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タイプRチューニング日記のブログ一覧

2016年03月30日 イイね!

メカについてのss アフターパーツプレミアムパーティその6

鈴鹿サーキット ピットロード
メインストレート上にはシグナルスタート形式で始まるレースの出走準備が進められており、出走する車が本来なら2台並ぶ筈のグリッドに3台並んで止めると5ラップで競うレース軽自動車部門のレースが始まろうとしていた。そんな光景を眺めながらレーシングスーツを着用した綾森杏子が言う。
「此だけ台数が揃うと壮観な光景ね」
「まあ、確かに否定はせんがな」そう同意の声で返答するのは周防清人だ。
「それにしても結構様々な車種が並んでいるね。現行型から初代迄の歴代アルトワークス、トゥデイ、ABCトリオのAZ-1、BEAT、カプチーノ、それからS660、ミラターボ、ヴィヴィオに現行、先代型のコペン他にも色々と有るが、反則だろケータハム・セブンを持ってくるのは」感心した様な呆れた様な声で言うのは田仲真二だ。
「NA、ターボ、スーパーチャージャーが入り乱れてのレースだから見応えあるな」遅れてやって来た藤澤透が言う。因みに藤澤透は先程行われていたローリングスタート形式の1ラップレースでR35GTRに同乗しており、荻村瑞希と野島大樹がドライブする。FD2RR、FD2のオーバーテイクシーンをかぶりつきで観て体感していた。何でR35GTRに同乗していたのかというと会場内のブースで1ラップレースの3人分の同乗抽選会が行われており、その抽選に見事当たりR35GTRの同乗になったからだ。
「3×15で45台のレースか、本当に壮観な光景だが今ふと思ったんだがちょっと良いか」田仲真二が皆に尋ねる口調で言う。
「どうしたんですか田仲さん?」綾森杏子は田仲真二に聞く。
「軽自動車のカテゴリーは日本独自の物だろ、何で軽自動車が誕生したんだ?」
「言われてみれば、周防あんた判る?」
「判る訳ないだろ」
「あんたに聞いたのが間違いだった。藤澤さんは?」
「済まん、さっぱり判らん」藤澤透がそう言うと後ろから声が掛かる。
「軽自動車が誕生した理由は、車の歴史を説明すれば大体説明出来るよ」店長の宇佐美和彦がそう言う。
「車の歴史ですか?」
「そう、車の歴史だよ杏子ちゃん最初に今の車の原型を作ったのはドイツ人のカール・ベンツが作り上げたんだが」
「だが、何か問題でもあったんすか」藤澤透が聞く。
「その当時の車というのは極端な話一つ一つのパーツを最高の技量を持った少数の熟練工がほぼワンオフ状態で製作しているからパーツ事態のお値段も高い上にパーツの納入時期もまちまちでやっとパーツが揃って車を組み立てを開始すると今度は細かい部分で微妙に合わないパーツが出てくる。それらの合わないパーツをこれも又、熟練工が手作業で修正してようやくの思いで1台の車が完成するんだ、此だけの手間隙を掛けて1台の車を製作するから掛かる費用はそのまま販売価格に比例して莫大な金額になり、例え買っても今度は製作費なみの維持費用が嵩む為、極一部の富裕層や王室、貴族位しか車は買えず。一般人には買えない高嶺の花だったが、それを変えたのがヘンリー・フォードだ。名前は知っているよね?」
「フォード自動車の創設者の名前で確かT型フォードを生産しましたよね」
「T型フォード、以前聞いた事が有る世界で2番目に売れた車種だよな」田仲真二、周防清人が答える。
「ヘンリー・フォードは今迄の車の作り方を全面的に見直して問題点を洗い出し、概念があった新しい生産方式を考案したんだ」
「新しい方式とは?」
「藤澤君、今では当たり前の方式ライン生産方式の採用だ」
「ライン生産方式、部品の規格化、共通化、作業の単純化を行い。製品と作業者を一つのラインに配置する事で作業性の向上化と合理化を図った方式ですよね店長」田仲真二がそう答える。
「そう、田仲君の言ったことを行ってより正確に言うとT型フォードの生産に特化した単品ライン生産の大量生産方式でコストを大幅に下げて車を売ることに成功した結果、アメリカでは何処よりも早くモータリゼーションと同時に部品の規格化を成し遂げT型フォードは大衆車として成功を納めた。そしてT型フォードに影響を受けてドイツで一つの車、国民車が誕生する切っ掛けに成った」
「「ドイツで誕生した車?」」田仲真二と藤澤透が同時にそう言うのを聞いた周防清人が答える。
「店長もしかして1930年代に計画されフェルディナント・ポルシェ氏をリーダーにして作られた。ドイツでT型フォードの様な車はアレの事かな、と言うかアレ位しか思いつかん世界で1番売れた車だ」
「え、分かったの周防!」綾森杏子が驚きの声で聞く。
「ビートルTYPE1ですよね店長」
「そう、周防君の言うようにビートルTYPE1が誕生した経緯はアドルフ・ヒトラーが関わっている」
「ヒトラー、独裁者として悪名を馳せた人物がどうして関わっているんですか?」藤澤透が尋ねる。
「杏子ちゃんと清人君2人とも、この前ニュルブルクリンクに話をしていたのを覚えているかな?」
「覚えていますよ店長」
「それがビートルTYPE1とどう関係してくるの?」
「ヒトラーは、国威発揚とドイツの技術力を示すために積極的に自動車レースを利用し、その際にドイツ国内インフラ網の新規整備を開始し結果、高速道路アウトバーンが開発されたが、それに付随する形でフェルディナント・ポルシェ氏に一般的な国民にも買える車、国民車の開発を依頼したんだが、当時としては無理難題なスペックを提示された」
「無理難題なスペックとは?」
「田仲君今からその事を言うと次の通りだ。信頼性、耐久性、整備性、生産性が良く、乗車人員も大人2人と子供3人実質的には大人4人が乗れて、時速100キロでの連続走行が可能な上で燃費も良くて、安価な車を1000ライヒスマルク以下、今の値段に換算するなら100万円以下で今言ったスペックを実現しろと言われ、ポルシェ氏意外は不可能だと言った程のスペックの車を作れと言われたが、ポルシェ氏をリーダーとしたチームはこの難題に正面から立ち向かい結果、ビートルTYPE1のプロトタイプが1930年代末に誕生したがドイツ国民には結果的には行き渡らなかった。その理由は何だと思う?」
「ちょっと待てよ、1930年代末と言うことは第2次世界大戦が勃発しませんでしたか」
「田仲君、正解第2次世界大戦が勃発してビートルの生産ラインもキューベルワーゲンという軍用車両に転用されてしまった。余談ながらポルシェ氏も軍用車両、戦車の開発に関わっている」
「関わっていた戦車、ガルパンで有名に成った戦車ポルシェティーガーとエレファントだな」
「ガルパン?」
「田仲さん、ガールズ&パンツァーの略ですよ」藤澤透がそう言うと、周防清人が言う。
「何か、俺の周囲でもそのアニメに填まって大洗まで行った奴も居ますよ」
「アニメなのは分かったが、どう関わったんですかポルシェ氏が」
「ポルシェ氏が関わったのは全く新しい戦車の駆動方式、これが実現できればトランスミッションが不要という方式で説明するとガソリンエンジンで発電機を回して電気を発生させ、発生した電気をバッテリーに貯めて、貯めた電気で左右のモーターを駆動するエレクトリック方式を考案したんだ。話だけを聞くならそれって何て言うハイブリッドカーシステムを作ったんだが、当時の技術で左右のモーターを同調させるのは非常に困難な上にモーターから発生する電気ノイズで通信機が不調になるは、貴重な戦時資源の銅を大量使用する事も問題になり、ポルシェティーガーとエレファントの生産台数は合わせて100台以下だったが、トランスミッションが不要になるというメリットは意外と実戦部隊では好評でエレファントを運用した部隊からの報告もエンジン関係に問題が発生するが、それ以外には問題なしと報告された程だ」
「思い出した。エレファントって一昔前迄は欠点だらけの車両でしたけど近年の資料調査等でそんな事はなかったと、評価が180度変わりましたよね」
「そうだよ。清人君」
「それで、店長ビートルTYPE1はいつ頃から生産される様になったの?」
「杏子ちゃん、戦後の1947年頃から生産が始められ実に半世紀近くも生産された車になった」
「そんなに生産されたんだ。それと軽自動車がどう関係してくるの?」
「うん、この辺りの事を言うと当時の日本を取り巻く環境等とか説明しなければいけないから、省略するけど1960年代に当時の運輸省が国民車構想、軽自動車の規格を設定した。排気量は360ccで大人4人が乗れる車を設定したんたが、日本独自の自然環境と当時の道路事情も考慮に入れると無理難題だった」
「当時の道路事情と自然環境?」藤澤透が聞く。
「当時の道路は未舗装でも珍しくないから荒れた路面でも問題なく走れる車が求められ。更に南北に細長い日本列島の高温多湿で1年を通して温度差が激しい自然環境、北は北海道から南は沖縄まで問題なく動く車を開発しろというのは非常に厳しく困難だった中でスバルが、スバル360を開発しそれらの問題を克服し結果、日本に於ける国民車となりその後を続くようにホンダのN360が誕生しその後このカテゴリーの車は軽自動車として発展していく事になるが、正直言ってバイク並みの排気量で大人4人が乗れて問題なく動く車何て日本以外に存在しない。或る意味軽自動車というのは日本の技術力の塊みたいな車だからね」
「ふ~ん、そんな事情が有ったんだ」
「杏子、因みにビートルを作っている会社名は知っているよな?」
「知っているわよ。フォルクスワーゲンよね」
「日本語に直訳すると国民車になるからな。意外と知られていない」
「へえ~、そうなんだ。意外と博識なのね」
「店長からの受け売りだかな」
「それは、そうと杏子ちゃん何でレーシングスーツを着ているの?」藤澤透が尋ねる。
「あれ言ってませんでしたか?この後にやるNA無差別級レースに出るの」
「俺も出たかったが」
「清人は、この前シフトダウンにミスってオーバーレブを起こしてエンジンブローしちゃたのよね」
「うん、5速から4速にシフトダウンしようとしたら間違って2速に入ってオーバーレブ起こしてエンジンブローでMPTFに入院中って、思い出させるな杏子」
「確か、そのまま直すんじゃなくてエンジンを新しくするんだよね」田仲真二がそう聞く。
「そうっす。K24ブロックを使用した2・4リッター仕様に変更して最高馬力は300馬力にします。これで杏子のS2000とタメを張れます」
「ふ~ん、楽しみにしているわよ」そう綾森杏子が言うと店長が声を掛ける。
「今からレースが始まるぞ」
「店長はどれが勝つと想いますか?」
「難しいが、多分PVに出ていた。AZ-1が勝つと予測はしているが、結構シビアなセッティングだから運転するドライバーの腕次第だね」藤澤透にそう返答する。
「ドライバーの腕次第とは?」これは田仲真二が尋ねる。
「あのAZ-1ピーキーな運転特性で遊びが殆ど無いから、運転していても気が抜けない。殆ど気が抜けない中でレースをするんだからドライバーには酷なレースだよ」AZ-1を観ながら返答する店長だった。

メカについてのss アフターパーツプレミアムパーティその7に続きます。


Posted at 2016/04/10 14:05:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年03月25日 イイね!

行ってきた、その9

行ってきた、その9大洗海楽フェスタに行く前日の土曜日、東京で開催中の美術展4展を梯子で観てましたが、1日で4展も観て回ると正直言って物凄く疲れますが巨匠達の素晴らしい名画の数々は、その疲れを忘れさせる程に見惚れました。
回った4展は、次の通りです。レオナルド・ダ・ヴィンチ天才の挑戦展、ボッティチェッリ展、カラヴァッジョ展、フェルメールとレンブラント展の4展で、最初にボッティチェリ展からの説明に入ります。
サンドロ・ボッティチェッリ、初期のイタリアルネサンスいやフィレンツェルネサンスの礎を造り上げた巨匠です。皆さま方も1度は目にした名画『ヴィーナスの誕生』を描いた巨匠です。今回開催中のボッティチェッリ展は初期フィレンツェルネサンスを牽引した。ボッティチェッリとその師匠、フィリッポ・リッピとその息子にしてボッティチェッリに師事し後にライバルとなる。フィリッピーノ・リッピこの3人の作品が多数展示されており、特にボッティチェッリの初期の作品『ラーマ家の東方三博士の礼拝』は見応え充分です。ボッティチェッリの作画スタイルはテンペラ画と呼ばれる物です。テンペラ画、キャンバス変りの板に鉛板から作った鉛白にニカワもしくは卵白を混ぜ合わせた白色を板に塗って下地を作ってから絵を描きますが、この時に下地に塗った白色を計算に入れて絵を描かないと下地の白が目立つ過ぎる為に塗った絵の具が目立たなくなる可能性が有りますので、下地の白と上から塗る絵の具のバランスを絶妙な迄に使い分けたのがボッティチェッリです。そしてボッティチェッリを語る上で欠かせないのはメディチ家との関係とメディチ家を一時的でもフィレンツェから追放し神権政治を行った修道士ジロラモ・サヴォナローラの2つが挙げられます。
メディチ家の繁栄と共にボッティチェッリの名声が上がります。最初に書いた『ラーマ家の東方三博士の礼拝』はラーマ家からの依頼で描かれました。当時のラーマ家はメディチ家に付くか、反メディチ家の立場を採るかの判断に迫られていました。結果ラーマ家はメディチ家に付くという事を選択しますが、その際にメディチ家に付くという明確なメッセージとしてメディチ家の重要人物が描かれた絵をボッティチェッリに依頼します。当時のボッティチェッリは独立して自分の工房を持っていましたが、ボッティチェッリの工房は開店休業状態で食べる為に父親が営んでいた皮工房の手伝いをしていたそうです。そんな状況のボッティチェッリに依頼したのはメディチ家から多大な支援と制作依頼を受けていたフィリッポ・リッピの弟子という事と細々ですがメディチ家からの依頼も多少なりとも有った事がボッティチェッリへの依頼理由だった模様です。依頼を受けたボッティチェッリは、ラーマ家が望んだ様なメディチ家に付くというメッセージを込められたプロパンガンダの要素を含んだ初期の傑作『ラーマ家の東方三博士の礼拝』が完成しメディチ家の重要人物、祖父、父親、息子等が東方三博士の様に産まれたはがりのキリストの周囲を囲いキリストを敬う絵に仕上がり結果、メディチ家のフィレンツェによる立場はより磐石に成り、これを皮切りにボッティチェッリの元に依頼が殺到し冒頭で紹介した『ヴィーナスの誕生』、『プリマヴェラ』等の世界的な名画を描き。更にシスティーナ礼拝堂の壁画も手掛けこの当時がボッティチェッリの最高潮でしたが次に紹介する人物がボッティチェッリの画風に大きな影響を与えます。
それが、修道士ジロラモ・サヴォナローラです。当時のフィレンツェで絶大なる権勢を思いのままにし独裁的な統治をしていたメディチ家の汚職と腐敗を批判し弾劾した結果、同じ思いを寄せていた。フィレンツェ市民からの絶大な支持を集めたジロラモ・サヴォナローラがメディチ家を追放し汚職と腐敗を一掃し強いリーダーシップの元で神権政治を行いボッティチェッリも、サヴォナローラの神権政治に触発され今まで描いていた画風、絢爛豪華な華美な画風を捨て、質素倹約、質実剛健な地味な画風に変化し更に今まで描いていた華美な絵も自らが破り捨てました。結果、晩年のボッティチェッリの絵は古臭くて地味な絵と一蹴され、更に新たな新勢力ミケランジェロ、ラファエロ、ダ・ヴィンチ等が台頭してくるとボッティチェッリの名は人々から忘れられましたが、19世紀末~20世紀にかけてボッティチェッリはルネサンス期の巨匠の1人として再評価される様に成りました。
そして、次に紹介するのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ天才の挑戦展です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、芸術に詳しくない人でも名前は聞いたことがある。ルネサンス期を代表する巨匠であると同時に万能の天才として名を馳せ、誰もが知っている代表作『モナリザ』、『最後の晩餐』を描きましたが、それ以上に描いていたのは聖母子の絵を多数手掛けています。実際、ダ・ヴィンチの現存する絵の半分は聖母子の絵というのは、意外と知られている様で知られていません。
そして、レオナルド・ダ・ヴィンチ天才の挑戦展にはダ・ヴィンチが描いた最高傑作の聖母子画『聖アンナと聖母子』を描く前に手掛けた『糸巻きの聖母』が出展されており、構図、表情、筆のタッチ等など流石レオナルド・ダ・ヴィンチと観る物を黙らせる。迫力、いや魂を感じてしまい、そして『糸巻きの聖母』の後に『モナリザ』の制作を始めますので、それらの事を考えて観ると『糸巻きの聖母』も『モナリザ』を描く為の矛盾する言い方かも知れませんが習作だった可能性も有りますが、『糸巻きの聖母』は名画の1つと言っても過言では有りません。
そして、カラヴァッジョ展とフェルメールとレンブラント展の説明に移りますが、カラヴァッジョとフェルメールに関してはメカについてのss アフターパーツプレミアムパーティその4で触れていますので、そちらをご覧になってください。と言いたいですが、敢えて書くなら次の事を書かせてもらいます。
カラヴァッジョ、ミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジョが明暗方の使い方を具現化し確立しなければ、レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、ラ・トゥール、そしてフェルメール等が存在しなかったかも知れません。それ程迄にカラヴァッジョが後世の画家に与えた影響力というのは絶大な物が有ります。カラヴァッジョ展の謳い文句『ルネサンスを越えた男』は嘘偽り有りません。
尚、今開催中のカラヴァッジョ展で世界初のカラヴァッジョの絵が公開されています。その絵はカラヴァッジョが様々な諸事情によりローマに戻る際に有力貴族に贈る為に描き、カラヴァッジョが病に倒れた後、行方不明になっていた絵が2014年に発見され。鑑定の結果カラヴァッジョの真作と鑑定された『法悦のマグダラのマリア』は光と闇、特に闇が絶妙な迄に表現されており、闇の部分はより深く表現されて、光の部分は光が照らされているにも関わらず、暗く観えてしまうのに変な言い方ですが闇の中で光が生きているとしか言い様がない表現力で描かれていますので、息を呑み、食い入る様に見入ってしまいました。カラヴァッジョ展、絶対に観て損は無いです。
因みに、バロックの意味はラテン語で歪んだ真珠もしくは宝石という意味が有り。絵画に於けるバロックの意味は宗教画の1種だと考えて下されば理解しやすいと思います。例を挙げるなら十字架を背負いゴルゴダの丘に向かうキリストの絵や、列聖に奉じられた聖人が起こしたとされる奇跡を描いた絵等がバロック絵画です。物凄く乱暴な説明ですが、宗教画の1種だと思っていただければ判りやすい筈です。
最後にフェルメール、ヨハネス・フェルメールは自分が一番好きな画家でフェルメールの生涯を知ると未々不明な点が多すぎます。
フェルメールは誰に師事して絵を学んだのか?それとも独学で学んだのか?これに関しては未だに不明ですが、少なくとも当時からフェルメールの絵の腕前は相当な腕があったのは間違いないようです。実際、画家の組合である。聖ルカ組合に入っています。聖ルカ組合はそれ相応の腕前がないと入れなかった組合で、そこでフェルメールは当時としては最年少で理事を務め、暫くしてから理事長も務めています。
他にも、カメラ・オブスキュラをどんな発想で絵に採り入れたのかも判明していません。
更にフェルメールは、当時大変貴重なラピスラズリをふんだんに使い青色を表現しましたが、どうして値が張るラピスラズリに拘ったのか?これも判明していません。実際、フェルメールの死後多額な借金が残された家族に残り、借金が返済できずにフェルメールの死後半年も経たずに破産宣告を受けており、その際フェルメールが手元に残した絵画の多数は代金の代わりに差し押さえられました。例を挙げるなら、デルフトでパン屋を経営していたヘイデン氏に未払いのパンの代金として絵画を数点パンの代金として差し押さえられています。
他にも色々と有りますが、フェルメールとレンブラント展で展示されている『水差しを持つ女』は、フェルメールが自分の画風、スタイルを確立しつつ時期に描かれている名画でこの後に『真珠の耳飾りの少女』、『絵画芸術』、『真珠の首飾りの女』そして1990年にアメリカ、ガードナー美術展から盗難され未だに行方知れずの『合奏』等の傑作を描いています。それらの切っ掛けになった『水差しを持つ女』は本当に観て損は有りません。東京では今月の31日までの開催でこの後は福島に行きますので、東北地方でフェルメールが好きな人、もしくは芸術に興味のある人、そして自分の拙いブログを見て興味を持った方はフェルメールとレンブラント展をご覧になってください。

Posted at 2016/03/29 23:29:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年03月23日 イイね!

今更ですが、大洗海楽フェスタ感想

今更ですが、大洗海楽フェスタ感想先日の日曜日、茨城県大洗町で開催された海楽フェスタに行ってきました。作者自身もこれ程迄にガルパンに填まるとは夢にも思っていませんでした。(ユニコーンガンダム以来です。これ程填まるとは)、実際車のナンバープレートを見ると結構県外ナンバーが多く最も遠くから来た方はなんとポーランドからも来ていました。
閑話休題、海楽フェスタの会場では、かめさんチームの声優さんのトークショーや大洗高校のブラスバンド、ブルーホークの演奏、ガルパンクイズ大会、他にも色々と有りました。
ヘッツアーの牽引車やボコられぐまのボコが生で観られました。
そして、継続高校のマグネットステッカーを会場内で手に入れる事が出来ず。大洗町のタグチ玩具店に入った際に、なんと継続高校のマグネットステッカーが販売していたので迷わず即購入しました。
他にも色々と大洗を見て回ったので、それらの画像はフォトギャラリーの方にupしますので観てください。
尚、トップの画像は年甲斐もなく嬉しくて愛車に継続高校のマグネットステッカーを貼ってしまいました。
プチ痛車の誕生ですが、意外と車体の色と合って日野屋石油店で愛車を止めていたら、継続高校仕様だと言われたのがちょっと嬉しかった(笑)
Posted at 2016/03/23 23:04:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年03月18日 イイね!

メカについてのss アフターパーツプレミアムパーティその5

鈴鹿サーキットコース上
ぴにゃこら太ターボチューンNC型ロードスターを先頭に前半のテクニカルセクションをクリアしていく6台の車、順位はNC型ロードスター、FD2、FD2RR、86、R35GTR、BRZの順位だR35GTRはローリングスタートを上手く決めてBRZを第2コーナでオーバーテイクして5位に順位を上げた。
やがて、ダンロップコーナを通過しデグナー第1コーナに進入しようとした時に先頭のぴにゃこら太ロードスターが必要以上にインをカットして走ってしまい。右リアタイアをグラベルに落としてしまい。そのままスピンモードでデグナー第1第2コーナ間のストレートのアウト側で止まってしまい。後ろを走っていたFD2、FD2RRは咄嗟にイン側に避けてクリアして行き。その後ろを走っていた86をR35GTRが抜こうとした際にR35GTRのライン上をぴにゃこら太ロードスターが止まっていた為にフルブレーキを掛けながら86の後ろに付こうとしたが、BRZがその場所を占めていた為にそのままBRZの後ろに付き再度のオーバーテイクのチャンスを伺う。
FD2 車内
少し時間をぴにゃこら太ロードスターがスピンした瞬間に戻す。目の前でぴにゃこら太ロードスターがスピンしてアウト側に行くのを見た。野島大樹は頭で考えるよりも先に身体が反応してイン側に避け、その後を同様な反応で荻村瑞希のFD2RRが続く。時間にしたらほんの数秒程の出来事だったが同乗していた鷺沢文香は囁く様な声で言う。
「車って、あんな動きが出来るんですね。思わず目をつぶってしまいました」
「まあ、今のは身体が勝手に反応したから。車の色だけに『蒼ざめた馬』状態かな?」
「英国の作家アガサ・クリスティ著作の推理小説の題名ですか。確か小説の内容の出来事が本当に起こって結果、1人の少女の命を救った逸話が有りましたね」
「良く知ってるね。小説内でタリウム中毒症状が詳しく書かれていた。そんな時に中東の病院から原因不明の症状で倒れた少女が英国に搬送されてきたが、当初は何の症状なのかが全く不明で何かしらの中毒症状らしいという事だけは判明したが問題なのは、何の中毒症状がさっぱり判らなかった」
「そんな時に看護婦の1人が偶々少女の症状を記したカルテを読んでいたら、丁度その看護婦が『蒼ざめた馬』を読んでいてタリウム中毒の症状にそっくりだと報告しました。結果タリウム中毒の治療にはプルシアンブルーが有効だというのが判明した為に少女の命を救いました」
「ミステリーの女王が命を救ったという事で、当時ニュースを騒がせたからな」そこまで言ってヘアピンに進入しようとしたらイン側からFD2RRが飛び込み2台並んでヘアピンに入る。
「不味い!話に夢中になってラインが甘すぎた!!」そう叫びラインを閉めようとするが、既にFD2RRが一足先にイン側のラインで走っており、FD2に出来る事は抜いていくFD2RRのリアテールを眺めるだけだった。
「くっ、しまった今のは完全に此方のミスだ!!結果が良ければその過程における手段は全てにおいて正当化されるか」その発言に鷺沢文香は反応して答える。
「…マキャヴェッリ著作の君主論の1節ですか」
「その通り、一応読んでいるからね」そこまで言ってルームミラーを見ると確認し思わず呟く。
「参ったな、勇気を持たぬ者には道を切り開く事は出来ぬと言うが、正面切って張り合うには正直言って相手が悪すぎるな」そう言いながら後ろから迫って来る。1台の車を見る野島大樹だった。
FD2RR 車内
「うん、脇が甘い、野島君!」言うと同時にFD2のイン側に飛び込み、瞬間的に並走するとそのままFD2の前にでると古澤頼子に言う。
「古澤さん今の感想を絵に例えるなら、何になりますか?」
古澤頼子は今の出来事に何と言ったら分からなかったが、それでも感想を述べる。
「凄いですけど『戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官』に成らない事を祈ります」その返答に荻村瑞希は答える。
「さっきの『メドゥーサ号の筏』よりは良くなっているね例えが」そう返答しながら複合型コーナのスプーンをクリアしつつ後ろを見るとFD2がR35GTRに並ばれたのを見ると、思わず呟く。
「さてと、『ローマの裸馬の競争』か130Rの手前で決まるな」そう言いつつ西ストレートをアクセル全開で疾走する。
鈴鹿サーキット 130R
FD2RRが130Rへのライン取りを行うとした時に後ろからR35GTRが追い付き並走すると荻村瑞希は、素早く状況を判断してR35GTRを前に行かせる。
『悔しいが同乗者がいる状態で、尚且つ並走状態で130Rに飛び込むのは出来ない。この勝負はあんたの勝ちですよ』心の中でそう言うと、R35GTRの一歩後を130RをクリアしてFD2RRが続く。
鈴鹿サーキット メインストレート
実況のアナウンスがメインスタンドに流れる。
「130R手前でR35GTRがFD2RRをオーバーテイク!!そのままシケインをクリアして今、最終コーナに入った!!」そこまで言うと、R35GTRが最終コーナを立ち上がりメインストレートに1番手でチェッカーを受ける。
「1位、R35GTR!続いて2位と3位は、FD2RRとFD2だ!」
そこまで言うとFD2RR、FD2が通過し更に続ける。
「4位と5位はサイドバイサイドだが、86が4位、BRZ5位だ!」86とBRZがコントロールラインを通過する。
「そして、途中でスピンして挽回しようにも及ばなかったぴにゃこら太ロードスターが6位だ!」ぴにゃこら太ロードスターがコントロールラインを通過して1ラップレースが終了した後にもアナウンスが続く。
「それにしても、観客の皆さま方も少しは勉強になったと思いますが、何せ話している自分からして、始めて知った事があるくらいですから何何だったんですかね。あの2人は」半分呆れ声のアナウンスがメインスタンドに響く。
鈴鹿サーキット FD2 車内
レース終了後のクーリング走行をしながらピットに向かっている車内で、今更ながらある疑問を鷺沢文香に尋ねた。
「鷺沢さん、何で同乗する事にしたの?こう言っちゃ悪いけど、この手のイベントには何だか似合わないけど、どうして?」
「…はい、野島さんの言う通りで似合わないと思いますけど、夏目漱石の伝説を発見した人とお話をしたかったのが最大の理由です」
「やれやれ、ターンパイクの一件が巡り巡って、この結果か、素直に喜んで良いのやらかどうかは判断に迷うな」内心で苦笑しつつそう返答する。
「それに、山本さんから話を聞いていましたから。野島君は文学関係には、結構詳しいと聞いていて実際、緊張心をほぐす為に走行前に文学関係のお話をしてくれました」
「それじゃ、いまの状態を『神曲』三部作のうちのどれに例える?」
「…天国編と言いたいです」
「それは良かった。地獄編や煉獄編と言われたら、正直言って凹むけど、地獄編で思い出した。芥川龍之介、著作で地獄変の屏風と言う作品が有ったね」
「…そうです。ある絵師の話です。内容は大殿から地獄を描いた屏風を描く様に命じられた絵師が、実際に牛車に乗った女官が燃えるのを観ないと描けないと返答した結果、本当に女官を乗せた牛車を燃やしてしまう。話ですが」
「読むと大殿と絵師、そして燃やされた牛車に乗っていた女官の関係が、ね。正直言って、何に着想を得たのか気になる所だ。後、『神曲』の著者ダンテから名前を取って、アレクサンドル・デュマが『岩窟王』を書いているよね」
「…主人公の名前はエドモン・ダンデスはダンテを元にしたと言いますし題名も『岩窟王』は他にも『モンテ・クリスト伯爵』とも表現し、モンテ・クリストというのは訳すとキリストの島という意味になります」
「うん、そしてその物語は後の作家達に多大なる影響を与えたからな」
「はい、影響を受けた作家の数はそれこそ数え切れませんから」そんな事を言いながら、ピットに向かっていた。
鈴鹿サーキット FD2RR 車内
「古澤さん、どうして?このイベントに出る事にしたの?」野島大樹と同じ質問を荻村瑞希は古澤頼子にする。
「ターンパイクの一件で、どんな方か興味を持っていましたし、それに絵に関しては知識が豊富だと山本さんから聞いていたので、それから今の感想は『突撃する近衛猟騎兵士官』でレース中は『エプソムの競馬』でした」
「うん、最初の『メドゥーサ号の筏』から『戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官』最後は『突撃する近衛猟騎兵士官』とは嬉しいね。おまけにレース中の感想も『エプソムの競馬』とは本当に嬉しいが、ターンパイクの一件が此処でも付いて回るとは、世の中時たま呪いたくなるぞ」その返答に古澤頼子は少し考えた後、答える。
「そう言えば、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティはご存じですか?」
「ラファエル前派運動の中心人物の1人で『受胎告知』、『レディ・リリス』、『ベアトリーチェの一周忌に天使を描くダンテ』、『プロセルピナ』等など描いた画家だろ」
「その通りですけど、日本では画家として有名ですけど本国イギリスでは詩人として有名です」
「あ、確か野島君もそんな事、言ってたよな」
「文学と芸術の両方に足跡を残しましたので、文香さんとは良く話をしていますが、『プロセルピナ』もギリシャ神話をベースにしたローマ神話ですから」
「そうなの?てっきり元の話はギリシャ神話だと思っていたわ」
「ギリシャ神話でも間違いは無いんですけど、『プロセルピナ』のローマ神話を元に多くの芸術家が様々な作品を残しています例えばベルニーニ作の『プロセルピナの略奪』とか」
「それは、知っている。石に彫られた彫刻とは思えない程の出来映えだから良く知っている」
「ええ、他にも『プロセルピナ』を題材にした作品は数多く存在しますが、ロセッティの作の『プロセルピナ』に関しては笑えないエピソードが有ります」
「確か、モデルにしたのがロセッティに心酔していた画家のモリスの恋人がモデルになった筈だよな」
「そうです。その当時ロセッティは結婚していたのですが、ロセッティに心酔していた画家、ウィリアム・モリスの恋人ジェーン・バーデンと愛人関係になり、モリスもその事を知った上で奇妙な三角関係を築きますが」
「ロセッティの妻、エリザベスは流産に夫の浮気という2つの事実に精神が耐えられず、阿片チンキという薬物に手を出して薬物中毒に落ちていく」
「結果、それが原因となりエリザベス・シダルは亡くなりました。葬儀の際にはロセッティは自分が書き留めた詩集を妻の亡骸と共に埋葬しました」
FD2 車内
「その詩集は今までのロセッティ自身が書き留めた大切な詩集で未公開な物でした。それを埋葬したという事は」
「ロセッティの妻への愛は本物だったが、同時に愛人であるジェーン・バーデンとの愛は何だったのかという問題が起きる。実際問題ロセッティ、モリス、ジェーンの3人の関係は不思議な程に長期間問題なく続く事になるが、ロセッティ自身がある問題を抱える」此方の車内でもロセッティの事が話題になっており、鷺沢文香の後を野島大樹が続ける様に言うと、鷺沢文香は更に続きを言う。
「…眼病をロセッティが患ってしまい。画家としてやっていけるかどうか不安になり。その為に埋葬した詩集を掘り起こして出版しています。妻への愛の為に埋葬した詩集を生活の為とはいえ掘り起こしたロセッティは、亡き妻に捧げる絵を描きます」
「それが『ベアータ・ベアトリクス』を描く事になるが結果的にはロセッティ自信を更に苦しませる事になる。生前の妻への行い。妻を省みず愛人のジェーンと関係を持ってしまい、流産をした妻への気遣いが殆ど無かった己自身を苦しまさせ」
「そして、死んだ妻の墓から妻への愛に捧げた筈の詩集を墓泥棒的に掘り起こして出版した自分自身に良心の呵責を引き起こし、亡き妻と同じ阿片チンキに溺れると同時に酒にも逃避して晩年は自堕落な生活を送り、54歳でこの世を去りますがロセッティが残した絵画や詩集は後の世に多大な影響を与えました」
「そうなんだよな。ロセッティは詩人と画家の両方に足跡を残した人物だからな」そんな事を言いながらピットに戻って来る。
鈴鹿サーキット ピットロード上
R35GTR、FD2RR、FD2、86、BRZ、NC型ロードスターの順でピットロードに車を止めると、アナウンスが流れる。
「それでは、皆さま方1ラップレースを終えた。車とドライバー、そして同乗者に拍手を!でも、ぴにゃこら太ロードスターには同乗者が居ないのでぴにゃこら太に拍手を!!」そのアナウンスが流れると車からドライバーと同乗者が降りてくるが、不馴れな四点式シートベルトの解除に手間取っている同乗者に手を貸す。ドライバーもいる。荻村瑞希と野島大樹もそんなドライバーだ。
「古澤さん、大丈夫馴れてないと四点式外すのには手間取るから、落ち着いて」
「鷺沢さん、ゆっくり外せば問題ないから、落ち着いて外して」2人はそう言いながら、四点式シートベルトを外す手伝いをしていると、アナウンスが流れる。
「2位と3位に成った。荻村瑞希さんと野島大樹さんは手元の資料に依りますと行きつけの店ではインテリコンビとして有名だそうです。正直言って、この手のイベントで聞ける話では有りません。全然似合いません絵画談義や文学関係の話が レース前やレース中、レース後でも聞けるとは今日来たお客さんは或る意味、大変貴重な体験をしたと思います。お利口さんに成って帰って下さい!!」そのアナウンスにスタンドで笑い声と拍手が巻き起こる。それを聞きながら荻村瑞希と野島大樹は思い出した。
『『忘れていた。車内にカメラとマイクが設置されていた事をすっかり忘れていた』』2人はそう内心で思い出し様々な意味で沸いている。スタンドにどういう行動をすれば良いのか本気に悩んでしまう。荻村瑞希と野島大樹だった。
メカについてのss アフターパーツプレミアムパーティその6に続きます。
Posted at 2016/03/23 06:37:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年03月12日 イイね!

メカについてのss アフターパーツプレミアムパーティその4

鈴鹿サーキット ピットロード上 FD2RR車内
時間は少し戻り、メインストレートに車を移動する前のFD2RRの車内から始める。
助手席に古澤頼子が座り、不馴れな四点式シートベルトを綾森杏子の手を借りながら身体を固定するのを見ていた。荻村瑞希は古澤頼子が結構緊張しているのが、はっきりと判り会話で緊張をほぐすのには趣味の話をする事にした。人間が一番リラックスするのは趣味の話をしている時だと相場が決まっている。何より古澤頼子の趣味は自分と一緒だというのも好都合だ。そこまで考えると身体を固定し緊張している古澤頼子に話し掛ける。
「そういえば、趣味でよく美術館や博物館に行くそうですが画家には極論な言い方が許されるなら3通りのタイプが存在します。1つ目は生きてるうちに名声を得て、死んでからもその名声を残すもの。ラファエロ、ダ・ヴィンチ、ベルニーニ、ピカソ等が有名です」
「残りの2つは、どんなタイプですか?」荻村瑞希の話し掛けた内容に、少し緊張感をときながら古澤頼子は尋ねる。
「2つ目は死んでから名声を得るもので、代表的な人物はフィンセント・ヴァン・ゴッホでしょう。何せゴッホの生前に売れた絵は数点しかないと言いますから。後、モディリアーニ、そしてヴィクトル・ハルトマンが有名だな」そう答えつつも最後に言ったヴィクトル・ハルトマンはちょっと意地悪だったかなと、そう思いながら言ったが古澤頼子からは驚きの声で返答が帰ってきた。
「ヴィクトル・ハルトマンを知っていらっしゃるなんて凄いです!」その返答を聞きながら、この話題で話し掛けたのは正解だったと判断すると古澤頼子に答える。
「ヴィクトル・ハルトマン、ロシアの画家で一般的な知名度は殆ど、いや全くといっても無い無名画家だが、ある人物にインスピレーションを与えた事で彼の名は歴史に残る事になった」そう言った直後にスタッフが声を掛ける。
「車をメインストレートに移動して下さい」それを聞くとFD2RRをピットロードの入口からメインストレートに移動させる為に運転し、それを見た古澤頼子は荻村瑞希が言うつもりだった話の後を言う。
「ロシアの偉大なる作曲家ムソルグスキーの名曲『展覧会の絵』を誕生させる切っ掛けを作った画家です。ムソルグスキーとハルトマンは無二の親友といっても良いくらい深い友情で結ばれていましたが、ハルトマンが若くしてこの世を去った時ムソルグスキーは深い悲しみに打ちひしがれ。ハルトマンの遺作展を観にいた時、ある10点の絵を観た時にインスピレーションを受けて、僅か3週間で10章からなる『展覧会の絵』を制作しました」古澤頼子のその答えに荻村瑞希は思わず笑みを浮かべながら答える。
「そう、そのうちインスピレーションを与えた10点のうち9点までは存在するが最後の1点、展覧会の絵の中でもっとも悲劇的な曲の元になった絵だけは、未だに行方不明だ」
「確か、『ビロド』という題名の絵ですよね。意味は2つ有りますよね。ポーランド語で牛車という意味とロシア語で虐げられし人々という意味が有る為に『ビロド』とは、どんな絵だったのか未だに謎になっています」その答えを聞きながら、メインストレート上に車を止める。因みに車のグリッド順は次の通りだ。先頭はぴにゃこら太ドライブNC型ロードスターターボでその後ろは野島大樹のFD2が着き、FD2の後ろにFD2RRが着きその後ろは、原田美世が運転する86が、東郷あいが運転するBRZは86の後ろに着き、最後尾はR35GTRという順だ。
「そう、『ビロド』がどんな絵か分からないけど、でも逆にそれが色々な意味で創造力を持たせてくれる。最後に3つ目のタイプは生きてるうちに名声を得るが死んでから忘れられ、時間を置いてから再評価されるタイプだ。ボッティチェッリ、ラ・トゥール等が当てはまるが、このタイプで1番有名なのはフェルメール、ヨハネス・フェルメールが1番だと思うよ」
「ヨハネス・フェルメール、デルフトのスフィンクスという二つ名が有り。かの有名な名画『真珠の耳飾りの少女』いえ、アダ名のほうが有名な『青いターバンの少女』を描いた巨匠ですね」
「そう、そしてフェルメールを語る上で欠かせない人物が2人いて、1人はミケランジェロですが誰だか解りますか?」もし、その質問をすると10人中9人迄はルネサンス期のミケランジェロを連想するかもしれないが、残りの1人ある程度の美術に関して知識のある人間ならもう1人のミケランジェロを思い浮かべるだろう。そし古澤頼子は後者の1人の方だった。
「解ります。イタリア人にミケランジェロの事を聞くとどちらのミケランジェロだと逆に尋ねられます。一般的に指すミケランジェロはルネサンス期の巨匠、ミケランジェロ・ブオナローティを指しますが、もう1人のミケランジェロ、ミケランジェロ・メリージ・カラヴァジョの事ですね。明暗法の画風を具現化させたバロックの巨匠ですが、それと同時にカラヴァジョ自身の人生も明暗そのものです」
「絵筆を取りキャンバスに絵を描いている時のカラヴァジョは光とするならば、絵を描いてない時のカラヴァジョは闇と言っても過言ではない」
「カラヴァジョ自身、精神的な病、双極性障害もしくは自己愛性パーソナリティー障害だった可能性が有ったかも知れません。実際絵筆を持ってないときの行動は同一人物なのかと疑いたくなります」
「そう、絵筆を持たない時のカラヴァジョは常に剣をぶら下げて喧嘩っ早くて、傷害、中傷、暴行事件の常習者で有り。遂には殺人事件まで起こしてしまい。ローマから逃走しナポリに一時隠れてからマルタ騎士団に入る事で追及の手を逃れたら、マルタ騎士団でも又、問題を起こしてマルタ騎士団から逃げる様に去って行った」
「そして、その逃亡中でも絵を描きましたが、その時に描かれた絵はカラヴァジョの内面というか、心理状態を表しているかの様に光と闇、特に闇が強調されており不安で堪らない心の内を絵にぶつけていましたが、逃亡中にローマから恩赦が出て許されるという事でローマに戻る途中」
「熱病に倒れカラヴァジョは30代でその命を亡くすが確立させた明暗法は後世の画家達に多大なる影響を残した、それじゃもう1人の方は解るかな?」その問い掛けに古澤頼子は考え込む。
『カラヴァジョは明暗法、光と闇の使い方を絶妙迄に使って後の画家に多大なる影響を与えた巨匠、それに影響を受けた画家は多数居て有名処では、レンブラント、ベラスケス、ルーベンス、ラ・トゥール等が挙げられけど、フェルメールを語る上で欠かせないもう1人の人物……はっ、もしかして』そこまで考えると荻村瑞希に答える。
「メーヘレン、ハン・ファン・メーヘレンですか?フェルメールを語る上で欠かせない人物としたら、その人しか思い浮かびません。別名20世紀最悪の贋作者ですが、正直言ってこの評価が正しいかどうかは判断に迷います」そこまで言うとスタートシグナルが灯り、ウォームアップ走行が始まり荻村瑞希はFD2RRをスタートさせながら答える。
「正解、メーヘレンもフェルメールを語る上で避けては通れない人物で、贋作者として勘違いしている人間も結構いるけど、メーヘレン自身優れた画家だったのだが当時の美術会ではメーヘレンの画風が受け入れられず。自分を認めなかった美術会に復讐する為に贋作を作る事にした。ターゲットはフェルメールに絞りフェルメールが描かなかった宗教画を描き結果、『エマオの食卓』という名の宗教画を制作し新たに発見されたフェルメールの真作として売り出され第2次世界大戦前のオランダの美術館に日本円で換算すると10億円以上の値段で売られた」
「その後もフェルメールの贋作を手掛けましたが、第2次世界大戦終了後ナチスドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻が所有していたフェルメール作『姦通の女』の入手経路をオランダ警察が捜査した結果メーヘレンが売った事が判明して、メーヘレンは国家財産売却罪として起訴され売国奴として罵られ法廷に立ちましたが、売った『姦通の女』は自分が描いた贋作だと主張しましたが当初はその主張を誰も信じませんでした。一説によると『お前の様な3流画家がフェルメール何か描ける筈がないと』言われたとか」
「その為にメーヘレンは自分が描いた事を証明する為に裁判所が命じた複数の立会人の元でフェルメールの贋作を描いた結果、贋作だというのが判っていながら全く証明できない程の完成度を誇り、最終的には売国奴から一転してナチスドイツを騙した愛国者になったが『エマオの食卓』の売買に関して詐欺罪が適用され懲役刑を受けた」
「そうです。そしてメーヘレンの贋作の作り方は実に巧妙で当時第2次世界大戦前はフェルメールの研究は着手されたばかりで極1部の鑑定家を欺く事が出来れば問題無かった為に最初にフェルメールと同時代の17世紀の無名画家の絵を購入し、パレットナイフで絵具を完全に削ぎ落して真っさらな状態にする事で17世紀のキャンバスにし、次に当時と同じ絵具を制作し、更に当時使用されていた絵筆も同様に作り他にも色々な事を行い。当時の鑑定をクリアしました」
「そう、ある意味凄い執念でフェルメールという本物に近づけ様と、いや越えようとしたからな。メーヘレンは」
「はい、その通りです。今ではメーヘレンは1流の画家として認められ『エマオの食卓』もオランダの美術館に展示されています」
「カラヴァジョとメーヘレンは、フェルメールを語る上では避けては通れないからな。それじゃフェルメールの絵画技法の話をすると有名なのはカメラ・オブスキュラ、今風に言うならピンホイールカメラを使用して絵の中心点を確定させると同時に、正確な遠近法を把握し更に光が強く照らす場所は歪んで表現される為に、光の強さを色彩で表現した」
「そして、光の強弱を天才的な色彩感覚で表現しました。白、黒、赤、緑、灰色、黄色等を巧みに使い分けました。当時の画家はキャンバスから絵具まで全て自作していましたが、そしてフェルメールを語る上で絶対避けては通れない色、ウルトラマリンブルー別名フェルメールブルーと呼ばれる青色の使い方は本当に美しいです」
「フェルメールが生きた時代、青色というのは貴石の1種ラピスラズリを細かく砕いて作り出したという。当時のラピスラズリはアフガニスタンでしか産出されず。価格も黄金以上の値段で取引されていた。そんな貴重極まりないラピスラズリをフェルメールは惜しげもなくふんだんに使用し描く絵画に命と画家の魂を込めた」
「実際フェルメールが生きた時代に青色を使用した絵というのは非常に少ないです。この状況が変わるのは18世紀初頭の1704年にプルシアンブルーが錬金術の研究過程で偶然産み出される迄、青色というのは画家達の間では夢の色とも呼ばれていました。その為フェルメールの事を色彩の魔術師と呼びますが、光の表現の仕方も上手い為、光と色彩の魔術師と呼んだ方が宜しいかと思います。フェルメールの作品は何時まで観ていても飽きませんから」
「その意見には同意する。俺もフェルメールは何時まで観ていても本当に飽きない時間が経つのも忘れる程に見入ってしまうが、楽しい絵画談義も此処までだな。もうじきスタートだ」荻村瑞希はそう言いながら最終コーナを立ち上がる。
「え、もう始まるんですか?!絵画談義が楽しくて、未々お話をしたかったです」
「此方も同じだよ。さてとテオドール・ジェリコーの様な走りを披露するよ」
「テオドール・ジェリコーですか『メドゥーサ号の筏』で無いことを祈ります」その発言にに思わず笑いながら荻村瑞希は返答する。
「古澤さんも言うね。そこは『突撃する近衛猟騎兵士官』と言って貰いたいね」そう言い終えると、コントロールラインをFD2RRが通過して1ラップレースが開始された。
メカについてのss アフターパーツプレミアムパーティその5に続きます。
Posted at 2016/03/17 06:40:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「訂正ミュシャ展入場待ち140分待ち」
何シテル?   06/04 10:33
タイプRに乗っているので、サーキットを走りたくなりシビックを、チューニングしてサーキットデビューをすると同時に、愛車のチューニングも紹介していきたいと思います。...
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相棒シーズン14 感想 
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2017/04/19 22:30:57
あしたは、洗車 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
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