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英旧のブログ一覧

2016年06月07日 イイね!

Epilogues

“Revenge”
今回で11回目の“京都一人旅”は“不死鳥と己”との闘いだった。
3月のオープン戦は腹痛..... 4月の開幕戦は“超強風”もあり消化不良......
そろそろ納得出来る走りをしないと後が無いところまで追い込まれる.....
満を持して挑んだ“不死鳥”との3度目挑戦。
時折強く吹く風。前回に比べれば大したことはない。

順調に“関宿”にとうちゃこ。鈴鹿峠を登る事が往路の唯一の難関だ。
当初、苦戦した鈴鹿峠もアウター縛りで楽勝になったはずだが.....
インナーを使ってしまった......
いつもよりリアにトラクションがかからない.....
気持ち良く漕げないんだ......
“体力の限界”を感じた。昨年の“大原”“宇治”での気持ち良さはもう味わえないのか?
完全に自信喪失。不死鳥のフロントの歯数がたった2枚増えただけで、そんなに違いが出るのか?
大好きなヒルクライム向きじゃないのか?自問自答する。
歯数を“白い弾丸”と同じにしてホイールを軽量化すべきだろうか?
と真剣に考えた。しかし往路タイムは速い部類だった。
登りで弱い分、平地では逆に歯数の多さで速度が乗っていたんだろう。
“スローパンクチャー”も登りの弱さに関係していたのかもしれない。
普段のチョイ乗りでは分からない些細なトラブルも150kmの距離で誤魔化しは効かない。
緊急のパンク修理キットでトラブルを乗り切り専門店で修理。
万全の状態で復路150kmに挑んだ。

機材はどこも悪くない。ここで平凡なタイムが出たら“落ちた”事をはっきり認めるしかない。
ほぼR1の復路。信号が多く今まで速く帰れた試しが無い.....
昼食を済ませた後は“明日”を考えずに漕ぐ、漕ぐ。
ほとんど信号が無い滋賀県の道路で登りを見つけると何か目印を探しそこまでダンシング。
これを繰り返した。亀山を過ぎ四日市で左方面に進むまでは走り易いから飛ばす、飛ばす。
既に“ZONE”に突入していた!
愛知県に入っても名古屋でも余力は充分。全てを使い切るまで回す。

結果、信号が少なかった“宇治経由”の次に速い復路タイム。
わざわざ自宅近辺の激坂を登る余裕だった。

筋肉痛も疲れも無く、翌日を迎えた。
完全復活とは呼ばない。しかし弱かった自分に“Revenge”は出来た。

“武平峠”に闘いを挑み満足出来る“走り”が魅せれたならばその時は声を大にして
“完全復活”と呼ぶつもりだ!
Posted at 2016/06/07 23:22:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2016年06月05日 イイね!

京都Road一人旅復路Ⅱ



派手目なおばさん、欲張って抹茶ソフトをたくさん入れ過ぎたんだよ。腕にまでかけてるし....
溶けてきて地面にボタボタ....
御主人にずっと怒られてるんだ。おばさんも反省しきりなんだけど、御主人は止まらない。
御主人も嫌味じゃなくて正当論だから何だか笑ってしまった。

おばさんは俺の笑いを“助け舟”に感じたのか「食べました?」とか聞いてきて。
「僕は300円で作ってもらいましたよ。」って答えて。
そうしたら御主人が「どこから自転車で?」って。
「京都から名古屋の帰りです。」なんて答えたからお二人はビックリされて「車に気を付けて。」
って見送ってくれた。それから夫婦喧嘩?が収まったか分からないけど微笑ましかった。
鈴鹿峠の坂も楽しい気分で登れたよ。今までで一番短く感じたかな。
風は相変わらずの中軽快にダウウンヒル。気持ち良く下って行くが好事魔多し”って事?
左風の突風にあおられた。感覚的に30cmぐらい流されたような気がする。
ハンドル操作で事なきを得たが怖かった!

身体も不死鳥も絶好調。飛ばしに飛ばす。
亀山を過ぎ四日市までは物凄く走り易い。限界まで漕ぐ!
疲れは全く無く集中力も充分。
“ZONE”だ!久しぶりに“ZONE”に入った!
ワープしたように自宅に突き進む“不死鳥”。
四日市の途中で左折し一般車が多くなるが注意力を保ちながら速度は落ちない。

喉がカラカラだ。アクエリアスを一気飲み。軽く柔軟し出発。
全く集中力が落ちず桑名に入り大嫌いな大橋をクリアー。
このペースだと自宅に着く頃は暗くなるかな?
コンビニで最後の休憩。水を補給し前後にライトを取り付けサングラスから伊達眼鏡に替える。
名古屋に入っても体力、集中力、気力は全く落ちない。
往路で自分の体力の限界を感じた事が嘘のようだ。
やはりスローパンクチャーが原因だったのだろう。
わざわざ自宅近くの激坂を駆け上がる。

147.5km 7:09:24 3,857kcal とログ表示されていた。
R1のみを走った中では最速。

終わり
Posted at 2016/06/05 07:23:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2016年06月04日 イイね!

京都Road一人旅復路Ⅰ

予定通り“泉涌寺”と昨年訪問した“雲龍院”以外の塔頭寺院を巡った。
時刻は11時30分。20時には自宅に到着するだろう。

ナビに従いルートを選ぶと直ぐにR1方面に案内された。
前々回、右折せずに直進し“敦賀方面”に行きそうになった苦い想い出が蘇る。
ナビと標識に従い今回は正規ルートを通る事が出来た。
昨日同様にまだ風が残っている.....
おかげで気温が高いが汗になる前に風が吹き飛ばしてくれる。
ようやく“不死鳥との一体感”が出てきた。
通常なら“じゃがいも”でLunchをいただくのだがお腹が空き“バイキング”の店に入る。
初めて訪問した時は「美味しいじゃん!」と感じたが2度目は“微妙”.....
3回目は無さそうだ。
40分程の休憩で一気に平均速度が落ちる。
気を取り直し力一杯踏み込む。ほとんど手足の様に扱える“不死鳥”。
恐れるものは何も無く飛ばす。路面が良く交通量が少なくなれば、それこそ必死だ。
別に時間制限を設けている訳ではないが、過去の調子の悪さを払拭しようと“不死鳥”は必死だ。
俺も負けずに漕いで行く。

“日本一たい焼き”を通れば“あいの土山”はもうすぐだ。
復路の“鈴鹿峠”は全く問題が無いが“道の駅 あいの土山”で休憩する事にした。

ここの“抹茶ソフト”美味しいんだよ。
自分で好きなだけ取るのは400円でお店の方に作ってもらうのは300円。
若い女性2人組はかなりの量を綺麗にコーンに収めていた!
俺は不器用だからいつも300円で作ってもらう。
美味しくいただき腰を伸ばしたり柔軟体操をする。

さあ“鈴鹿峠”かかってきなさい!
と気合を入れるも派手目のおばさんと御主人?の言い争いに耳を傾けてしまった......

続く......
Posted at 2016/06/04 22:35:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2016年06月04日 イイね!

京都Road一人旅最終日Ⅳ

“戒光寺”




鎌倉時代安貞2年(1228)宋から帰朝した浄業曇照が大宮八条の東堀川の西に創建し、後堀河天皇の勅願所となった。その後一条戻り橋の東に移り、更に三条川東を経て、正保二年(1645)現地に
移され再興された。本尊・釈迦如来立像(重文)は一丈六尺を越え(約5.4m)総高約10mの大像で、運慶湛慶父子の合作である。本像を始め光背・台座も同時代のもので、蒔絵彩色も良く残り、
宋風の類稀な鎌倉時代彫像である。後陽成天皇皇后中和門院の御信仰、後水尾天皇の守護仏と
しても朝野の崇敬あつく、「身代わり丈六さん」の名で庶民の篤い信仰をうけている。
開山曇照津師像は鎌倉期の祖師像。重要文化財に指定された。


“法音院”



寺伝によれば鎌倉時代末の嘉暦元年(1326)無人如導によって山内に創建されたという。
規模や経過の詳細は知る由もないが、「古伽藍図」にもその名が見えている。
更に天正年間の記録にも法音院分朱印地は記されている。江戸時代の初め泉涌寺再興とあい
前後して諸塔頭もその威容を整えたが、当院は寛文4・5年(1664・1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂の手により、現在地に移し再建された。本尊は不空羂索観音で、現在の本堂は英照皇太后の御須屋を賜わったもの。洛陽三十三観音霊場、第25番札所でもある。泉山七福神の内、寿老人を安置する寺としても衆庶の信仰をうけている。

“即成院”



現世極楽浄土とよばれる即成院内陣の本尊・木像阿弥陀如来坐像並びに二十五菩薩坐像は
藤原期の造顕で、観音・勢至をはじめ歌舞音曲のすべてが揃い、阿弥陀来迎の歓喜をまのあたりに想わせる御姿の仏像で、現存例は他にない。毎年10月第3日曜には二十五菩薩お練供養が御詠歌講の来迎和讃にあわせて行なわれ、参詣者で賑わう。
また境内には、屋島の合戦で知られる源義経の臣・那須与一宗高の墓が祀られ、『願いが的へ』と願い事を扇に書いて祈願される方が多数お参りされる。

文章は全て引用です。

終わり......
Posted at 2016/06/04 22:08:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2016年06月04日 イイね!

京都Road一人旅最終日Ⅲ

“来迎院”



弘法大師が唐土で感得した三宝荒神を奉安して開いたと伝えられる。
境内一角に赤穂義士・大石義雄建立の茶室「含翠軒」があり、念持仏・勝軍地蔵尊は本堂に
祀られている。院内庭園には小さいながらも独特の雰囲気を醸し出している。

“今野観音寺”



初め東山観音寺と称したが、後白河上皇が永暦元年(1160)、新熊野社を勧請創建された際
改めて新那智山の山号を寄せられ、今熊野観音寺と称することになったという。
斉衡2年(855)創立の法輪寺のあとともいわれるが、後白河上皇以来の御尊祟は甚だ篤い。
寺伝で弘法大師の作といわれる本尊十一面観音像は、脇士不動明王、毘沙門天像とともに篤い
信仰を集めている。

“新善光寺”



寛元元年(1243)8月、僧・値願念西が歓進し、後嵯峨天皇の御願寺として一条大宮の地に
創建された。勅命によって大工藤井為行、小工沙弥教弘らが信州信濃善光寺本尊と同体の
全銅阿弥陀如来立像を鋳造して本尊とし、新善光寺と呼んだ。

続く......
Posted at 2016/06/04 21:58:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記

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