ひっぱり過ぎの旧車天国ネタ、最終回です。
86年に普通免許取得した自分らにとって今回の85年区切りは
結構思い出深いクルマが範疇に入ったりします。
駆け出しドライバーとして関わった『我らがセイシュンの車達』
まずは
『ジャパァァーン』(by郷ひろみ) です。
いや運転した事は無いんですが(いきなりソレかい)同級生のT野君が
地元某IBARAKI県愛一杯に仕上げた奴に乗ってました。
歴代スカイラインはどれもリスペクトはしているつもりなのですが、
この『ジャパァァーン』だけは見ただけでヒロミゴーの顔とT野君の茨城南部訛りの
太い声がフラッシュバックして見ると思わずクスクス笑いが漏れるのです。
え、特捜最前線? 見てません。 刑事モノはGメンか石原プロだったので。
次はKPスターレット、G殿場時代にお世話になったM山先輩の愛車です、まんまの赤。
峠に連れて行ってもらったりしたのですが、自分は車持って1年目でセンスも経験も
無くて、言葉で言われても全然入ってこなくて大分イライラさせたと思います、
某戦車道聖地のダート走りを経て、ドリフトの真似ごとが出来るようになったのは
那須に帰ってからでしたね、お元気でいるでしょうか。
これもビンボー会社員には見てるだけでしたが、レパード様です。
あらゆるクルマのカテゴリーでトヨタVS日産の図式があった時代でした、
カルロスはこの会場の2割近くを占める日産と旧プリンス車の車とそれを持つ
オーナーの熱さを生で感じ取ってほしいです、サファリ・パトロールがしっかり
新車を出してくれないとランクルもやがてダメになると思います。
おお。初代ファミリア。
学校の後輩のY君が乗ってて、食事会(??)の行き帰りにタクシー役をさせて
○人乗れた~と、インドや中国の白タクみたいな伝説を作っていた事とか
借りて乗ってた時、交差点で右折しようとクラッチ切った時ワイヤーが
『ぶっつん』
と切れて右折レーンで立ち往生の挙句、車降りて
『うおぉぉ~』
っと手押しで右折した事など思い出は尽きない車です。
えー、バカなこと書き連ねましたが、まじめな事書きますとこの個体は
往年の名レーサー高橋徹さんの最後の愛車で、故人の33回忌に
あたり出展されたとの事です、GCカーで常にトップにあり日本人初の
F1レーサーはこの方だったかもしれません、合掌。
して、やはりこれを書かずにはいられない、かつての我がマシン。

いすゞピアッツアです。
自分が乗っていたのは上記とはちょっと違うイルムシャーのMTだったのですが
流麗なスタイルの基本は変わりなく、見ているだけでなけなしの金で車を
あれこれしようとしてた時代が蘇ります。
下の写真は分かる人が見てもキリッとした初期型に見えますが、釣り書き見てビックリ、
最終型のXEハンドリングバイロータス(上の写真)を外板塗装含めて初期型に仕上げた
個体との事。
発売当時としては先進だったデジタルメーターももちろん移植されていました、
最終型の熟成されたメカを初期型のスタイルで残すという発想。
これを評価する方はどれほどいるのか分かりません、が
自分にとって今年のアワードはこの車です。
良いもの見た気がします。
<他人事編>
くみちょうのセイシュンの初期型レガシィRS-R、汗と涙の話は
本人が語ってますが、その中で『チューニングの金でアレが買えた』
と酒飲み語りにする『アレ』がお隣さんに居ました(笑)
めぐり合わせって面白いなぁ。
1日いろんなクルマを見て、最近お気に入りのCMコピー
『クルマは単なる道具ではない』
というのを改めて思いました、また来年参加したいです。(終)
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Posted at
2015/11/30 00:43:43