
若冲展と黒田清輝展を観てきましたが、10回目という伏し目につき、メカについてのssの登場人物が美術展の事を述べる方式にします。
今回、登場人物する人物は次の2人です。
綾森圭一、綾森杏子の父親、和菓子の銘菓店『月の浦』社長 愛車はBCNR33スカイラインGTR nismo製6速MT換装
立花左京、綾森圭一の親友、ある流派の茶道の家元 愛車はJZS16アリストV300 6速MT換装
それでは、本編を投下します。
5月8日(日) 1700時 上野駅構内 某蕎麦屋店内
「お前ら、そんなに若冲が好きか?」そう綾森圭一は呆れた声で言うと、日本酒が注がれた猪口を一息で呑み干す。
「まあ、そう言いたくなるのも判りますが」立花左京は、そう返答すると此方は板わさを、口に運ぶ。
「幾ら日曜でも、入場する迄に3時間待ちとは恐れ入ったよ。こんなに待ったのは台湾国立故宮博物院の『白菜』以来だ。あの時は確か…」
「5時間近く待ちましたからね」
「そうだ、でも今回の若冲展は待ってでも観る価値は充分すぎる程ある」
「確かに、お茶を点てる人間の立場からしたら売茶翁の水墨画は見事かつ見応えが有りましたからね。何せ売茶翁の生き方が若冲の心を捉え、若冲の心の師匠と言っても過言ではありませんから」
「売茶翁、確か禅宗の僧で、幼年の頃からその才能を期待されゆくゆくは高僧に成っても誰からも文句が言われない程の人物だったが」
「その道を捨てて、茶道具一式を持って人々に一杯の茶を売り、生計を立てると同時に禅話と世俗の話しを解りやすく話しながら売ったそうです。生活事態は清貧そのものでしたがその生き方、心の高潔さは当時の人達の心に深く刻まれ、尊敬に値する人物で、人物画を滅多に画かない若冲が売茶翁だけは別で多数描いています」
「心の師匠である。売茶翁を水墨画、墨の濃淡で表現するから、或る意味描いた人物の技量がダイレクトに出る。売茶翁を本当に尊敬していた若冲が描いた水墨画言い過ぎかもしれないが若冲の魂と尊敬の念を感じた」
「それに関しては同感です。茶人の立場から観ても売茶翁の水墨画は、先程言った様に見事の一言しか言いようが無いです」立花左京は、そう言うと綾森圭一の猪口に日本酒を注ぎ、注がれた日本酒を半分ほど呑み干すと綾森圭一は今度は若冲の絵の修行に話題を変えた。
「そう言えば若冲は、狩野派や中国、朝鮮からの名画を多数模写して絵の腕前を磨いたよな。例えるならレンブラントかドミニク・アングルとエドガー・ドガの逸話を思い出した」
「レンブラントは弟子達に自分の絵を模写させる事で弟子達の腕前を向上させ、エドガー・ドガがドミニク・アングルに絵の描き方を質問した際に、アングルはドガに『線を描きなさい。より多くの線を描きなさい』と言った逸話ですね」
「そうだ、若冲は多数の名画を模写し絵の腕前を向上させたが、模写は所詮、模写にしか過ぎないと気付いた結果、自分の目で見たものを描く。謂わば日本版写実主義を若冲は実践した」
「それまでの日本画というのは、平面で表現する為に全体的にのっぺりとした絵が多いい中で若冲の写実主義的な絵は斬新かつ新しい表現力を産み出しました。特に鶏の描写は若冲は拘りました」
「ああ、庭で鶏を飼って鶏の動きを見て鶏の絵を多数描いたんだが、生物学的には鶏がとらないようなポーズを描いていて確か秋篠宮から若冲の描いた鶏の矛盾点を指摘されたが、若冲の描いた鶏の絵を観ているとな」
「本当に鶏がそんなポーズをしていても、おかしくない説得力と表現力で描いてますね」
「実際に有り得ないポーズを表現し観るものを納得させ、黙らせる。若冲の画力は本当に素晴らしい」
「ええ、鶏以外にも植物の描写表現力も良いです。特に30点全てが揃った『動植綵絵』と後は『釈迦三尊像』は、思わず見入ってしまう程です。本来なら33点全てが揃って」
「完成だからな、精緻かつ大胆で描いた人間の技量と表現力、それに魂を感じたよ」
「言う通りです。『動植綵絵』は何時までも観ていても飽きませんし、それに」
「それになんだ?」綾森圭一はそこまで言うと、大根おろしをたっぷり載せた卵焼きを頬張り、その咀嚼が済むと立花左京は続ける。
「30点も有ると気に入った絵というのも有りますよ。自分は『紅葉小禽図』と『梅花晧月図』、それから『梅花小禽図』が気に入りました」
「左京はその3点か、俺は『桃花小禽図』と『薔薇小禽図』の2点が気に入った」
「他にも色々有りますが、『釈迦三尊像』と『動植綵絵』が揃って観られる機会というのは、この先そうそう観られませんから、それと若冲の作品の中でも特に異端かつ独創性が溢れる作品『鳥獣花木図屏風』は衝撃的です。モザイク画の屏風絵ですから」
「確か若冲の研究者の中には、若冲作ではないと主張する研究者も居るが、そう言いたくなるのも判らなくもないが」
「確かに、若冲らしいといえば若冲らしい表現力と独創性、それから変な言い方ですが遊び心で描いていますが、描き方が1cm四方の升目の紙を8万枚使用してモザイク画様式て描いていますが、少なくとも若冲の作品の中でモザイク画様式で描かれているのは確認されているだけでも3点しか存在しません」
「そういう事情を考えると若冲の作で無いと言うのも、妙な説得力があるんだが」
「少なくとも贋物なら、そんな手間暇を掛ける理由が見当たりませんし、例え若冲作で無いとしても若冲の影響力を受けた人物が描いた筈です」立花左京の言葉を訊いた。綾森圭一は猪口に残った日本酒を呑み干すと答える。
「真相は歴史の中、知りたければ若冲に聞いてこいだが、でもなそれを含めて考え観ていると不思議と見入ってしまう魅力が有るな」
「否定はしません、謎は謎のままが一番だと思いますよ」
「そうだな、そんで若冲展を観た後に黒田清輝展を観たが黒田清輝、良いよな」
「黒田清輝、日本近代西洋画の礎を築いたと称される人物ですからね。因みに江戸時代にも少数ですがオランダ経由で西洋画が日本に入って来ており、秋田蘭画と呼ばれるものが秋田地方に極短い期間ですが描かれていました」
「秋田蘭画かあれも良いが、でもな左京、今は黒田清輝の話しだ。印象派に強い影響力を受けて、それまでの日本画に無かった優しくて明るく、柔らかいタッチで描いたからな」
「ええ、そんなタッチで描かれた絵は教科書にも乗っている『湖畔』、『読書』等が代表作ですが、同時に黒田は当時の日本ではタブー視扱いだった。裸体画にも精力的に取り組んでいます」
「そんな代表作が『朝妝』だが、発表当時は猥褻画として扱われ風紀を乱すとして強い批判を受けたが」
「『朝妝』の持つ高い美術性を感じた。住友友純男爵が買い上げ邸宅に飾られていましたけど」
「戦火に焼かれて焼失してしまい写真が残るだけだ。他にも『智・感・情』と呼ばれる裸体画を描いている。『智・感・情』はヨーロッパ芸術界に於いてギリシア彫刻が1つの完成像として崇められているのを学んだ黒田が日本女性の理想像として描かれた作品とされている」
「そうなんですよ。後、それから黒田自身は最初から画家を目指していたわけではなく、法律家を目指し法律の勉強をする為にフランスに留学した際に趣味で描いていた絵の才能が認められた結果、画家としてフランスで修行しました。その際に実家に法律家を辞めて画家を目指す事を手紙に書いて送っています」
「その手紙も飾ってあったな、改めて明治という時代は考えると様々な欧米からの知識等を貪欲に吸収し、それを糧にして日本という国家がエネルギッシュに成長しようとしていた時代だったからな」
「だからこそ面白い時代ですよ」
「そうだな」そこまで言うと、天ぷら蕎麦が運ばれて来るのを見た。綾森圭一は立花左京に言う。
「美術談義も良いが、天ぷら蕎麦は出来立てを食べるのが」
「一番美味い食べ方ですか、それでは蕎麦を頂きますか」
「ああ、冷めないうちにな」そう言い終えると綾森圭一と立花左京は天ぷら蕎麦を食べるのであった。
黒田清輝展、6月4日から8月5日まで泉屋博古館分館にて開催
若冲展、5月24日まで東京都美術館で開催中