2018年09月30日
ドライブすると食べたくなるグルメというのは、普通の人には、のほほんとする題材かもしれませんが、私の場合には、切実な問題があったのです。
以前から申し上げているとおり、以前の仕事はドサ回りのセールスエンジニアなので年間10万キロ前後の走行距離をこなす仕事でした。
ただ職業ドライバーと違うのは、運転が仕事ではなく、それ以外の部分にあるわけです。
ざっくり、月20日で計算すると、一日400キロ程の移動があるわけです。
しかも圏央道も北関東自動車道もない頃だったので、北関東の辺はまさに”死のロード”でした。
それまで、内勤というか関東でも南の地域担当だった私は、日頃の食事なんて真剣に考えていませんでした。
なぜなら、
「飯屋なんて、どこか空いてるもんだ。」
という考えだからなのです。
また、職種の関係から、技術打ち合わせというのは、結構長引くもので、しょっちゅう昼休みに食い込んでいました。
打ち合わせの相手は、当然昼飯は、日々のことなので、用意があり、特に社食のあるところは、その関係から時間が厳格なのでいいのですが、そうじゃないところは、宅配の弁当なので、来客分などありません。
社食がある場合で、で気の利いている担当者の人の場合は食券をくれたりして、助かることもあるのですが、世の中そんな人ばかりではありません。
こちらとしては、住んでるところとは、違うところに来ているので、その地域の名産が食べたいものなので、打ち合わせ相手に
「この辺の名産で、美味しいお店ありませんか?」
と聞くと、不思議そうな顔をして
「ありますけど・・・・」
と切り出され、大抵その手の店は、営業は、昼1時で終わりですという絶望的な言葉をもらうのです。
まさか!とは思いながら、自分の今までの体験では考えられなかったので、
「まあ、時間おきにせずにその店を教えてください。」
というと知りませんからねという顔をしながら教えてくれるのです。
果たして、その名物店に行くと教えてくれたとおりという結果になるわけです。
そういえば、こんな経験もあります。
埼玉の東北地域で、打ち合わせの時、昼前で、客先の専務が、打ち合わせに立ち会っていたのですが、突然
「打ち合わせは中断して、食事に行きましょう。」
私は、
「ええっまだお昼まで時間があるので、もう少し話を詰めましょう。」
というと専務が、
「いやっ今日は折角〇〇さん来てくださったから、ぜひ食べてもらいたいものがあるんです。ですから早めに行きましょう。」
と言ってくれたのです。
「わかりましたまだ随分お昼には早いですけど参りましょう。ところでどんなお店なのですか?」
「いやあ、それは秘密です。〇〇さんにはドイツでお世話になりましたから。」
この専務とはミュンヘンのホフブロイハウスへ飲みに行ったので、その返礼ということで連れて行ってくれたのです。
店に到着して、専務はヒソヒソ店の人に耳打ちすると、食事が始まりました。
出てきたのは、まぁよく見かける天ぷらなのですが、なんか様子が違う。
「まずは食べてみてください。」
一口食べると、白身の魚なのに全然臭くなく、淡白なのにこってりした味わい。
一口食べて文字通りその天ぷらの虜になりました。
「いやぁ美味いですね。こんなの食べたことありません。これはなんという魚ですか?」
すると専務がニヤッと笑って、
「いや絶対気に入ってくれると思いましたよ。それね鯰ですよ。ナ・マ・ヅ」
「えっ、鯰?うなぎよりはるかに美味しいですね。」
「そうでしょう!私も埼玉出身ですが、工場をここに建ててから、ナマズって初めて食べたんですが、
見た目に惑わされて、お客さんを連れて来るにしても、ナマズというだけで、来てくれないんですよ。
だから先入観なしで食べてもらいたいので、こうしてここへお連れしたんです。」
とても洒落っ気のある専務でした。
しかし、こんなことは滅多にないことなのです。
じゃあ通常の業務中はどうしていたかというと、当然空いていると思われるところで食べざるを得ません。
今でもそのくせが抜けないのですが、お昼にカレーは絶対に避けるようにしているのがクセになっているのが、苦笑ものです。
北関東あたりは、肉系のファミレスが多く、埼玉から、茨城、栃木には南関東では見慣れないファミレスがいくつかあるのです。
それも肉ばかり。
私が、お世話になったのは、「リベロ」 「宮」 などの栃木県中心の宮グループ、「ステーキのどん」
「安楽亭」 「セナラ」 「朝鮮飯店」などなど
最近秘密のケンミンショウでやっていたので知ったのですが、宮グループの「ステーキソース」は、ケンミンのソウルフードだそうで、確認のため栃木県民に聞いたところ事実確認できたのでここに書いておきますが、栃木県民のマストフードらしいです。
まあ肉類でやっているのですが、どの店も肉は・・・・・その代わり値段は、お財布に優しかったのを今でも覚えています。
普通の人とは違った意味でのドライブ飯になってしまいすいませんでした。
Posted at 2018/09/30 01:18:14 | |
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2018年09月29日
先日異音発生の修理で、エンジンのドライブベルト2本を交換しました。
交換当初は、音が消えていたのですが、取り付け後2~3日は音が発生していなかったので、
「しめしめ、どうやら安く済んだわい。」
と自己満足に浸っていたのですが、ある雨の日にエンジンのかけ始めに
「キュッ」
と、ほんの一瞬聞こえたのです。
たまたまかなっ?と思ったのですが、それ以後同じ条件で鳴り続けているのです。
実験してみると、エアコンのオン・オフで出たり出なかったりすることが、判明したので、ポリアミドリブベルトの方ではなく、旧態依然なVベルトの方から音が出ているようなので、出先でついでに張りを再調整をしました。
しかし残念なことに症状は悪化してきてしまいました。
今までは、エアコン・オンのエンジン始動直後に一瞬だった発生頻度が、次第に長くなり、今では、始動してから数分連続して鳴っている状況となってしまいました。
もともと、ディーラーの兄ちゃんから、
「プーリーダメかもしれませんねぇ」
と宣言されていたので、驚く程のことではないのですが、そこまで直す必要があるのかな?と疑問を持っているのです。
どうせ音が出るのは、エンジン始動から数分間という状況で、一旦エンジンが掛かってその時間を過ぎると全く音は出ないのです。
これが、一般の駐車場なら異音が出てもしらばっくれられるのですが、親戚知人宅だと日頃から”自動車好き”で知られている私は、
「こんな音がしてるのによく平気だね。」
のような旨の言葉をぶつけられるのです。
特に親戚のうちでは、露骨に言われるので”自動車好き”の私のプライドに
「ズン」
と響くのです。
自動車の購入コスト、手間、部品コスト、クルマの余命と合わせるとバカらしい気がしているので、
プライドか?金かというきわめてナマナマしいことが、頭に浮かぶのです。
果たしてどうするか?
プーリーの値段を調べてからまた考えるとするかな・・・・・
Posted at 2018/09/30 00:06:10 | |
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2018年09月16日
自動車のメインになる映画で、一番私に影響を与えたのは、スティーブン・スピルバーグの映画、「激突」です。
あのケンワースの大型トラックで、クライスラーバリアントを追い掛け回す映画です。
あれを始めてみた頃は、テレビもまだ今のような大画面のものもなく、多分ソニーのトリニトロン20インチだったはずで、それまでビクターの14インチから買い換えたばかりだと思うのですが、ものすごく迫力があった気がします。
この映画は、自動車の映画としてはもちろんですが、映画としても自分から興味を持つようになった最初の作品です。
うちの親世代は、映画世代なので当然ではありますが、よく子供の頃から映画は見せられていたのですが、自分から興味を持った初めての映画であります。
しかし、この映画は厳密に言うと元々が低額な予算のテレビ映画だったのです。
これを撮ったのが、まだ学生だったスティーブン・スピルバーグというのだから驚きます。
低額予算で、撮る映画なので、かなりの工夫をしていて、映像のワンテイクで車両の左右を同時にアングルをつけて複数のカメラを使うという手法で短期間で仕立ててあるということですが、それを感じさせない迫力ある映像は、反響の大きかったことから劇場映画になったというのもうなずけます。
でも子供心に一番記憶に残っているのは、クライスラー・バリアントが踏切でジリジリとケンワースに押されるシーンでフロントタイヤのドアップのところが出るんですが、そのタイヤにブリヂストンのロゴが見て取れて、子供心に
「日本の製品ってこんなアメリカのど田舎にも輸出されているんだぁ。」
という驚きが一番なのです。
もちろん好きだというくらいなので、我が家にあった映像媒体のライブラリーに絶対あるアイテムで、今でもDVDが手元にあります。
そのほかにもいろいろありますが、確か「シェルブールの雨傘」だったと思うのですが、当時のオペルのコモドールのツードアでカーチェイスをするシーンがあって、うちの親父がポツリとつぶやいた
「オペルはこんなによく走らねぇよ」
といったことがありました。
その当時我が家のプライベートカーは、東邦モータース輸入の正規のレコルトの4ドアのオートマだったので、どんくさいオペルにオヤジが一言ポツリと行っていたのを思い出します。
まだはしりの頃のオートマですから今のよりはるかにトロイ車だったのは間違いないようです。
また我が家は、フォーマル的には日産車があったので西部警察を見ていると、うちの親父が
「もうこの方が潰される時期なのか・・・」
力なくつぶやいていることもありました。
そう考えると昔みたいに家族みんな揃ってテレビを見ることもなくなったなと今昔を痛感しました。
Posted at 2018/09/16 07:03:28 | |
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2018年09月15日
大体土曜の晩はディスカバリーチャンネルを眺めているのです。
大体というのは、全部を見ているわけではなく、その日の予定により歯抜けで見ていたので、見ていないこともあるためです。
今日はたまたま見ていられるので眺めていると、S30の日本流でいうフェアレディーZのオートマチック車をマニュアルに改造する話をやっています。
あれっ?なんか聞いたことがある話だなぁと思っていたら、自分も似た作業を行っていたことを30数年前にやっていることを思い出しました。
自分のやった作業は、これと似たことなのですが、ちょっと違うのです。
ある日のこと、うちの仲間のディーラーマンが、下取り車で面白い車が入庫してきたので、イジろうよと言ってきたのです。
彼のディーラーに現物を見に行くと、今となっては貴重品ですが、古ぼけた白の230セドリックの2ドアハードトップが置いてありました。
随分古ぼけている印象があるのですが、よくよく考えてみると生産されてから、10年ほどしかたっておらず、今の車とは大きく品質差が見受けられたものです。
しかし、当時ですからそこそこの台数が生き残っていたのにどこが面白いのかがわかりません。
「どこが面白いの?ありきたりの2ドアセドリックじゃん?」
というと、
「これがいいのは、な・か・み」
と答えてきました。
この人は当時の有名ドライバーの所有していた4気筒のスカイラインを譲り受けるくらいの人で、
「日産のエンジンは、6気筒はダメ、4気筒までだよ。」
と言ってはばからない人なのになぜだろう?
「これ6発じゃん。日ごろけなしてるイモエンジンじゃないの?
「だからさ、イモエンジンもシチュエーションによっては利点になるんだって・・・
コイツ、東名自動車のチューンなのよ。
力が有り余っていて、オートマが馬鹿になりかけているので出てきたの。
まだ車検残っているから、外乗ってきてみな!たまげるよ。」
促されるままに路上へ出てきました。
まだ排ガス規制が入っていないとはいえ、230ツインキャブのGXでも125馬力ぐらいしか出ていない時代の車、車重が1,5トン近くもあるのですから、当然とろいはずなのですが、そんなにアクセルを踏まずとも、ちょっとでも路面が濡れているといともたやすくホイルスピンを起こすじゃじゃ馬になっている。
ひとまわりして戻ると彼が、勝ち誇ったような顔して
「すごいだろう!これが二リッターセドだぜ。といっても偽だけど」
なんでもその頃珍しいL26からスケールアップした3リッターになっていて、車検も今みたいに緩くない時代の(とはいえ、53年規制は始まっていましたが・・・・)車検場を通るように見た目は、SUツインキャブを使っているというシロモノなのです。
「だからさぁ、競技するんじゃなくて、高速走らせるだけだったら重いエンジンの方が却っていいのよ。
その特性を生かしたクルマを作ろうよ」
と提案してきたのです。
そこでセド、グロじゃあつまらないから、という理由の他にもう一つ車種を絞り込むのに大事な要素があるのですが、それは何かと言うとエンジンの下側にあるオイルパン形状の問題が大きいのです。
当時日産のブル以上の2リッターの6気筒車は、走行バランスを勘案して、車体のクロスメンバーの位置を違え、走行安定性の向上を図っており、それに伴いオイルパン形状が車種によって違うのでした。
当時若く、財布の軽い者が改造でやるとなると、たとえディーラーマンの彼といえども、大金がかかるので(何しろ、オイルストレーナーから交換しなくてはならないので大変な手間も必要。)
そこでセドグロと同じ形状のオイルパンは、S30フェアレディーZしかないことが判明し、彼が業販の在庫から財布に見合う車を見つけたのでした。
確か検査半年残りで、5万(だったような・・・・なにせ30数年前の話なので・・)の71年式のZを購入してきたのでした。
このクルマは、5段マニュアルだったのですが、ディスカバリーチャンネル話と違うのは、エンジン側が、オートマで、ベースになるZが、マニュアルだということでした。
その頃は、HKSとかブリッツといったチューニング屋ができたばかりで、強化クラッチを買いたいけれど高くて買えないので、考えた挙句に当時の430セドグロの覆面パトカー用のクラッチを組んで対策をしたのです。
また、エンジン自体がAT仕様ですから、フライホイルがないため、2リッターのフライホイルを加工してつけました。
今考えると冷や汗ものですが、金がないときは、こんなふうにして改造をしていたものです。
しかし、こんな拙い改造でもベースのエンジンが良いと、バカみたいに早くなるもので私の人生で初めてオーバー200したのもこの車でした。
そののちこのクルマは、次の車検をとった時点で、仲間うちでもっていたウエーバーの3連に付け替えられたのですが、改造当初の威力がなくなり、単なるハッタリ改造となってしまいました。
実は最後の二年は、あまり縁がなくなったので、ディーラーマンの趣味になってしまったのですが、今となれば、とっておいたらよかったのになぁと思っています。
そしてなによりこの番組を見て思ったのは、国内仕様のZのエンブレムは、「Z」または、「Fairlady Z」
なのですが、アメリカ仕様の240Zは、「Datsun」の表示。
これは当時の状況を知る者は、たいへん羨ましい。
なぜなら、当時は、ジャパンダットサンサービスという会社が販売していて、大変高価だったので買いたくても買えない貴重なものだった、ですから番組を見てるだけでワクワクしてしまったのでした。
ああ懐かしい!
Posted at 2018/09/15 23:56:29 | |
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2018年09月14日
今回、異音の相談をディーラーに相談すると、
「MC22Sは、結構クランクプーリーがダメになるクルマ多いんですよ。」
「えっそんなに高度な構造なんですか?」
と尋ねると
「いや、単純にプーリーの面が痩せて音を立てるんですけどね。」
まぁそうだろうなと思う程度の構造でしたが、実は、私自身結構、プーリーの問題で経験しているのです。
新し目のうちに発生するトラブルは、あの信頼性の塊のトヨタで3回ほどの経験があります。
毎度書いていますが、若い頃は、地方ドサ回りの仕事をしていたので、距離の多さからしょっちゅう社用車が変えられるという環境でした。
ちょうどベルトが、それまでのV断面のVベルトから、ポリアミドの幅広リブベルトに変わる時期の真っ只中と重なるのですが、旧来のベルトに比べて効率よく動力伝達をする分、音の出やすい代物で、その音消しに躍起になっている時期でした。
CT190コロナの場合は、「ガラガラ」という音がアクセルの踏み始めに出るという症状でした。
納車されて5000kmほどしか乗ってない時期から、出ていたのですが、リース担当の整備工場では、原因がわからず、それから20万キロほど乗って、
「ひょっとして?」
と考えて確認したところ、幅広い分鳴きやすい性質のベルトのため、クランクプーリーの周りが非常に凝った構造が試されていた時期だったのでクランクブーリーが、一体ものではなく、外側と内側が別部品で、トヨタのそれはラバーのダンパーが溶着されていたので、それの製造上のばらつきで密着度の悪い奴があったのです。
そのおかげでST190 AE95でも経験したのですが、CTと違いガソリンである二台は、10万キロ前後で経験するのですが、恥ずかしいのは、2台とも駐車場から出るときだったので、クルマが停止して、その場で振り返るとバラバラになったクランクプーリーが、転々と落ちているというものすごい恥ずかしい光景が起こっていました。
そのほかにもプーリーによるトラブルは、メルセデス、ゴルフでも経験していて、距離が多くなると注意の必要な部品だと思います。
みなさんも走行距離が10万キロ台になったら、注意してください。
Posted at 2018/09/14 02:24:18 | |
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