2018年11月25日
今日は珍しく何も予定を入れてなかったので、ボヤボヤとした休日を送っておりました。
気が付くと、6時になろうとしていたので、しばらく見ていなかったバンキシャでも見ようかと思い、テレビをつけました。
いきなりカルロス・ゴーンのアップから始まったバンキシャは、日産の最高経営責任者の逮捕ということを筆頭になっていました。
この人が日産の会長に就任した時にたまたま来日していたアメリカの奴が、
「この人がルノーにいるとき、何やったか知ってる?」
と、私に質問してきました。知らないと答えると、
「この時別の重役(名前を言われたけど忘れてしまいました。)」と組んで、大幅な人員削減したの」
確か、それまでは、ルノーは公団で国の所有だったはずで、改革を推進するには、難しいポジションの会社だったのを改革したとなんかで読んだ記憶が蘇ってきました。
まあこの時もマスコミの情報によれば、ヨーロッパ的なコストカットが英断されると書かれてはいましたが、まあそんなところだろうなと予想して言いました。
「で、どうなったと思う?」
とさらに畳み掛けてきたので、奴に更に知らないというと、
「その組んでた重役は、労働組合系の連中に襲撃されて、殺されたよ。日本の企業だったらそんなことにならないとは思うけど、きっと最後は、円満退社じゃないだろうね。」
アメリカ人が自信有りげに語っていました。
いや、まさかあの時奴が言っていたことが、現実になるとは、思いもよらなかったのです。
日本では、ホワイトカラーとブルーカラーというのは、それほどではありませんが、欧州あたりでは、大変な格差が出ます。
一般労働者から、経営側に上がれるというチャンスは、まず絶対にありえない。
ドイツあたりでは、工場労働者というのは、労働組合という会社の外からの派遣で成り立っていて、普通製造ラインにいる連中は、メーカーの従業員ではないのです。
だから、仕事上のミスが起きて、争議になったとしても労働組合の弁護士らが出てきて調停するというのがセオリーなのです。
当然、責任感もありません。
私がいた会社は、ドイツの法律による会計を公開しなくても良いGmbHという会社で、しかも創業家オーナーという会社だったので、そのヨーロッパ型企業の構造を間近で見ていたのです。
そして、この手の構造の会社は、実質的な会社の経営は、雇われ重役が担当して責任を負うという構造なので、大きい会社よりもはっきりとした会社の骨格が見えてきます。
大体欧州系の会社はこの手の構造が多いのです。
わが友部品商とて、このスタイルの経営方針に晒されているので、彼の営業の苦労が現れるのです。
というのも、彼らは経営方針で大胆な営業成績の向上を求めており、また当の営業責任重役もオーナー家から、営業手腕を見込まれて雇われるので、明確な営業成績向上を求められているのです。
例えそれが、実際の営業規模に比べていて著しく違っていてもやらないと、会社をクビになるのです。
若い頃の部品商は、真面目一本槍の性格だったので、毎月月末になるとストレスのピークとなり、私と一緒にキャバクラで憂さを晴らす生活をしていたものです。
最近は、日本市場の動向をきっちり報告することで責任を逃れていますが、昔の彼は、それはそれは、かわいそうなもんでしたが・・・・
と少し横道にずれましたが、バンキシャの報道を見ていると、とんでもなくゴーンを持ち上げているのを見ていると、白人を持ち上げているのが見え見えで、たしかこの人日本着任時から、日産の車には乗ってないはずなのに当時のフェアレディで番組に登場させるなど、過剰な演出が見られたのです。
まだまだ日本では外人崇拝が抜けていないのかと、がっかりさせられる内容。
相変わらずマスコミって偏重報道なんだなと実感させられた時間でした。
Posted at 2018/11/25 20:20:14 | |
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2018年11月25日
自分自身が、最初のオーナーになったのは、かれこれ30年ほど前ですが、車としては縦目のコンパクト230ー6、72年式がウチにあったのでかれこれ50年近く前から接していることになります。
以前にも書いたことがありますが、子供の頃から変わった子供だったので、車に入っているブックレットは必ず引っ張り出して、全部読んでいました。
このメルセデスが来る前は、我が家の貧乏の最たる時期で、クルマもホンダZの31馬力エンジンのシングルキャブだったので、世界の車の最高峰、メルセデスが買えるようになったのは、子供心にもとても嬉しくて、何度もグローブボックスを漁り、添付されていたブックレット見ていたことを思い出します。
この時、国産の車と大きく違うなぁと思った(ホンダも結構変わっている方で、Zのブックレットには、車のコンセプトを書いた小冊子と、ホンダ直営多摩テックのご優待券が入っていましたが・・・・)のは、今流で言うパーツのピクチャーブックと乱数表のような数字がびっしり書かれているカード、ビーグルアイデンティファイカード、通称VINカードでした。
それまで、ウチには、クラウンRS型、ヒルマン、ベレット、40クラウンとありましたが、どれにも載っていないものでした。
うちの親父の癖で、歴代の車たちの取説は、我が家の本棚に入っていたので、気軽に見ることができたので、記憶すらないというか、世紀前頃の自家用車もそれらの資料を見ることによって何があるかわかったのです。
それで見たことのない本に興味津々で、来ていたセールスに尋ねると、メルセデスは、世界中に売っているので、未開の地でもオーナーが出先にいても困らないようにするためですと言われたのです。
しかし、それから十数年後初めて、自分でオーナーになったとき、その話が嘘であることに気がついたのです。
初めて買ったメルセデスは、190でしたから、当時貧乏人のメルセデスと言われていた車(それでも車両は、545万円だったのは、今でも忘れません。)なので昔の面影はないのかと思いました。
しかし、当時はパーツピクチャーブックレットとして部品で販売していましたので、一にも二にもなく、オーダーをしたのでしたが、注文した時にフロントマンから、
「なににつかうんですか?」
と不思議そうな顔をされて聞かれたので、得意気にセールスに聞いた話を披露すると、
「なんにも役に立ちませんよ」
と突っ込まれたので、話を聞いてみると・・・・・
実はピクチャーブックレットは、大雑把な部品表示で、日本のメーカーが出しているパーツリストとは、全く性格が違うので、参考になる程度との事。
実際には、そのページと同じ番号で、マイクロフィルム上(当時の話で、今は完全にエレクトリックパーツカタログ、通称EPC)で追っかけ、更に詳細ずをマイクロフィルム上で調べなくてはならないのです。
そしてよしんば、その部品が出てきてもそのあとがきに”フットノート”と表示されているとさらに厄介なことになってしまうのです。
私がメルセデスに乗っている頃は、少なかったのですが、最近は販売促進策で多い特別限定車のたぐいのパーツで、私の場合、W210のAMGがそれに当たり、メルセデスの標準の車体番号表記からすれば、430Eなはずですが、EPCで引っ張ると、AMGと表示されるような車でしたので、内装等が通常の430から変更になっていて、サービス部問い合わせのことと表示されたりするのです。
ついでに言うとVINカードは、二桁の数字の後ろに10個の数字が出ていますが、フタケタは、カテゴリーで後ろの10桁がその中のパーツグループ番号になっているのです。
どういうことかというと、メルセデスは、本国ではフルオプションなので、極端に言えば全く同じ車というのは基本的にないのです。
しかし、それでは顧客もディーラーも混乱してしまうので、オプションの基本的な組み合わせを設定しているのです。
その部位を二桁で表し、後の十桁で設定されたオプションの部品のグループを表しているのです。
例えば、日本の場合設定がないオプションといえば、極地仕様で、代表的には燃焼ヒーター、リアの熱線の密度の濃いタイプ、MBテックス、マニュアルシフトなどです。
日本の標準輸入のクルマは、昔で言うヤナセの輸入担当が決めていたので、よく昔の業者は、ヤナセ標準車、とか標準車と呼んでいました。
日本のリアの熱線ガラスは、温暖地向けの仕様しかないのです。
なんだかパーツピクチャーブックレットを持ってると、マニアックになった気になりますが、メルセデスというのはさらにその上を行く、変態的暗号によってパーツのイミテーションの侵略を防いでいるのです。
だから自力で調べるよりは、ディーラーマンと仲良くなっておいたほうが何かとお得です。
ちなみに日本のEPCだとランダムにアルファベットなどを入れ、ドイツで10桁で表記している部品番号を11桁で表示していて、並行輸入業者の本国部品問い合わせを阻むようにしている部品もあります。
本当に難しいいですよ。
Posted at 2018/11/25 01:12:14 | |
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2018年11月10日
ワゴンRに乗り換えて一年が経過しようとしています。
本気で軽自動車を所有したのは、本当に久しぶりで、偶然にも今まで所有していたのは、スバルサンバーとミラアヴァンツァーという軽自動車の中でも珍しい4気筒を持っていたので、3気筒の軽自動車は初めての所有です。
このクルマは、岐阜からネットオークションで購入したものですが、陸送やにカネを払うのも癪なのでその分をお土産に変えて、自分で取りに行くことにしました。
もちろん予想をしていたことですが、高速道路を400km以上走るということは、」苦痛以外の何者でもなく、第二東名を走らずに帰ってきました。
よく東名横浜あたりで見かける地方ナンバーの軽自動車を見ると、
「いやぁご苦労さまなことだ。」
と思っていました。
しかし、いざ街の中に入ると、矢張り大変使いやすく、いつもと違う駐車場など、
「もっと狭くてもいいのでは?」
と思うのです。
また旧来からの街並みなど、大変曲がりやすく、今まで乗っていた普通車の寸法とは全く逆の感じです。
特に直近のボルボだと比較的着座位置が低く、街乗りは少々めんどくさい感じが伴っていたので、この使いやすさは、本当にありがたいです。
ただ、家族の評判は好ましくなく、特にV70フリークのオフクロは、
「シートが悪い」
と酷評です。
当たり前の結論ですが、車にはそれぞれの役割があるということ。
「適材適所」
これを守らねければ、不満がたまると思います。
今しばらくは、これに乗っているとは思いますが、
最近、オフクロも
「あんたがいいならボルボじゃなくてもいいよ。」
とは言ってくれるのですが、イマイチボルボ以外が頭に浮かばないのは、私自身も病気でしょうか?
Posted at 2018/11/10 21:21:16 | |
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2018年11月10日
結構前にこのブログで、イッテQについて書いたことがあるのですが、
「きっとこの番組は、そのうち問題を起こすだろう」
と思っていました。
それまでこの番組が結構好きな番組だったので、よく見ていました。
しかし、ある年(というか何年前か忘れてしまったというのが本当のところですが・・・)の番組で、年末に一日何か国回れるかという、ベッキーが回る企画だったのです。
たまたまスタートが、オーストリアからか、スイスでそこからオーストリアを抜けてドイツに入り、チェコに行くというコースだったのですが、幸か不幸かこの地区に住んでいたのです。
当時住んでいた下宿は、夜景の右手がドイツ、左手が、チェコ、真ん中がオーストリアという、国境の町でした。
昔のヨーロッパ映画でよく見かける赤白のポールと電話ボックスののような看守所のような国境があるような街。
しかし逆に言えば、それほど交通量が多くないのです。
おまけに言えば、バイエルン県の中でも最も不便な場所で、アウトバーンがないくらいのところで、建設中という、とんでもない田舎なのです。
この時の番組もまさに”私の地元”を通る企画だったので非常に興味を持っていました。
特にオーストリアから、ドイツに向かう経路は、番組のテロップから見ても間違いないと思っていました。
でも前述のように超不便な土地ゆえ、そんなに早く移動できるのか?と疑問持たざるを得ません。
というのもドイツの一般道というのは、アウトバーンとは正反対で、昔の領地の境を縫うように通されているため、街と街の間は、上限100km/hの制限ですが、曲がりくねっていて、油断していると道路外横溢となってしまうような道、走ってる当初カーブのそこここに小さな額みたいのものが建っていて、最初は何かわからなかったので、車を止めそばで見てみると、なんと、その場所で亡くなった人の名前と写真が飾ってあるとは・・・
そんなところなので、移動速度はそんなに上がらないはずだとはわかっていたのですが、案の定オーストリアからドイツの区間は、見事にカットされていて、
「ああ矢張りテレビのご都合主義だな。」
と思い、こりゃこの番組きっと適当に作りごとを混ぜ込んでいることを確信したのです。
オーストリアからチェコなんて、日本の一般人などまず現れない場所だろうと踏んだのでしょうが、ごくまれに私のような人間もいるので、ごまかして番組を作ったんだろうなと認識したら、とたんに興味が無くなってしまったのです。
この時、この番組、これから先、捏造で挙げられる日が来るのではないかと感じたのでした。
娯楽番組だから、この程度なのかという見方もありますが、テレビというのは、非常に有力なメディアだと思うので、極力事実に忠実にやってもらいたいものです。
Posted at 2018/11/10 20:54:43 | |
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2018年11月08日
昨日は、休みの日なので、食事にでも出かけようかと思って、オフクロに声をかけたら、
「自宅で食べればいいでしょ。」
と言われたので、真昼間のテレビを見ていました。
テレビ東京を見ていると、午後のロードショーは、ブラックレインです。
「結構昔に見たなぁ。」
と思いながら、見始めました。
リドリースコットは、アジアの混沌を表現したかったようですが、日本が綺麗すぎるということで、随分ロケ地には困ったとウイキペディアには書いてありましたが、ちょうどバブル期のタクシーがたくさん出てきて大変懐かしく見ていました。モータープールでの襲撃のシーンオフロードのバイクだというのにエンジン音がマルチシリンダーエンジンの音に吹き替えられているのは、ご愛嬌でしたが、スズキのRHシリーズなど自分で所有していたのを思い出しました。
そして明らかに覚えていたのが、最後の農場のシーンで、この映画が撮影される頃、190に乗っていた自分としては、松田優作が126のベンツに乗って登場するのが妙に印象的だったのです。
その当時から不思議に思っていたのですが、若山富三郎率いるヤクザの親分衆が、みなアメ車のリンカーンのタウンカーや、キャデのフリートウッドに乗ってくるので、
「こんなにアメ車集めたのか」
と感心していたのです。
でも当時から、あの登場する建物は明らかに日本ではないなとは思っていたのです。
しかし、今回そのシーンを見て、「あっ」と気がついたのです。
それは、126のフロントウインドーにゴットリーフダイムラーのサインが・・・・
あのステッカーは、アメリカ仕様に貼られるステッカーで、シルバー地に黒でゴットリーフダイムラーのサインが印刷されているのですが、あれを見つけた瞬間、
「ああ、アメリカでこのシーンとったな。」
長年疑問だった思いが氷解した一瞬でもありました。
最近は、有線で昔のコロンボシリーズを50周年記念として放映しているのですが、コロンボフリークの私は、全部記憶しているつもりでいました。
ところが、やはり人間の記憶というのはいい加減なもんで(というかディテールまでは気がつかにというか・・・)登場してくる車に全然覚えがにことには、正直がっかりです。
この間もバックに赤のSRL311が写りこんでるのに気がつきましたし、キーパーソンがオペルに乗っていたり、107SLが大量に出ていたりと自分の記憶力にはがっかりですが、新鮮な発見もできるのがとても嬉しく思えるのです。
まぁもっとも、ストーリーは犯人を見ると思い出すので、それだけでもかなり余裕を持ってみることができるのかなと思えるのです。
で、昔から、コロンボシリーズに出てくる車は、初期の金持ちは、アメリカ製の高級車だったのが、だんだんヨーロッパ物に変わっていったというのに気がついたのですが、ロールスロイスが意外に多く出てきます。
しかし、植物研究家の話で、ツードアのベントレーが出てくる以外は、量産型のシルバーシャドーが圧倒的に登場していて、珍しい車は、推理作家の回でコーニッシュが出てくるくらいなのは、メインに撮影された時期が70年代なのは致し方がないところかもしれません。クラッシクロールスが好きな人には、ちょっと残念ですけど・・・・
それとやはり何処ぞの部品商と同じく、コロンボはプジョーに乗っていますが、あのプジョーは、アメリカに多いのか?アメリカ人に質問したことがあるのですが、たまたま質問したヤツが、コロンボが好きで、なんでもコロンボの撮影が始まる時にピーターフォーク自身が、撮影所の駐車場で選んできたというエピソードがあるそうです。
今でもそうかもしれませんが、アメリカのユニバーサルスタジオでトラムツアーに行くとあのプジョーに出会えるのは、とても楽しみなことの一つです。
Posted at 2018/11/08 02:38:58 | |
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