2016年03月30日
鈴鹿サーキット ピットロード
メインストレート上にはシグナルスタート形式で始まるレースの出走準備が進められており、出走する車が本来なら2台並ぶ筈のグリッドに3台並んで止めると5ラップで競うレース軽自動車部門のレースが始まろうとしていた。そんな光景を眺めながらレーシングスーツを着用した綾森杏子が言う。
「此だけ台数が揃うと壮観な光景ね」
「まあ、確かに否定はせんがな」そう同意の声で返答するのは周防清人だ。
「それにしても結構様々な車種が並んでいるね。現行型から初代迄の歴代アルトワークス、トゥデイ、ABCトリオのAZ-1、BEAT、カプチーノ、それからS660、ミラターボ、ヴィヴィオに現行、先代型のコペン他にも色々と有るが、反則だろケータハム・セブンを持ってくるのは」感心した様な呆れた様な声で言うのは田仲真二だ。
「NA、ターボ、スーパーチャージャーが入り乱れてのレースだから見応えあるな」遅れてやって来た藤澤透が言う。因みに藤澤透は先程行われていたローリングスタート形式の1ラップレースでR35GTRに同乗しており、荻村瑞希と野島大樹がドライブする。FD2RR、FD2のオーバーテイクシーンをかぶりつきで観て体感していた。何でR35GTRに同乗していたのかというと会場内のブースで1ラップレースの3人分の同乗抽選会が行われており、その抽選に見事当たりR35GTRの同乗になったからだ。
「3×15で45台のレースか、本当に壮観な光景だが今ふと思ったんだがちょっと良いか」田仲真二が皆に尋ねる口調で言う。
「どうしたんですか田仲さん?」綾森杏子は田仲真二に聞く。
「軽自動車のカテゴリーは日本独自の物だろ、何で軽自動車が誕生したんだ?」
「言われてみれば、周防あんた判る?」
「判る訳ないだろ」
「あんたに聞いたのが間違いだった。藤澤さんは?」
「済まん、さっぱり判らん」藤澤透がそう言うと後ろから声が掛かる。
「軽自動車が誕生した理由は、車の歴史を説明すれば大体説明出来るよ」店長の宇佐美和彦がそう言う。
「車の歴史ですか?」
「そう、車の歴史だよ杏子ちゃん最初に今の車の原型を作ったのはドイツ人のカール・ベンツが作り上げたんだが」
「だが、何か問題でもあったんすか」藤澤透が聞く。
「その当時の車というのは極端な話一つ一つのパーツを最高の技量を持った少数の熟練工がほぼワンオフ状態で製作しているからパーツ事態のお値段も高い上にパーツの納入時期もまちまちでやっとパーツが揃って車を組み立てを開始すると今度は細かい部分で微妙に合わないパーツが出てくる。それらの合わないパーツをこれも又、熟練工が手作業で修正してようやくの思いで1台の車が完成するんだ、此だけの手間隙を掛けて1台の車を製作するから掛かる費用はそのまま販売価格に比例して莫大な金額になり、例え買っても今度は製作費なみの維持費用が嵩む為、極一部の富裕層や王室、貴族位しか車は買えず。一般人には買えない高嶺の花だったが、それを変えたのがヘンリー・フォードだ。名前は知っているよね?」
「フォード自動車の創設者の名前で確かT型フォードを生産しましたよね」
「T型フォード、以前聞いた事が有る世界で2番目に売れた車種だよな」田仲真二、周防清人が答える。
「ヘンリー・フォードは今迄の車の作り方を全面的に見直して問題点を洗い出し、概念があった新しい生産方式を考案したんだ」
「新しい方式とは?」
「藤澤君、今では当たり前の方式ライン生産方式の採用だ」
「ライン生産方式、部品の規格化、共通化、作業の単純化を行い。製品と作業者を一つのラインに配置する事で作業性の向上化と合理化を図った方式ですよね店長」田仲真二がそう答える。
「そう、田仲君の言ったことを行ってより正確に言うとT型フォードの生産に特化した単品ライン生産の大量生産方式でコストを大幅に下げて車を売ることに成功した結果、アメリカでは何処よりも早くモータリゼーションと同時に部品の規格化を成し遂げT型フォードは大衆車として成功を納めた。そしてT型フォードに影響を受けてドイツで一つの車、国民車が誕生する切っ掛けに成った」
「「ドイツで誕生した車?」」田仲真二と藤澤透が同時にそう言うのを聞いた周防清人が答える。
「店長もしかして1930年代に計画されフェルディナント・ポルシェ氏をリーダーにして作られた。ドイツでT型フォードの様な車はアレの事かな、と言うかアレ位しか思いつかん世界で1番売れた車だ」
「え、分かったの周防!」綾森杏子が驚きの声で聞く。
「ビートルTYPE1ですよね店長」
「そう、周防君の言うようにビートルTYPE1が誕生した経緯はアドルフ・ヒトラーが関わっている」
「ヒトラー、独裁者として悪名を馳せた人物がどうして関わっているんですか?」藤澤透が尋ねる。
「杏子ちゃんと清人君2人とも、この前ニュルブルクリンクに話をしていたのを覚えているかな?」
「覚えていますよ店長」
「それがビートルTYPE1とどう関係してくるの?」
「ヒトラーは、国威発揚とドイツの技術力を示すために積極的に自動車レースを利用し、その際にドイツ国内インフラ網の新規整備を開始し結果、高速道路アウトバーンが開発されたが、それに付随する形でフェルディナント・ポルシェ氏に一般的な国民にも買える車、国民車の開発を依頼したんだが、当時としては無理難題なスペックを提示された」
「無理難題なスペックとは?」
「田仲君今からその事を言うと次の通りだ。信頼性、耐久性、整備性、生産性が良く、乗車人員も大人2人と子供3人実質的には大人4人が乗れて、時速100キロでの連続走行が可能な上で燃費も良くて、安価な車を1000ライヒスマルク以下、今の値段に換算するなら100万円以下で今言ったスペックを実現しろと言われ、ポルシェ氏意外は不可能だと言った程のスペックの車を作れと言われたが、ポルシェ氏をリーダーとしたチームはこの難題に正面から立ち向かい結果、ビートルTYPE1のプロトタイプが1930年代末に誕生したがドイツ国民には結果的には行き渡らなかった。その理由は何だと思う?」
「ちょっと待てよ、1930年代末と言うことは第2次世界大戦が勃発しませんでしたか」
「田仲君、正解第2次世界大戦が勃発してビートルの生産ラインもキューベルワーゲンという軍用車両に転用されてしまった。余談ながらポルシェ氏も軍用車両、戦車の開発に関わっている」
「関わっていた戦車、ガルパンで有名に成った戦車ポルシェティーガーとエレファントだな」
「ガルパン?」
「田仲さん、ガールズ&パンツァーの略ですよ」藤澤透がそう言うと、周防清人が言う。
「何か、俺の周囲でもそのアニメに填まって大洗まで行った奴も居ますよ」
「アニメなのは分かったが、どう関わったんですかポルシェ氏が」
「ポルシェ氏が関わったのは全く新しい戦車の駆動方式、これが実現できればトランスミッションが不要という方式で説明するとガソリンエンジンで発電機を回して電気を発生させ、発生した電気をバッテリーに貯めて、貯めた電気で左右のモーターを駆動するエレクトリック方式を考案したんだ。話だけを聞くならそれって何て言うハイブリッドカーシステムを作ったんだが、当時の技術で左右のモーターを同調させるのは非常に困難な上にモーターから発生する電気ノイズで通信機が不調になるは、貴重な戦時資源の銅を大量使用する事も問題になり、ポルシェティーガーとエレファントの生産台数は合わせて100台以下だったが、トランスミッションが不要になるというメリットは意外と実戦部隊では好評でエレファントを運用した部隊からの報告もエンジン関係に問題が発生するが、それ以外には問題なしと報告された程だ」
「思い出した。エレファントって一昔前迄は欠点だらけの車両でしたけど近年の資料調査等でそんな事はなかったと、評価が180度変わりましたよね」
「そうだよ。清人君」
「それで、店長ビートルTYPE1はいつ頃から生産される様になったの?」
「杏子ちゃん、戦後の1947年頃から生産が始められ実に半世紀近くも生産された車になった」
「そんなに生産されたんだ。それと軽自動車がどう関係してくるの?」
「うん、この辺りの事を言うと当時の日本を取り巻く環境等とか説明しなければいけないから、省略するけど1960年代に当時の運輸省が国民車構想、軽自動車の規格を設定した。排気量は360ccで大人4人が乗れる車を設定したんたが、日本独自の自然環境と当時の道路事情も考慮に入れると無理難題だった」
「当時の道路事情と自然環境?」藤澤透が聞く。
「当時の道路は未舗装でも珍しくないから荒れた路面でも問題なく走れる車が求められ。更に南北に細長い日本列島の高温多湿で1年を通して温度差が激しい自然環境、北は北海道から南は沖縄まで問題なく動く車を開発しろというのは非常に厳しく困難だった中でスバルが、スバル360を開発しそれらの問題を克服し結果、日本に於ける国民車となりその後を続くようにホンダのN360が誕生しその後このカテゴリーの車は軽自動車として発展していく事になるが、正直言ってバイク並みの排気量で大人4人が乗れて問題なく動く車何て日本以外に存在しない。或る意味軽自動車というのは日本の技術力の塊みたいな車だからね」
「ふ~ん、そんな事情が有ったんだ」
「杏子、因みにビートルを作っている会社名は知っているよな?」
「知っているわよ。フォルクスワーゲンよね」
「日本語に直訳すると国民車になるからな。意外と知られていない」
「へえ~、そうなんだ。意外と博識なのね」
「店長からの受け売りだかな」
「それは、そうと杏子ちゃん何でレーシングスーツを着ているの?」藤澤透が尋ねる。
「あれ言ってませんでしたか?この後にやるNA無差別級レースに出るの」
「俺も出たかったが」
「清人は、この前シフトダウンにミスってオーバーレブを起こしてエンジンブローしちゃたのよね」
「うん、5速から4速にシフトダウンしようとしたら間違って2速に入ってオーバーレブ起こしてエンジンブローでMPTFに入院中って、思い出させるな杏子」
「確か、そのまま直すんじゃなくてエンジンを新しくするんだよね」田仲真二がそう聞く。
「そうっす。K24ブロックを使用した2・4リッター仕様に変更して最高馬力は300馬力にします。これで杏子のS2000とタメを張れます」
「ふ~ん、楽しみにしているわよ」そう綾森杏子が言うと店長が声を掛ける。
「今からレースが始まるぞ」
「店長はどれが勝つと想いますか?」
「難しいが、多分PVに出ていた。AZ-1が勝つと予測はしているが、結構シビアなセッティングだから運転するドライバーの腕次第だね」藤澤透にそう返答する。
「ドライバーの腕次第とは?」これは田仲真二が尋ねる。
「あのAZ-1ピーキーな運転特性で遊びが殆ど無いから、運転していても気が抜けない。殆ど気が抜けない中でレースをするんだからドライバーには酷なレースだよ」AZ-1を観ながら返答する店長だった。
メカについてのss アフターパーツプレミアムパーティその7に続きます。
Posted at 2016/04/10 14:05:32 | |
トラックバック(0) | 日記