2018年01月13日
正直二ヶ月の謹慎があったのは、ボルボだけのせいではないのでした。
事故の翌日明るくなって、V70の床下を見るとコントロールアームの取り付け部分で上手く吸収されて(ということは、修正機かける必要が出てくるのです。)変形し、ドライブシャフトが脱臼という状態なので自走することは、無理なので即刻解体へ持ち込みとしました。
イーデザインは、30kmまでのレッカー引きは、無料なので、みすみすディーラーでの作業をすることなく、解体屋に直行させました。
今回は、車両保険もフルにかけていたつもりだったのですが、証書を見るとエコノミーの車両保険なので車代は出ませんから、全損査定も関係ないので、即断です。
そして、オフクロの怪我も大したことがないので、イーデザインの規定で行くと健康保険で受診した場合は、翌年の保険料に影響が出ないということでした。
しかし、それでも通院日数に応じた遺失利益、交通費、投薬代は、保険会社から出てくるので、オフクロのおこずかいの足しになりました。
そんな保険の処理が終わった頃、驚くことが起きたのです。
ウチの親戚では、一番元気な年寄り(87歳)の叔母が、入院したというニュースが入ってきたのです。
目も見えない、耳も遠い叔父(96歳存命)の面倒を一人で見てきた人で、叔父の両親、兄妹を含めると人生のほとんどを、ケアで過ごしたという、立派な人なのです。
自分的には、好きな人ではないのですが、少しでも役に立てないかと考えていたので、何が私にできるかと考えることとなったのです。
「ボルボは、もうダメだから、新しい車にしなくちゃ」
オフクロに話をすると
「アタシは、ボルボじゃなくてもいいよ。」
と言ってくれたので、役に立てるかどうかわからないけど、なにかないかと探し始めたのです。
外車では、福祉には向いていないので、国産で探してみることにしました。
すると目に付いたのが、福祉車両でした。
そうか!自分で作っていたのにすっかり忘れていた。
と思いながらネットオークションを見ていると、ウェルキャブという助手席または、後部第二座席がドアの外にせり出すタイプの車が私の希望だったのですが、そのような車両は、数が少なく自分が探しているうちには見つかりませんでした。
意外と多いのは、車椅子ごと載せられる福祉車両、スロープが出てくるスローパーというタイプでした。
この手の車は、形にもよるのですが、リアシートが折りたためるタイプの4人定員のタイプと車椅子乗車者がリアに一人という3人定員のものがあるのです。
なんて書くと知っていたみたいですが、実は、全部3人乗りだと思い込んでいたので、4にんのりがあることを知ったのが、購入して車の説明書を読んでいて発見したのです。
「よしっこれだ!」
多分この手の車は、距離を走っていても法人所有のケースが、多いと思われるので、整備の心配はしなくていいと考えていましたし、自分の購入した車両は、15万キロを越えていましたが、購入後点検してみると、エアクリーナー、ドライブシャフト、ブレーキローターは交換済み、タイヤも9mm山でした。
名変は、業者からの購入でしたので、業者名義でしたが、自賠を見るとリース会社名でしたので、予想は的中してました。
さあ種類は決まったので、実際の車探しです。
しかし、値段がこなれているのは、スズキのワゴンRばかりなので、それを中心に調べました。
すると、岐阜の方の業者が、オークションにかけている04年式MC22Sが目にとまりました。
それより安いのもあったのですが、出展取り消しになってしまい、その車だけになってしまったのです。
叔母の容態からして、あまり悠長に構えていられないので、このクルマが落とせなかったら、ボルボを買おうと思い、セリに参加しました。
ライバルが、4人ほどいたので、ちょっと躊躇しましたが、即決価格の半分をめどに値段を指しておきました。
「オフクロ、オレ叔母さんのために車椅子で乗れる車を買うよ。」
と、オフクロに言うと
「頑張ってね。よく思いついたね。誰が使ってもいい。それこそアタシに役に立つかも・・・・・・」
と言われたのでした。
セリ終了まで日数があるので、4人のライバルが竸ってくると覚悟してましたが、結果一度も価格をせり上げることもなく、落札できました。
でも、叔母を載せるまでにはいたりませんでした。
叔母は、既に意識がなくなっていて、車で移動できる状態に戻らないままこの世を去りました。
しかし、誰かの役に立つかも知れないこの車をしばらくは乗るつもりです。
Posted at 2018/01/13 04:00:16 | |
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2018年01月13日
その日は、天気もよく、おまけにいつもの休みの火曜日。
「そういえばしばらく遠くへ出かけてないな。」
そう思い立つといてもたってもいられなくなり、V70に乗り、長野へ一走り。
いつもの妙義山を見ながら、快調に走っています。
そしていつものごとく、上田で上信越道を降り、飯島商店へ行きました。
ご存知の方も多いと思いますが、上田の名物「みすず飴」の製造元なのですが、お目当ては、季節により変わるジャムなのです。
例によって、飯島商店の工場に車を入れたとき、なんだかわからないけど変な気配を感じたのです。
だからいつも以上に慎重になって安全確認をしたためか、何事もなく、駐車場にクルマを停めることができました。
「取り越し苦労だったかぁ」
と胸をなでおろし、店へと入りました。
残念なことにいつものジャムは、ちょっと時期が早く、店の人から、
「あと二週間後くらいから、店頭に並びますよ。」
と言われてしまい、さっき感じた変な気配は、このことかと解釈してしまったのです。
しかし、これは大きな間違いでした。
再び、上信越道に乗り、帰路へとつきました。
行きと違い、高速の自動車の量は、かなり増えており、富岡あたりから流れが悪くなってきました。
関越道のジャンクションに近づくと完全に渋滞状態。
「こりゃぁ花園まで一時間は見なくちゃ。」
予想的中で、秋の日は釣瓶落としの言葉通り、あっという間に日が沈んでしまいました。
あたりも暗くなり、渋滞もますますひどくなり、圏央道にたどり着くまで、混み混みが続いたのです。
圏央道に乗って走っていると、渋滞は、中央道に近づくに連れ、またひどくなってきました。
だんだんイライラしてきて、中央道までの我慢だと自分自身に言い聞かせながら、渋滞をひたすら待ちました。
そして、ようやく愛川・相模原の出口を出たらすぐに渋滞が始まっていたのです。
「こりゃぁひどいな。裏道へ行くか。」
知らない道ではありませんが、なるべくなら通りたくない道に向かっていったのです。
予想通り、地元の人間しか通らない道なので、まずクルマどおりが少なく快適です。
しばらく行くと道が二手に分かれるのですが、裏をかくつもりで、山道風の道を選んだのが間違いでした。
相模原は、関東平野にありながら、相模原台地という名称が付いているところで、標高は高くないのですが、上段、中段、下段と三段階の地形になっているので各段の境は崖になっているのです。
ですから、各段の境は急でキツイ、つづら折れになってる古い狭い道があり、結構とんでもないところに出るため、地元以外の人は通らないので交通量が少ないのです。
そして、ふっとそのつづら折れの一つに入ったのです。
私は、中段から上段に向かっていたので上り坂。
ゆっくり走っていたのですが、対抗から、妙に眩しいヘッドライトを光らせた車が降りてきました。
次の瞬間、目がくらみ、カーブの位置を勘違いしてしまい、石垣にダイレクトに入ってしまったのです。
前々から光軸のあってない車、もしくは鮮烈な光の車が多いことをブログに書いていた私ですが、まさか、まさか実害に合うとは思ってもみなかったことで、V70を破壊してしまうとは・・・・・
何しろショックで、去年はアウディに突っ込まれ、今年は自分で目がくらんで石垣につ混んでいくなんて・・・・
はっと我に返って、同乗者の無事を確認すると、
「鎖骨の辺りが痛い。」
と言っているので、警察と救急車を呼び、現場検証となりました。
警察の判断により、家族同士の争いとなってしまうため、物損事故扱いにして、保険会社の都合で必要になったら、人身事故扱いへ切り替えるということで社会的責任は果たしました。
幸い、同乗者のオフクロは、丈夫なこともあり、ベルトのテンションによる打撲程度で済み、事故の人身への変更はありませんでした。
しかし、自分自身の心のダメージは大きく、みんカラを見るのも嫌なくらい自己嫌悪になっていました。
謹慎の意味も含めて、車に乗るのを2ヶ月ほどやめていたのです。
さようならV70、いろいろありがたかったけど、こんな別れになるとは、思いもよらなかったのです。
Posted at 2018/01/13 02:44:29 | |
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