2018年11月10日
ワゴンRに乗り換えて一年が経過しようとしています。
本気で軽自動車を所有したのは、本当に久しぶりで、偶然にも今まで所有していたのは、スバルサンバーとミラアヴァンツァーという軽自動車の中でも珍しい4気筒を持っていたので、3気筒の軽自動車は初めての所有です。
このクルマは、岐阜からネットオークションで購入したものですが、陸送やにカネを払うのも癪なのでその分をお土産に変えて、自分で取りに行くことにしました。
もちろん予想をしていたことですが、高速道路を400km以上走るということは、」苦痛以外の何者でもなく、第二東名を走らずに帰ってきました。
よく東名横浜あたりで見かける地方ナンバーの軽自動車を見ると、
「いやぁご苦労さまなことだ。」
と思っていました。
しかし、いざ街の中に入ると、矢張り大変使いやすく、いつもと違う駐車場など、
「もっと狭くてもいいのでは?」
と思うのです。
また旧来からの街並みなど、大変曲がりやすく、今まで乗っていた普通車の寸法とは全く逆の感じです。
特に直近のボルボだと比較的着座位置が低く、街乗りは少々めんどくさい感じが伴っていたので、この使いやすさは、本当にありがたいです。
ただ、家族の評判は好ましくなく、特にV70フリークのオフクロは、
「シートが悪い」
と酷評です。
当たり前の結論ですが、車にはそれぞれの役割があるということ。
「適材適所」
これを守らねければ、不満がたまると思います。
今しばらくは、これに乗っているとは思いますが、
最近、オフクロも
「あんたがいいならボルボじゃなくてもいいよ。」
とは言ってくれるのですが、イマイチボルボ以外が頭に浮かばないのは、私自身も病気でしょうか?
Posted at 2018/11/10 21:21:16 | |
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2018年11月10日
結構前にこのブログで、イッテQについて書いたことがあるのですが、
「きっとこの番組は、そのうち問題を起こすだろう」
と思っていました。
それまでこの番組が結構好きな番組だったので、よく見ていました。
しかし、ある年(というか何年前か忘れてしまったというのが本当のところですが・・・)の番組で、年末に一日何か国回れるかという、ベッキーが回る企画だったのです。
たまたまスタートが、オーストリアからか、スイスでそこからオーストリアを抜けてドイツに入り、チェコに行くというコースだったのですが、幸か不幸かこの地区に住んでいたのです。
当時住んでいた下宿は、夜景の右手がドイツ、左手が、チェコ、真ん中がオーストリアという、国境の町でした。
昔のヨーロッパ映画でよく見かける赤白のポールと電話ボックスののような看守所のような国境があるような街。
しかし逆に言えば、それほど交通量が多くないのです。
おまけに言えば、バイエルン県の中でも最も不便な場所で、アウトバーンがないくらいのところで、建設中という、とんでもない田舎なのです。
この時の番組もまさに”私の地元”を通る企画だったので非常に興味を持っていました。
特にオーストリアから、ドイツに向かう経路は、番組のテロップから見ても間違いないと思っていました。
でも前述のように超不便な土地ゆえ、そんなに早く移動できるのか?と疑問持たざるを得ません。
というのもドイツの一般道というのは、アウトバーンとは正反対で、昔の領地の境を縫うように通されているため、街と街の間は、上限100km/hの制限ですが、曲がりくねっていて、油断していると道路外横溢となってしまうような道、走ってる当初カーブのそこここに小さな額みたいのものが建っていて、最初は何かわからなかったので、車を止めそばで見てみると、なんと、その場所で亡くなった人の名前と写真が飾ってあるとは・・・
そんなところなので、移動速度はそんなに上がらないはずだとはわかっていたのですが、案の定オーストリアからドイツの区間は、見事にカットされていて、
「ああ矢張りテレビのご都合主義だな。」
と思い、こりゃこの番組きっと適当に作りごとを混ぜ込んでいることを確信したのです。
オーストリアからチェコなんて、日本の一般人などまず現れない場所だろうと踏んだのでしょうが、ごくまれに私のような人間もいるので、ごまかして番組を作ったんだろうなと認識したら、とたんに興味が無くなってしまったのです。
この時、この番組、これから先、捏造で挙げられる日が来るのではないかと感じたのでした。
娯楽番組だから、この程度なのかという見方もありますが、テレビというのは、非常に有力なメディアだと思うので、極力事実に忠実にやってもらいたいものです。
Posted at 2018/11/10 20:54:43 | |
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2018年11月08日
昨日は、休みの日なので、食事にでも出かけようかと思って、オフクロに声をかけたら、
「自宅で食べればいいでしょ。」
と言われたので、真昼間のテレビを見ていました。
テレビ東京を見ていると、午後のロードショーは、ブラックレインです。
「結構昔に見たなぁ。」
と思いながら、見始めました。
リドリースコットは、アジアの混沌を表現したかったようですが、日本が綺麗すぎるということで、随分ロケ地には困ったとウイキペディアには書いてありましたが、ちょうどバブル期のタクシーがたくさん出てきて大変懐かしく見ていました。モータープールでの襲撃のシーンオフロードのバイクだというのにエンジン音がマルチシリンダーエンジンの音に吹き替えられているのは、ご愛嬌でしたが、スズキのRHシリーズなど自分で所有していたのを思い出しました。
そして明らかに覚えていたのが、最後の農場のシーンで、この映画が撮影される頃、190に乗っていた自分としては、松田優作が126のベンツに乗って登場するのが妙に印象的だったのです。
その当時から不思議に思っていたのですが、若山富三郎率いるヤクザの親分衆が、みなアメ車のリンカーンのタウンカーや、キャデのフリートウッドに乗ってくるので、
「こんなにアメ車集めたのか」
と感心していたのです。
でも当時から、あの登場する建物は明らかに日本ではないなとは思っていたのです。
しかし、今回そのシーンを見て、「あっ」と気がついたのです。
それは、126のフロントウインドーにゴットリーフダイムラーのサインが・・・・
あのステッカーは、アメリカ仕様に貼られるステッカーで、シルバー地に黒でゴットリーフダイムラーのサインが印刷されているのですが、あれを見つけた瞬間、
「ああ、アメリカでこのシーンとったな。」
長年疑問だった思いが氷解した一瞬でもありました。
最近は、有線で昔のコロンボシリーズを50周年記念として放映しているのですが、コロンボフリークの私は、全部記憶しているつもりでいました。
ところが、やはり人間の記憶というのはいい加減なもんで(というかディテールまでは気がつかにというか・・・)登場してくる車に全然覚えがにことには、正直がっかりです。
この間もバックに赤のSRL311が写りこんでるのに気がつきましたし、キーパーソンがオペルに乗っていたり、107SLが大量に出ていたりと自分の記憶力にはがっかりですが、新鮮な発見もできるのがとても嬉しく思えるのです。
まぁもっとも、ストーリーは犯人を見ると思い出すので、それだけでもかなり余裕を持ってみることができるのかなと思えるのです。
で、昔から、コロンボシリーズに出てくる車は、初期の金持ちは、アメリカ製の高級車だったのが、だんだんヨーロッパ物に変わっていったというのに気がついたのですが、ロールスロイスが意外に多く出てきます。
しかし、植物研究家の話で、ツードアのベントレーが出てくる以外は、量産型のシルバーシャドーが圧倒的に登場していて、珍しい車は、推理作家の回でコーニッシュが出てくるくらいなのは、メインに撮影された時期が70年代なのは致し方がないところかもしれません。クラッシクロールスが好きな人には、ちょっと残念ですけど・・・・
それとやはり何処ぞの部品商と同じく、コロンボはプジョーに乗っていますが、あのプジョーは、アメリカに多いのか?アメリカ人に質問したことがあるのですが、たまたま質問したヤツが、コロンボが好きで、なんでもコロンボの撮影が始まる時にピーターフォーク自身が、撮影所の駐車場で選んできたというエピソードがあるそうです。
今でもそうかもしれませんが、アメリカのユニバーサルスタジオでトラムツアーに行くとあのプジョーに出会えるのは、とても楽しみなことの一つです。
Posted at 2018/11/08 02:38:58 | |
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2018年11月08日
先日法要があり、久々に親戚の子と顔を突き合わせました。
法要のいいところは、身内だけですから、細かい説明をしなくても良いことと、席次が主催される親戚によってセッティングされるので、思わぬ人と隣り合わせになることです。
今回の法事では、またいとこの倅という、普段顔を合わせる機会はまずない人物と隣合わせになりました。
実際、彼と最後に会ったの小学生の時分で、19歳になった今は、いっぱしの大人の喋りができるようになっていたので、成長したことを実感しました。
また彼は、早いうちから和食の料理人を目指していて、中学を出るとすぐに調理の学校に入り、今時珍しい下働きのところから修行をするという経歴なので、感覚的に大人になるのが早かったっと考えられるのです。
さて宴も闌に入り、話のテンションも上がってくるうち、ふと親戚の近況から、私は若い頃ドイツの会社へ行っていたことがある旨の話をしました。
すると、倅氏、身を乗り出すように根掘り葉掘り私に質問を始めました。
馬鹿に熱心なので、
「そんなに私の話、面白いかい?」
と聞くと
「ええ、SNSでドイツの話を書いているのです。」
「ええっ君もドイツに居たのかい?」
まだ19で、海外まで料理の修行に行ったのかと感心したので、
「ドイツの何処にいたの?」
「いいえ行ったことはありません。想像で書いてます。」
絶句、感心したのはある意味間違いでした。
もちろんブログは、私も書いていますが、流石に想像で、どなたが読むかしれないソーシャル系に
自分のファンタジーを書くなど恐ろしくてできません。
「フォロワーどれくらいいるの?」
と聞くと結構な数とのこと。
空想の話にフォロワーがつくなんて、それはそれで能力かもしれませんが、私のように極力自分の経験した話を書いている者にとって大変な驚きとなりました。
能力の問題かもしれませんが、空想だけの話では、いつかボロが出ると感じないのでしょうか?
ちょっと背筋寒くなりました。
でもこういう輩が多いから、ネット上の話でガセがあるというのは、十分納得できることだと認識しました。
人によるかもしれませんが、私はこれからも自分の体験を中心に正確に書く事を大事にしたいなと改めて感じました。
それにしてもびっくりしたな。
Posted at 2018/11/08 00:40:41 | |
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2018年10月28日
箱根が大好きなオフクロは、いつも新緑の季節に行くのですが、今年は時期を逸してしまったので、すっかり行く機会をなくしていました。
しかし、テレビで、仙石原のススキの話題を見たので、久々に箱根に行くことを考えてみたのです。
オフクロに
「ススキが見頃らしいから、久々に箱根に行ってみるか?」
と、聞くと二つ返事で即行くことになりました。
ワゴンRに乗り換えてからというもの、本当に必要以外にクルマに乗る気が起きなかったので、燃費報告をご覧の方はお分かりかと思いますが、ほぼ近場しか走っていない我がワゴンRは、長距離に出るのも久しぶりという状況。
今日のコースは、厚木まで国道246号線と129号線、それから小田原厚木で一気に箱根湯本まで出るというコースを考えて出かけました。
燃料計を見るとタンクに半分位の残量。
これで前回の補給の実績からすれば、十分往復できるはずなので、ウチの近所の格安スタンドまで帰ってくるという目標を密かに立てて出かけることにしました。
246号線は、座間から、厚木金田までの区間が渋滞でやや詰まり気味ですが、停車することなく通過、それから以降は渋滞もなく、スムーズに箱根湯本まで到着、反対車線を見るとかなり渋滞が長くなっていて、
「帰りは、湯本側に戻るのはやめよう。」
と、心に決め、箱根を登り始めました。
途中、宮ノ下を通過するとき、いつもだと宮城野方向へ直進するところですが、今日はススキを見に行くので、左へ曲がりました。
すると名店渡邉ベーカリーの看板が目に入りました。
ここは、いつも観光客が前に並んでいるので、未だかつてここで買ったことがないことに気がついたので、早速ベーカリーにワゴンRを収め(ここの駐車場は、大変狭く国道に面しているため、わかりにくいし、入庫しにくいので要注意)、店へと向かいました。
いつも観光客でごった返している店内に入ると意外とがらんとしていて、自分の他には、ひと組しか客はいませんでした。
あまりに空いているので、思わずお店の人に
「今日はお客さん少ないですけど、珍しいですね?」
というと、
「富士屋ホテルが改装中で、休業してるんで、外国からの団体さんがいないんですよ。」
と種明かしをしてくれました。
ここの名物は、箱根駅伝の時観客に振舞われるシチューパンなのですが、通常の来客には、注文の度に作られるものなので、常に行列ができてしまうのでついつい店に寄るのをためらってしまってたので、ちょうど良い機会でした。
このシチューパン、中身のシチューは、いいのですが器のパンがしっかりしすぎているので、運転中に食べるわけにはいかないので、ひとつだけ注文し、おふくろに食べさせることにし、他にカツサンドと、アップルパイを購入しました。
シチューパンは、
「外側が30分位しかもたないので、気をつけてください。」
と店の人に言われ、持ち出しました。
オフクロの感想だと、かなり本格的なシチューで、具の大きさがパンの中身の割には大きく、食べごたえがあるという評価でした。
しかし、”そとみのパンは30分しか持たない”という言葉のもと、箱根のつづら折れで、熱々の出来立てシチューパンを食べるおふくろの根性も大したものです。
食べ終わる頃には、芦ノ湖に到着、ゆるゆる湖畔を走り、小田急山のホテル(ここも外人観光客が多くて、昼のコースを食べるのも至難の業)を通り、ススキを見て仙石原の交差点を左折して、御殿場側に降りて行き、東名御殿場から高速を使い、圏央道の相模原愛川の出口まで一気に戻ってきました。
当初予定したとおり、ガソリン無給油で、相模原まで帰ることができ、燃費も14km/lを超えました。
オフクロは、
「ワゴンRで箱根を登れるとは思わなかった。」
と感心していました。
思えば、オフクロの軽自動車のイメージというのは、360cc時代のもので660で出かけたのは初めての経験でしたので、えらく感激していました。
そして最後に
「また箱根に連れてってね!」
オネダリされてしまいました。
まあ、いい親孝行になったようです。
Posted at 2018/10/29 00:57:58 | |
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