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タイプRチューニング日記のブログ一覧

2015年06月29日 イイね!

メカについてのss ニュルブルクリンク後半

「そうリアル頭文字D、正確に言うとリアル藤原拓海みたいなドライバーが伝説のレースをしたんだ」
「リアル藤原拓海?誰それわかんないだけど?」
「タツィオ・ヌヴォラーリというイタリア人のドライバーで、公式上世界で初めてドリフト走行をしたというドライバーだ、まあ非公式には何人かいたらしいけどレースで本格的に用いたのがヌヴォラーリだという」
「その人がどんなレースをしたというの?」
「まんま頭文字D的なレースをしたんだ、なあ杏子最低でも500馬力出ている80スープラとRX-7FD3S、そして600馬力は出ているR32~35GTRを相手にして、グループA使用の5バルブ4AG、240馬力のエンジンを搭載したAE86で勝てると思うか?」
「常識的に言って無理勝てる要素が見当たらないけど」
「そう常識的には無理だったんだ、だけどタツィオ・ヌヴォラーリはその無理をやってしまった」
「どうゆうこと、早く聞かせて」
「1935年7月、1周約20キロのニュルブルクリンクを確か20周する国際レースがスタートした参加台数は20台位だと店長は言っていたな」
「それでそれで」
「レースが半分過ぎて給油の時点でヌヴォラーリは、6位になっていたんだ」
「ちょっと待って、GTR、スープラ、FD3Sを相手にして6位にまでなったの!」
「そうなんだよ、ここからが伝説のレースになるんだ、この時点で1位との差は約6分近くあったんだ、ここからヌヴォラーリの凄まじい追い上げが始まる」
「どんなどんな、追い上げをしたの?」
「ここからは、観戦していた観客と走っていたドライバーの証言で説明する、先ずは観客の証言『凄いスピードでコーナーに侵入したら車が横を向いて、凄いスピードでコーナーをクリアした』、次に走っていたドライバーの証言その1『同じスピードでコーナーに侵入出来なかった、明らかにオーバースピードなのにリアテールを振った次の瞬間にはコーナーをクリアしていた』、そして証言その2『ヘアピンに侵入する為手前からブレーキングして侵入しようとしたら、アウト側からヌヴォラーリが自分をパスしてヘアピンの寸前でブレーキ車を横にしてクリアしていき、立ち上がりに追い付こうとしたらもう5車身差が付いていた』まあ他にも色々と証言があるが、正にリアル頭文字D的なレースをしたんだ」
「なにそれ、本当に頭文字Dの世界じゃないパドックの方じゃ歓声の雄叫びが響いてそうね」
「そうでもなかった、いい忘れていたがアルファロメオ・フェラーリのパドックはその反対の状況だった」
「ちょっと待って、アルファロメオ・フェラーリってどうゆうこと?」
「その当時フェラーリは、アルファロメオのレース部門だったんだよ、第二次世界大戦後にアルファロメオから独立してフェラーリって会社になるわけ、話しは逸れたがヌヴォラーリの走りは観ているフェラーリにとってもいつ破綻するのかわからない程鬼気迫るものだった、あるメカニックはチェーンスモーカーのごとくタバコを吸いまくり、別のメカニックはただただ無事にレースを終える事を神に祈り、チーフメカニックと監督は、レース中にも関わらずブランデーのボトルを一気飲みして精神を安定させようとした程だ、それくらいヌヴォラーリの走りは凄かったラスト2周は正に伝説に相応しい走りを行った」
「どんな、どんな、走りをしたの?」
「ラスト2周この時点でヌヴォラーリは、2位に浮上していた1位との差は約90秒差まで縮めていた」
「信じられない、6分近い差を90秒迄縮める何て」
「そしてラスト1周、トップのマシンがコントロールラインを通り過ぎた30秒後にヌヴォラーリのマシンがコントロールラインを通過この時のドイツ側パドックでは、信じられないこの現実に次の様な事を述べたと言う『俺は今日初めて怪物というヤツを見た』又は『ヤツは悪魔か』極めつけは『タツィオ・ヌヴォラーリ神が宿っているとしか思えない』と、こうゆう証言が出る程であり、トップで逃げるマシンにヌヴォラーリは遂に追い付き、オーバーテイクを仕掛けるがトップのマシンもそれをブロックしようとした次の瞬間、トップのマシンのタイヤがバーストして失速、その横をヌヴォラーリがオーバーテイクしてそのままゴールした瞬間、一瞬の間を於いてニュルブルクリンクの観客からヌヴォラーリを称える歓声が巻き起こったんだ」
「本当にリアル頭文字Dと藤原拓海な事をやっちゃたのね」
「そう、まあオチが4つ程あるんだけど」
「オチ、オチってどうゆうことなの」
「1つ目は、ドイツ車が優勝する事しか考えていなかったから優勝スピーチの内容を急遽、変更する事になった」
「それじゃ残り3つは?」
「2つ目と3つ目は、イタリア国歌と国旗を用意していなかった事、イタリア国歌に関してはヌヴォラーリが持参したイタリア国歌が録音したレコードでどうにかなったが、国旗に関しては慌てて探して色褪せた国旗を用意した、そして4つ目はこのグタグタ具合を見たヌヴォラーリが一言こう言ったそうだ『今度レースをする時は国歌と国旗をちゃんと用意しな』と言ったそうだ」
「何それ、格好良すぎる」
「人によっては、このレースをニュルブルクリンクのベストレースNo.1と明言しているからね」
「ふ~ん、でも考えれば宣伝用のレースで他国に優勝させられたんじゃ、大した宣伝にならなかったんじゃないの」
「それは大丈夫、翌年のベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』が見事な迄に成功を納めたから、この記録映画はナチスドイツのプロパガンダ映画として批判の声もあるけど、純粋にオリンピックの記録映画として見たら、『オリンピア』を越える作品は無いからね」
「それも、店長の受け売り?」
「これは俺の知っている事、それはそうと杏子、店長に相談したい事って何?」
「それは‥」杏子が言いかけた時、店長が店内に入って来るのを杏子は見るとこう言った。
「店長いきなりだけど、私のS2000ドライサンプ仕様に出来ない、戸〇レーシングカーからドライサンプ用のキット販売しているでしょ」
次回は、ドライサンプについて書きます。
長々とした駄文、失礼しました。





Posted at 2015/06/29 20:19:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2015年06月26日 イイね!

メカについてのss ニュルブルクリンク前半

その日AP2S2000を運転する綾森杏子は、MPTFの駐車場に愛車を止めると作業場所で作業している店長に声をかける。
「店長、私のS2000でちょっと相談したい事があるんだけどいい?」それを聞いた店長はブレーキフルート交換作業の手を一旦止めて返答する。
「わかったよ、少し店内で待っていて作業が終わったら話を聞くから」そう店長は言うと作業を再開し、作業中の赤のFN2を見た綾森杏子は店内に入るとタブレットの動画を見ながら作業待ちをしている人物を見ると声をかけた。
「やっぱりお金持ちのスモウ君だ」それを聞いたスモウという人物は、言い返す。
「俺の名前はスモウじゃない、周防だ周防清人だアンコ、後それから金持ちじゃないぞ!」スモウと言われた周防清人はそう言い返すと
「私の名前はアンコじゃない杏子!フルエアロとホイールとブレーキセットプラス足周りと吸排気系が全部無〇製なのにお金持ちじゃないとは、言わせないよ」
「お前の頭は鳥頭か何度も同じ事言わせるな、懇意にしている某ホンダカーズに無理言って無〇パックとして納車してもらったんだ、ローンはあと二年残っている!」この二人は会うと何時も、お互いの名字と名前をわざと間違って言うのが挨拶がわりになっている為、事情を知っている人間達にしてみたら何時もの事であり、初めて聞く人間は仲が悪いのかと勘違いするものである。そんなやりとりを暫くやった後、綾森杏子は周防清人に尋ねる。
「サーキット走行の準備でもしているの?」
「そう、今度の日曜日サーキット走るから各種オイルとブレーキパッド交換してもらっているの、そういうお前は?」
「私はちょっとS2000の事で相談したい事があって来たの、それはそうと何の動画を見ていたの?もしかしてHな動画」
「違う!!今度出る新型シビックタイプRのニュルブルクリンク、タイムアタック中の動画だ10回位は見ているぞ」
「ふ~ん、今思ったんだけどニュルブルクリンクってどんなコースなの後、いつ頃からあるの?」
「それな俺も疑問に思って店長に以前聞いたんだ、店長の受け売りだが聞くか?」
「うん、聞かせて暇潰しになるから」
「わかった、最初にコースから説明すると低中高速コーナーが170以上あって、アップダウンも結構あるし、長いストレートもあるから車のテストをするにはもってこいのコースでニュルブルクリンクで出来ないテストは、300キロオーバーからのフルブレーキだけと謂われている」
「へー、コーナーそんなにあったんだ、通りで〇ランツーリスモやっていてもコーナー攻めるだけでも大変だったのよねそれはそうと店長の奥さんは?」
「今外出中、それでコースが出来たのはいつ頃だと思う?」
「わかんない、早く教えて」
「少しは考えろ、1920年代後半に完成した」
「そんなに古くからあるの」
「そう当時のドイツの事情もあったからな」
「ドイツの事情?」
「一言で言えば失業者対策、コース自体の開発計画は1910年代頃からあったが1914~18年に第一次世界大戦の影響で開発計画は白紙になったんだが、戦後の酷いインフレ等もあってな失業者に職を与えるという目的でニュルブルクリンクの開発計画が認可されたんだ」
「そんな、事情あったんだ」
「それともう1つ、この当時のドイツで有名な人物は誰だと思う」
「その当時で有名なドイツ人、う~ん、う~ん、ヒトラー位しか思いつかないけど?」
「そうヒトラー、アドルフ・ヒトラーが国策としてニュルブルクリンクを積極的に利用したんだ」
「国策?」
「そう、ドイツの工業力と技術力の高さを宣伝、要するにプロパガンダとして自動車レースを国を挙げてバックアップした結果、ドイツ車は各種レースで優勝する様になったんだアンコお前歴史詳しいか?」
「だからアンコって言うな!歴史なんで?」
「これから言うことが伝説のレースの事に関係してくるからな、ドイツが再軍備宣言をしたのが1935年の3月だ、それで翌年ベルリンオリンピックが有るんだが、同年の7月にニュルブルクリンクで前祝い的な国際レースが開催されたんだ」
「うん、うん」
「その時のレースが未だに語り継がれる伝説のレース、分かりやすく言うとリアル頭文字D的なレースだったんだ」
「リアル頭文字D!?」
後半に続きます。


Posted at 2015/06/26 20:56:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2015年06月26日 イイね!

silver&black

silver&blackようやく、無限製のフロントアンダースポイラーが届き取り付けました。でも、フロントグリルの入荷日はまだ不明ですけど、精悍なフロント周りになりました。
Posted at 2015/06/26 08:06:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2015年06月21日 イイね!

メカについてのss リバースヘッド編最終話

「それじゃ店長、タペット調整とプラグ、エンジンオイルの交換お願いします」
「うん、わかってるよ水城君明日の夕方までには仕上げておくから、仕事帰りに取りに来て」
「わかりました、作業頼みます」そう水城勇也は言うと、駐車場で待っていた嫁の運転するN-ONEの助手席に乗るとMPTFを後にした。
「お疲れ旦那、今日の仕事此で終わり?」
「あー、水城君の車エンジンが完全に冷えてからでないとタペット調整出来ないから明日の朝から作業するから、後は片付けと清掃で終わりだが、女房今日の昼間のリバースヘッドシステムの説明な、もう少し詳しく説明したら100点だったな」
「えっ、もう少しってどういう事なの旦那?」
「ラムエア効果とリバースエンジニアリングの説明が抜けていたぞ」
「あっ、ゴメン確かラムエア効果は吸気効率を上げて、燃焼効率を上げると同時に吸排気効率を良くする仕組みじゃなかったけ」
「まあ、大雑把に言うとその通りだな、それじゃリバースエンジニアリングは?」
「何だったけ、旦那」
「しょうがない今から説明する、リバースヘッドシステムはその後、環境対応型エンジンとして最近の車に採用されるケースが増えている、排気ガスが直ぐに触媒に接触する為、効率良く排気ガスを浄化出来るメリットがある為だ、もう1つはこじつけ何だが、ホンダが97年を最後にJTCCから撤退した4年後にリバースヘッドシステムのK型エンジンを搭載したEP3シビックタイプRを発売した時には驚いた。それまでレースにしか使えられないと思われていたリバースヘッドを搭載した車を量産車に採用したホンダの技術者達には脱帽だな」
「ふーん、その影響なんかな家の店ホンダ車のお客さんが多いもんね、デモカーもホンダ車だからね」
「一応マルチプル、多目的と看板では謳っているが個人的にも最初に購入したのもホンダ車だからし、それに」そこまで言いかけた時に店の奥から声がした。
「パパ、ママ、夕飯の準備出来たよ!」
「わかったわよ、今行くからちょっと待ってね」そう女房は娘に言い返しながら店の奥に向かう。
「旦那その話し続きは、夕飯食べながらにしましょ」
「わかった、先に行って待ってろ作業場のシャッター下ろしたら直ぐに行くから」そう言うと作業場に旦那は向かいシャッターを下ろす準備をしながら明日の朝一から作業を行う車を見て一言、呟く。
「EP3シビックタイプR、K型エンジン搭載の最初のタイプRか、しっかり面倒みてやらないとな」そう呟くとシャッターを下ろし、手をしっかり洗い女房と娘が待つ食卓に向かうのであった。



Posted at 2015/06/21 19:31:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2015年06月17日 イイね!

メカについてのss リバースヘッド編その2

「そう、二人の言うとおりその部分が問題になっちゃたのよね、それで技術的なブレイクスルーが何か無いかと考えた末誕生したのが、リバースヘッドシステムなんだけど問題点が一つあったのよね」
「問題点?」
「そう問題点なのよ藤澤君、田仲君解る?」
「ん~、ん~、あっ解った」
「解ったのか田仲」
「あー、多分いや此が正解だと思う、エキマニの設計が難しかったのでは」
「正解、前方排気のエキマニだとマフラー迄の間に結構な距離があるでしょ、その距離を使って効率のいい排気の流れ排気流速を実現していたんだけど、後方排気の場合はマフラー迄の距離が殆ど無いから、その無い中で効率のいい排気流速を設計するのは結構大変なのよね。設計が悪いと排気干渉が発生して逆にパワーダウンする事もあるのよね」
「成る程、それでDC5のエキマニが高いのか」
「そうよ藤澤君、ちなみにリバースヘッドシステムを搭載した車の成績、気にならない?」
「「確かに」」
「じゃ、結果から言うと速かった本当に速かった、あまりにも速すぎて他のチームからクレームがついた程速かったのよね、何せあるレースじゃ、レース後失格になったにもかかわらずその年のチャンピオンになっちゃたのよね。ホンダのアコード」
「正確に言うと96年の話しで優勝したのはジャックスアコードで、翌年の97年もアコードが優勝しているぞ」作業場所からそう言いながら店内に入って来た人物を見ると奥さんは即座に返答をする。
「そうそう、確かカストロールアコードでしょ旦那」
「おー、よく覚えていたな女房」
「当然、散々その手の話しよく聞かされれば誰だって覚えるわよ」
「確かにそれもそうだな、田仲君エンジンオイルとミッションオイルの交換終わったよ。そして藤澤君、エキマニ交換するんだったら何時でもOKだぞ」
「作業早いですね店長、それじゃ何時も通りの値段でいいですね」
「店長その話しは今度で、ボーナス出たら考えますんで今は勘弁して下さい、今はオイルの交換お願いします」
「藤澤君、冗談だよ、冗談、でもボーナス出たらセールスかけるよ」
「げっ、やぶ蛇だったか?」
「藤澤君、家の旦那セールスかける時は結構かけるから、覚悟しておいてね。家計も助かるから」そう奥さんは、笑顔を浮かべながら言ったが、その時の俺には奥さんの目は商売人の目に見えると同時に、ボーナスが出たらまず間違いなくDC5用のエキマニを買ってMPTFで取り付ける未来が予想できたが『まあいいか、いい仕事をする店だしそれに工賃もどうしてかかるのかしっかり説明してくれるし、仕方ないか』と心の中で納得している自分に呆れながらも藤澤透は、オイル交換作業の為DC5のキーを店長に預けながら言う。
「それじゃ店長オイル交換お願いします。エキマニの件はセールス楽しみに待ちますよ」
「OK、それじゃエキマニのセールス楽しみに待っててな、じゃ田仲君DC2移動させるよ」そう言いながら店長は、作業場所に戻っていた。



Posted at 2015/06/17 22:27:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「訂正ミュシャ展入場待ち140分待ち」
何シテル?   06/04 10:33
タイプRに乗っているので、サーキットを走りたくなりシビックを、チューニングしてサーキットデビューをすると同時に、愛車のチューニングも紹介していきたいと思います。...
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相棒シーズン14 感想 
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2017/04/19 22:30:57
あしたは、洗車 
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