今回、紹介するのは小説やコミックではありません。ネットのエレファント速報に掲載されているssを紹介します。タイトルは『東洲斎写楽の正体』で、アイドルマスターとギャラリーフェイクのクロスssです。内容事態は東洲斎写楽の正体に迫るという内容ですが、最初に次の事を書きます。最近の研究結果により阿波徳島藩蜂須賀家の御抱え能役者、斎藤十郎兵衛で九割方ほぼ間違いありませんが、写楽に関しては未だに解明されてない謎が多々あります。活動期間は何故10カ月程度だったのか?何故写楽の作品数が140点程も有るのに春画が1点も無いのか?(春信、歌麿、広重、北斎等の歴史に名を残している浮世絵師は春画を手掛けていますが、どういう理由か写楽だけは春画に手掛けていません)、第1期の作品は役者の演技を芝居小屋でじっくり観察してから描きましたが余りにも役者の表情が間に迫っていた為に描かれた役者の方から文句が出たそうですが、何故それほど迄に間に迫った表情が描けたのか?そして第2期、第3期、第4期迄の間でどうして画風が変化してしまったのか?一説によれば役者の描き方が理想的では無かった為に変化をさせたそうですが、同じ人間が描いたとは思えない程の画風の変化です。そうだとすると版元の蔦屋重三郎は何故、写楽を起用したのかという疑問が出てきます。当時の蔦屋重三郎は幕府から財産半分没収という状態に有り。財政状況はお世辞にも良いとは言えない状況で写楽という新人を起用したのか?それらの疑問に対して、今回紹介するssは全く新しい視点から写楽の正体を書いておりますので、美術に興味のある方は1度ご覧になって下さい。自分もそんな解釈も有ったのかと驚き、その解釈には本気で検討してみる価値が十分有りますので是非とも読んでください。追記、コメント欄を見ていたら。高見澤遠治の事が書いてあるのには驚いた。高見澤遠治なんて日本美術に結構詳しい人間でないと知りません。何せ余りにもマイナーな人物な為にウィキペディアにも掲載されてない人物です。