常々思っていることですが、クルマにメーカーエンブレムやモデルの名前が公然と貼られていることに疑問を抱いております。
飛行機でも船でもそうですが、通常その乗り物のオーナーのエンブレムが表示されていることはあっても、ボーイングだ三井造船だという事はパッと見 わからないようになっています。
(よーく見たら小さく表示はしてあります)
それよりも、ANAであるとか「さんふらわあ」であるとか、持ち主のトレードマークでデザインされます。
クルマですと、バスがそうですね。
アウディのA4オールロードを買ったわたしにとり、自身のクルマがアウディ社のオールロードだという事は、人に知ってもらう必要はありません。
しかもエンジンの種類、排気量やターボの有無、モデルのグレード、駆動方式まで表示してあります。
わたしのクルマが四駆であり、2リッターターボであることを、なぜ周囲に表示する必要があるでしょうか。
中にはエンブレムの類を全部取ってもらう人がいるようですが、その気持ちはとても分かります。
分かりますが、わざわざ取り剥がす積極的な理由もないので、面倒なので放置している、ということです。
ですが、なんでわざわざメーカーの宣伝に、顧客であるわたしが協力しなければならないのか、腑に落ちない思いはあります。
しかし、大多数の人は不思議に思っていないようだし、大して不利益ってわけでもないので口にしません。
時々トヨタ車にレクサスエンブレムを付け替えた車を見かけます。
エンブレムを、オプションで金色に変えている人もおられます。
やはりそこに何らかのブランド信仰というものがあるのでしょうね。
昔テレビ番組で、芦屋のお嬢様が出ておられました。
着ているものは、清潔だが安価なファストブランドで、全体的に地味で質素。
あれを見て思ったのが、ああ、この人は高いブランドで周りを固めなくても、家柄、すなわち流れている血そのものが血統書付のブランドなんだ、という事。
家にはテレビがございません、なんておっしゃっていましたし、家は家というよりお屋敷で、平等に見える昨今の日本にも知らないところに階級は存在している、と思ったものです。
つまり、真に良い家柄の人間や一流の人間は、自分がブランドだから、わざわざブランドに執着や費用を割かないんじゃないか。
ブランドを欲するのは雑種の証明じゃないかと(笑)
ヴィトンやエルメス、シャネルの大きなエンブレムを持ちたいのは、持つ人の価値が高く見えるから、というのであれば、それは素の自身がそのブランドより劣ってるってことを暗に認めてないですか。
ブランドの持つ質の良さ、それは手にしている自分が理解していればよいだけで、周囲に誇示する必要はないんじゃないかな、と思っています。
でもまあ、そういう考えは珍しいらしく、変人扱いされかねないので黙ってディーラーが準備してくれた車のまま乗っています。
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2015/10/06 07:12:22