売ってて、しらばっくれられないわな。」
しかし、この事件、VWが悪いんだろうな。
Posted at 2017/04/23 10:43:52 | |
トラックバック(0) | 日記
2017年04月23日
ネットの記事を読んでいて
「日本では、見かけない海外で売れてるクルマ」
というのが出ていたので、何のことかと思ったら、ボンネットトラックのことでした。
その昔、ASEAN諸国に自動車産業がなかった頃、産業振興策として、自動車産業勃興の基礎としてエイシアンカー思想というのが有りました。
何はともあれ自動車を作ってみようと、いうことでボディ形状、排気量の枠は、もうけないで、日本の通産省の国民車構想とコンセプトは、似ていたのですが、ASEAN諸国は、経済が脆弱なので当時自動車輸出でアメリカが日本を叩いているのを参考にASEAN諸国で部品調達出来るように国際分業制を目指していたのです。
当然アジアの最大の自動車生産国である日本の各メーカーに協力を求めて、来たのです。
当時の現地調査でASEANの中でも労働力の質の高さ、政治的安定の点から大半の日本のメーカーは
タイに白羽の矢を立てたのですが、日産ディーゼルだけは、労働力の高さのみでフィリピンを選び
撤退することになってしまいました。
トヨタは、専用設計で今のライトエースの御先祖さま。ホンダは、セダンのシティー、これは、今フィットアリア、三菱は、フォルテ(ボンネットトラック)、いすゞは、エルフの型遅れで挑戦したのです。
実際、フタが、開いて見ると群を抜いて、フォルテが、強かったのです。
やはり、貨客両用という観点から、ダブルキャビンなどのボディーバリエーションも増えていきました。
そのうち、ストラーダとして日本にも輸出されはじめました。
順風満帆に見えたタイですが、リーマンショックの影響で金融恐慌が発生。
タイは、当時一回でも延滞を出すとクルマを引き上げるという商習慣だったので、販売会社は、引き上げたクルマで、あふれはじめました。
当然、新車は、さっぱり売れません。
特に旧型エルフでASEANにきたいすゞは、深刻で、車種追加に悩んでいたのです。
いすゞは、三菱の成功を横目で見ながら、シェアを増やすことを考えていたのですが、手持ちのボンネットトラックは、ファスターしかなく、新車種を追加、しかも短期間でです。
いすゞにとって、ボンネットトラックは、アメリカ市場に必要だったので、これを機会に生産拠点をタイにして、高収益化をはかったのです。
日本の市場でボンネットトラックが、売れないのは、"軽トラ"という最強ライバルが、あるからです。
積載重量は、ともかく圧倒的荷台の広さは、ナンバーに車体サイズ制限が入る日本では、不利だし、何よりどんな軽トラでも積むだけなら、ハーレーだって載ります。
ボンネットトラックなんて、乗用車から見れば、格が下に見えるのに、価格はたかい、ウルサイ、コスパにウルサイ日本では、受けないのは、当然です。
でも私は、ボンネットトラックの格好は、大好きなので、日本でも販売されないかと願うひとりなのです。
Posted at 2017/04/23 10:20:48 | |
トラックバック(0) | 日記