2018年05月02日
私の学生時代は、東京近郊である神奈川県の自宅から、通学していましたが、小田急線に乗るのが、大嫌いで、バイクで通学していました。
当時は解体屋で仕事を手伝っていることもあり、解体屋に入ってくる車両を格安で譲ってもらい取っ替え引っ替え、車両を入れ替えるという離れ業をやっていましたので、一般道を東京まで毎日通っていました。
私の学校は、皇居のそばであり、うちからおよそ片道35km程の道のりでした。
このくらいの距離があると、250cc位が良いのですが、私もまだ10代でしたから、自動二輪に単独で任意保険をかけると、学生にとっては天文学的数字になってしまうので、ウチのクルマの保険でカバーできるファミリーバイク特約に入っていました。
しかし、私も血の気が多い年頃だったので任意保険なしで250ccも何台か乗りました。
今考えると、冷や汗ものでよく事故もなしに済んだものだと思います。
保険でカバーされることが分かっていたので、当然原付ではかったるいし、速度制限も厳しいので、原付二種という選択肢は、当然ですが高速道路は走ることができません。
なので道を覚えることにもバイク通学は、大変役に立ちました。
それから幾星霜、大人になると仕事以外で都内に居ることが減り、また、オフクロの実家は、千葉なので、都内は素通り、しかも首都高経由ということがほとんどとなりました。
しかし今回の週末は、珍しく2日休みで、ちょうど親戚の家に子供が生まれたということもあり、久しぶりに八丁堀まで出てみようか、という気になり、何年ぶりかに一般道で都内まで出てみることにしました。
親戚のうちは、東京都下なので、都内に出る道すがら。
そこから戻って高速道路に乗るのもなぁと考えてしまったので、トコトコ一般道を都内に向けて進みました。
一般道でも神奈川県内あたりでは、それほど感じないのですが、びっくりしたのは、NAの軽自動車では、都内の流れをリードするのは、たいへんしんどいよいうことです。
走っているうちは良いのですが、完全停止の状態から、先頭で行こうとするのは至難の業で自動変速では、シフトアップされるので、常にLレンジ、2レンジを使い分けねばならず、昔と比べかなり流れのスピードが早くなったことが、実感されたのでした。
それと、普通の人はどうか知りませんが、漠然と景色で見落ちを覚えている私は、昔と比べ、とてものが変わっていることに気がつきました。
特にびっくりしたのは、東京駅のそばにある大きなNビルディングがなくなってしまったことで、このビルは、矢沢永吉のPVにも出てくるのですが、社会人なりたての私が、生まれて初めてドイツ語を習いに行ったところだったので、かなりショックでした。
よくよく周りを見回してみると、昔通っていた日本橋の界隈は、私が若い頃でも年季の入ったビルが多かったと感じたのですが、それらが立て変わっているのです。昔の丸善ビルも今や高島屋になりつつあるし、旧白木屋の東急百貨店も建て替えられていますが、以前と違い一棟のビルが立て変わるのではなく、ワンブロックが全て立て変わる感じなので、見たことがない東京の景観になっているのです。
今更ではありますが、もう少し都内を走り回って景色になれなくてはという気持ちが沸いてきました。
おそらくオリンピックのためのリニューアルなのでしょうが、今後は気をつけねば、と引き締まる思いでした。
Posted at 2018/05/02 02:09:14 | |
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