2015年01月29日
EK-9シビックタイプRの事を思い出して書くと結構長い記録に、なってしまいそうなので前半と後半に分けて書こうと思う。
前半は、購入してから事故で廃車にするまでの走行記憶を書き。
後半は、事故った時の状況を書くつもりだ。
では、前置きが長くなってしまったがEK-9シビックタイプRの記憶を、思い出すまま書いていこう、購入したシビックタイプRは、前の愛車、EF8CR-Xsirが霞む位、全てにおいて凌駕していた。
ボディ剛性、足回り、加速性、排気音、そして名機B16Bエンジン、それらが一つになった時、それを運転する自分が、レーシングドライバーになったと錯覚するくらいの興奮と衝撃を、与えてくれた。
購入した当時、タイプRオーナーズミーティングということ事をメーカーであるホンダが行っており。それに参加して、鈴鹿サーキットを初めて走った時の状況は、今でも思い出し、プロのレーシングドライバーとの同乗走行は凄いの一言だった、タイプRを速く走らせるコツは、如何に高回転時のパワーバンドを維持して走らせるかに掛かっており、ドライバーの腕前がもろに出る。色んな意味でおっかなく、そして走る醍醐味を教えられた車であり、タイプRのオーナーである事を誇りに思うほど自分の心を捉えた。
そして最初に行ったチューニングは、無限製のマフラー交換と純正交換型のエアークリーナーだった、その後はクスコ製のリアタワーバーを装着したり、スピードリミッターをカットしたりと色々やり、峠を走り、高速道路を気の向くままに走ったり、改装前の富士スピードウェイを走ったりもした。EK-9シビックタイプR、この車に乗っていて、運転の楽しさと面白さを体験出来たが、同時に運転の怖さというやつを、すっかり忘れていた結果、2年半で廃車にする単独の自爆事故を起こしてしまった。
10月の早朝の出来事だった。
Posted at 2015/01/29 21:22:04 | |
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