
今回は前後編に分けて書きます。メカについてのssの登場人物とアイドルマスターシンデレラガールズのメンバーで美術展のストーリーを展開します。
前編、茶の湯展&茶碗の中の宇宙展、登場人物
綾森杏子 愛車AP2S2000
周防清人 愛車FN2シビックユーロR
立花左京 愛車JSZ16アリストV300
花森右京 愛車M3CSL
後編、バベルの塔展&大エルミタージュ展
野島大樹 愛車FD2シビックタイプR
アイドルマスターシンデレラガールズからポジティブパッション
本田未央
高森藍子
日野茜
上記のメンバーで物語が展開します。
2017年4月某日都内某所茶室 1730時
立花左京が家元を務める茶道の流派の宗家、花森家に、今度の茶会で出す茶菓子を、本来なら立花左京とその妻子と綾森圭一が届ける予定だったが、二日前に立花左京の子供が盲腸にかかり入院してしまい妻は子供の面倒を見る為に来れず。更に綾森圭一も同日ぎっくり腰で動けなくなった結果、綾森圭一の代役に娘の杏子が行くむねを先方に伝えた所、エスコート役を一人付ける様に返答されたが、エスコートに相応しい人間、宇佐美和彦は店の作業で駄目で、荻村瑞希と野島大樹は、その日はテレビの撮影が有るというので予定が合わず結果、周防清人が代役として出る羽目になった。突然降って湧いた様な話に泡を喰いながらも促成教育で勉強し、そして今は茶室にて正座をしながら茶室を見ていた。
茶室、本来茶室は茶を楽しむ場所であるが、稀に茶飯釜(ちゃはんかま)と呼ばれる茶事を行う時がある。茶飯釜、要約すれば湯を沸かす釜で飯を炊き、炊いた飯を一汁三菜の食事、懐石料理を茶室でいただい後に、炊いた釜を洗った後にお茶を点てて〆にする茶事である。そして今は、主人である花森右京が3人の客と共に飯を炊き上げる準備を整え、後は炊き上がる迄の間、本来ならその間客人が短歌か和歌を読むのが礼儀とされているが、今回は主人である花森右京と客の立花左京が雑談(互いの近況や家族の事や愛車の違い、同じ直六エンジン搭載車なのに何でこうも違うとか等)をしていた。そんな会話をしていたら徐に花森右京は客の一人、着物姿の綾森杏子に尋ねた。
「杏子ちゃん、どう退屈してない?」
「いえ、退屈なんかしておりません、それに茶飯釜の茶事は久しぶりなので寧ろ楽しんでおります」その返答に花森右京は少し考えた後に別の事を尋ねた。
「じゃ退屈しのぎに今日鑑賞した。樂家一子相伝についての感想は?」
「茶碗の中の宇宙展ですか、そうですね。釈迦に説法かも知れませんが樂焼の歴史というと茶人と茶器の関係で言わせてもらえば、3つに分類されます。一つ目は既存の茶器から自分好みの茶器を選ぶ人、二つ目は自分好みの茶器を陶工師に造らせた人、そして三つ目は自分好みの茶器を自分で造る人で、三つ目のタイプで有名なのは古田織部(ふるたおりべ)の弟子、小堀遠州(こぼりえんしゅう)や本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が自ら作陶して造ったといいますが、異説には織部自身も作陶をしていたとか」
「まあ、確かにそういう異説もあるからね」立花左京がそう答えると綾森杏子は更に続けて言う。
「樂焼の特徴は幾つか有りまして、普通焼物を焼き取り出す際には徐々に窯の温度を下げながら取り出します。そうしないと折角焼き上げた焼物がヒビ割れるか、欠けるかしてしまいますが、樂焼の場合は焼き上げた焼物を一気に取り出して釜の近くに置いてある棚に素早く置いて空気冷却で一気に冷却します。この時一気に冷された事で釉薬が弾けヒビの入る音、パチパチという音がし、それが樂焼特徴かつ特有の風情と景色を産み出します」
「他にも特徴があるよね?」花森右京が楽しそうな表情で訊いてきた。
「樂焼は初代長次郎が築いた基礎、ロクロを使わず手捏ねという技法、手とヘラを使用して造りました。最初に茶碗を持つときに自然に手に馴染む様に手で造り上げ、次に造り上げた茶碗をヘラで高台、そして見込みを削ります。ロクロで造るのと比べて見込みが不均等に成りますが、その不均等さが不思議と得も知れない風情を表現します」
「うんうん、まだあるよね?」
「はい、花森さん、樂焼の最大の特徴は一子相伝が挙げられますが、それを継ぐのは血筋に囚われない、高い技量と能力そして創造力の持ち主が継げられる資格を持ちます。それは何故かと言いますと樂焼は極端な言い方をすれば黒と赤、この二色で表現しなくてはいけませんが、その限られた色で後を継ぐものは樂焼の根幹たる精神を主張しながら全く新しい樂焼を造り上げなければいけません。そして、それを造り上げた者には証、吉左衛門の名を名乗る事が出来ます」
「うんうん、良く勉強しているね」花森右京は、そう関心した声で返答した。
「いえ、一応たしなみとして学んでおりますので、今の現当主、15代目吉左衛門は、フランスの土、おがくず等を使って日仏の調和と融合、いえ日仏合作の全く新しい樂焼を産み出し素晴らしい景色風情を表現しています」綾森杏子のその発言に花森右京は関心しながらも、もう一つの展覧会の事を綾森杏子の隣に座っている。ネイビーのツーピーススーツ姿の周防清人に訪ねた。
「周防君で良かったかな?茶の湯展の感想は?」それを訊かれた周防清人は、綾森杏子、荻村瑞希、宇佐美親子から詰め込み式で教えられた事を思い出しながら述べる。余談だが花森右京、立花左京、綾森杏子は着物でスーツは周防清人だけだった。
「茶の湯展ですか、やっぱり様々な天目茶碗が一同に介したのが見応えがありました」
「例えば?」立花左京が訊ねる。
「木葉天目は黒光りする器と木の葉模様の美しくさに見入り、油滴天目は黒の器に宝石をちりばめ、それを溶かした様な美しさに見惚れてしまい、そして世界に三つしかない三絶の一つ曜変天目の稲葉天目茶碗は、器に夜空と星、いや、まるで銀河を一つの器で表現しているのは、息を呑んで何時までも観ていたいと思わせる魅力と迫力がありました」
「確かに、それじゃ訊くが三絶と呼ばれる曜変天目は何処で造られたのかな?」
「はい、花森さん、中国で造られましたが何故か本場中国では、欠けたり、割れたりした曜変天目しかなく、完全な形で残っておりません一説によると曜変天目が出来ると災いをもたらす為に出来た曜変天目を割ったという説もありますが、曜変天目の美しさは時の皇帝も惚れたそうですから、この説はこじつけだと思います」
「そうか、曜変天目はどうやって出来たかな?」
「立花さん、確か曜変天目の造り方は今の技術をもってしても再現は不可能だと聞き及んでいますが、一説によると油滴天目を造る際の延長線上に何かが加わる事で偶然の産物として出来上がったと聞いていおります。先程言ったように器の中にまるで銀河を封じ込めた崇高な造りは神業と言っても過言ではないかと」その答えを聞いた花森右京と立花左京が、顔を見合わせると少しイタズラっぽい笑みを浮かべると周防清人に訊ねる。
「他に興味があった物はあるかな?」花森右京からの質問に即座に答えた。
「興味があったのは雨漏茶碗ですかね。確か朝鮮の土というか粘土は粒子が荒い為にお茶などを入れると最初は水漏れをしますが、使っているうちに粘土の粒子に茶渋が詰まって水漏れが止まりますが、その過程で水漏れした箇所が何とも言えない風情と色合い、佇まいを表現します。これと同じ様な茶碗は確か萩焼が有名ですが、萩焼が有名に成ったのは秀吉が関係してきます」それを聞いた綾森杏子が口を挟む。
「周防、それって秀吉の朝鮮出兵の事でしょう。確か別名『焼物戦争』と呼ばれて腕の良い李氏朝鮮の朝鮮人陶工を数多く日本に連れて来られて各地で焼物を造って、萩焼も朝鮮人陶工が興して、他にも薩摩焼、高取焼、唐津焼等が有名よね」
「そうです。あん、失礼、綾森さんが言ったように李氏朝鮮からの陶工師によって日本の焼物のレベルは、飛躍的に発展しました。後、それから茶杓も興味深いです」
「茶杓が興味深いとは?」立花左京が楽しそうな口調で訊いてきた。
「はい、茶の湯が本格的に始まった当時茶杓というのは、主人たる茶人が客に茶を振る舞う際には、自らが竹を選び形を考え造った茶杓で茶を点て客に振る舞い、使い終えた茶杓を客に持たせ、客の方も使った茶杓を入れる為の容器、確か追筒と呼ばれる筒に保存し持ち帰り茶杓を眺めながら茶を点てた主人の心情を探ったと聞き及んでいます」そこまで言うと綾森杏子が続けて言う。
「その為、茶杓は茶人の心の声を表現していると」その発言に花森右京と立花左京は満足そうな表現をすると今度は立花左京が訊いてきた。
「周防君、茶の湯の歴史は?」
「茶の湯の歴史ですか、確か鎌倉時代に闘茶と呼ばれる利き酒のお茶版が流行っていた筈です。使った水、何処で採れたお茶かを当てるというモノでしたが、何時しか金銭等を賭ける賭博行為に成りましたが、その風潮に一石を投じたのが村田珠光(むらたじゅこう)、そして……」そこまで言うと周防清人は名前を度忘れしてしまい『ヤバイ、名前なんだったけ』必死になって思い出そうとしていた時に立花左京が助け船を出す。
「武野紹鷗(たけのじょうおう)等が侘び茶を創造しました。武野紹鷗に指導を受けていたのが千利休だった」それを聞いた周防清人は教わった内容を思い出すと口を開く。
「そして千利休は、侘び茶を今日に於ける茶道の基礎を築きました。茶の湯の席では武士だろうが農民だろうが町人であっても身分を問わない茶会を考案し実践しました。茶室に入る際には武士は刀を外さないと茶会に参加出来ず。当時の日本としたら珍しい、茶の湯の世界では皆平等の精神を持ち込みました。平等の精神を持ち込んだのはキリスト教の教えに触れたからという説があります」
「はい、周防の言う通りに千利休の弟子や友人、取り巻きには洗礼を受けてキリシタンに成った者が以外と多く、かの古田織部も洗礼名こそ無いですけどキリシタンだという事は、以外と知られていません」
「綾森さんの言う通りです。その後、千利休は秀吉からの難癖、濡れ衣を着せられ、切腹を命じられますが、千利休の意思を受け継ぐ者が居ました。それが古田織部で同時に数奇者(すきもの)で有名で、こんなエピソードが有ります。京の茶会の時に千利休が客人達を茶室に案内していた時に『瀬田の唐橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)は大変素晴らしく良き物である』と述べました。その後茶会が始まりましたが客人達の中に古田織部が居ない事に千利休が気付き『織部殿が居ないが何処に?』と言うと他の客人も何処に行ったのか判らないと首を傾げましたが、千利休は思い当たる事を思い出すと古田織部が居らぬ中、茶会を始めました」
「そして、他の客人達が帰った後に織部が千利休の所に戻って来ました。そんな織部に千利休が茶を点てるとこう効きました『瀬田の唐橋を御覧になりましたかな?』それに対して織部は『馬を飛ばして擬宝珠を見て参りました。大変美しい
物でした』と答えると千利休は『京から瀬田まで擬宝珠を見に行かれるとは、貴殿も数奇者よの』と、そう返答したそうです」
「そんな数奇者の古田織部が千利休の後を継ぎ、豊臣、徳川と茶頭として仕えました。古田織部は今風に言うならスクラップ&ビルドの精神の持ち主で例えば著名な人物の掛軸を横長だから茶室に合わないと言って裁断して茶室に合わせたり井戸茶碗をワザと割って繋ぎ合わせた茶碗の風情と景色を面白いと言いました。そんな古田織部の真骨頂というのが織部焼です。先程、綾森さんが言ったように異説として織部自身が作陶したといいますが、そんな異説が出るのも判ります。特に織部黒の引き出し黒は樂焼の引き出し黒をよりダイナミックにした物です」
「ダイナミックにね。どんな風にやったのかな?周防君」答えを知っている表現で花森右京が訊ねると周防清人は詰め込み方式で覚えた事を述べる。
「例えるなら熱した日本刀を水に焼き入れるが如く、一気に水の中に沈めて冷却します。この時の窯の温度はどんなに甘くみても1000度を超えています。そんな状況下にある焼物を水に入れて冷却するのは、普通の陶工師なら絶対考え付きません、水に入れるタイミングを少しでも早くないし遅く入れたりすると、ヒビが入って割れるか、織部黒特有の黒光りの艶が無くなるという方法です。そう繊細かつ大胆でまさに何度も言いますが普通の陶工師なら絶対やらない方式です」
「余談ですけど、織部黒は全体的に真っ黒な陶器を指して、黒織部は絵や模様を入れた物を言い、赤織部は赤く発光させた器の事ですよね」周防清人と綾森杏子の返答を聞きながら花森右京は本当に楽しそうな表情をすると「うん、二人とも良く勉強しているね。特に周防君、良く答えられたね」それを聞いた周防清人はこう答えた。
「教えてくれた方々が居ましたので」
「そうか、じゃ特別に懐石料理の懐石の意味を教えよう。左京いいよな?」
「ええ、構いませんよ」
「懐石料理の懐石というのは、修行僧が空腹の際に懐に温石と呼ばれる温めた石を入れて空腹をしのいだ事から懐石の由来になり、更に茶会で供される料理の事を懐石料理と呼ぶように成ったのは江戸時代に入ってからだが、ある書物が出てくる。この書物で懐石料理と呼ぶように成ったのだが、この書物が問題だった」
「そう、南方録という書物で千利休の弟子が書いたとされる書物であったが出てくる人物の年齢や出来事に整合性が全く無い偽書だったが、それ以外の書かれている内容は茶人の心構えと茶の湯の精神を正しく表してある為に、今日では茶人の教科書と成っている」そこまで花森右京と立花左京が言う
釜に火をかけていた飯が丁度炊き上がり、それを見た花森右京は口を開く。
「飯が炊き上がったから一汁三菜の懐石料理を楽しもう」
「そして食したら、お茶を点てて〆ですね」
「新作の茶菓子と一緒にな」花森右京と立花左京の会話を聞きながら、周防清人は無事に役目を果たしのを感じながら此から食べる食事の事を思い浮かべたが「スモウ、茶飯釜の食事は〆のお茶を美味しく頂く料理だから、軽い食事よ」綾森杏子が小声でそう言うと『くそ、帰りのサービスエリアで腹一杯飯でも食うか』と思う、周防清人だった。
茶碗の中の宇宙展 東京国立近代美術館で5月21日(日)迄開催中
茶の湯展 東京国立博物館平成館で6月4日(日)迄開催中
曜変天目の1つで世界に三つしかない三絶の1つ、稲葉天目茶碗は見応え充分
勿論、樂焼も歴代の吉左衛門の作品も良いです。