
少し旧いネタで、しかも鉄ネタです。鉄ネタに関心のない方は、スルーして下さい。
船橋市へ用事を済ませた後、衝動的に「
鉄道博物館」へ行きたくなり、外環道を一直線、大宮へ行きました。
御召専用機のEF58-61号機がこちらに展示されていたのはネットで知っており(⇒
鉄道博物館のニュースリリース)、今まで現物を一度も見たことがなかったので…、船橋まで来たら行ってしまおう!!、ということです。こう思い立つと、外環道は、便利です。
本機は1953年に日立製作所で製造、部品の一つ一つを吟味して製造された機関車で、ロイヤルエンジンだとか。
ロイヤルエンジンは、入口近くに鎮座されていました。
所属機関区「田」(田端機関区)の隣りに「
御召」と指されています。
あちこち、金色でメッキされて、豪華さが漂います。
御召列車は実物は見たことがありませんが、運行される時は、御召機関車は隅から隅まで、徹底的に磨き込まれるとか。
国鉄も民営化され、御召機関車も後継機はないようですが、昭和を感じる鉄道遺産でした。
大宮の鉄道車両自体の展示には、この機関車以外は変化がないような…。京都/名古屋鉄道博物館は、どうなんでしょうか?
181系「とき」です。
475系急行「まつしま」です。
車内に入ることができます。
特急が高嶺の花の子供の頃、急行に揺られて家族旅行に行きました。指定席番号板が昭和らしい…。
485系「ひばり」です。
こちらも車内に入ることができます。今となっては、こういう車内も鉄道遺産となってしまいました。オリジナルの485系普通車は、もうここでしか座れないのではないか…?
実際に座ってみましたが、LCCの座席よりは寧ろ余裕があるように思えました。
昔の特急には、冷水機が付いていたものでした。紙コップで飲んだのは懐かしい思い出です。
JNRマークの付いた国鉄型車両は、やはり今でも惹かれます。デザイン、配色、いずれも整然としていて、今でも格好いいな…と思います。
20系 あさかぜ です。子供の頃から、ブルートレインは憧れでした。
B寝台車です。ベット幅は52㎝で…、さすがに今の日本人には狭過ぎ…かと。
朝は、寝台の解体があり、これも懐かしい風景です。
2Fは、以前はなかったと思いますが、鉄道歴史を時々の車両と共に展示していました。
昔は、車を運ぶ貨車もあったと思いますが、いつしか見かけなくなりましたね。
ということで、本館は見終えたため、お昼にしました。
本館~南館の間で、駅弁を売っており、特急電車の中で食べられる(
ランチトレイン)、ということでしたので、こちらを選択しました。

183系で、座席がリノベーションされたものです。
南館は、鉄道の仕事関連の紹介(仕事ステーション)他、明治以来の鉄道歴史を車両以外も併せて展示していました。
こだま型電車の狭軌スピード記録関連も展示されていました。国鉄の電車化(動力分散)は新幹線で結実しましたが、終戦後、軍の航空関連のエンジニアが国鉄に入ったのも寄与大きかったとか。
鉄道は、車両だけでダメで、電化、軌道、信号システムと全て揃って機能する総力戦です。そういう関連技術の歴史も分かる展示で、南館の展示は、奥が深いな…と思いました。
あと、国鉄の金字塔は新幹線だけでなく、旅客サービスでは「
みどりの窓口」を支えたシステム(
MARS)にもあったと思います。
プロジェクトXでも放送されていました。
情報処理学会から
情報処理技術遺産に認定されています。

国鉄は、やはり凄い企業だった…と感じました。
昭和40年代の上野駅イメージでしょうか?当時の国鉄は、こういう案内板だったように思えます。
マイカー、飛行機との競争に対し、政治的な思惑から運賃が自由に決められないハンディ下、増収への営業努力は重ねました。
懐かしいディスカバージャパンです。スタンプを押す手帳は私も持っていました。
新幹線で修学旅行にも行くのも当たり前になりました。
しかし、運賃改定が昭和40年台は抑制されたこと(国会承認事項)、尋常ではない労使関係(ヤミ手当とか突発休、
ブルトレ機関士の飲酒運転事故)、
スト権ストによる貨物顧客の国鉄離れと残された高い固定費負担(操車場設備と人員)、我田引
鉄とも揶揄されたローカル線建設、これまでの債務からの金利負担…等々で、国鉄は追い込まれていき、1987年に
分割民営化により解体されてしまったのは、ご承知の通りです。
展示会場の暗い出口通路には、
国鉄の玄関銘板が一つだけ展示されていました。

そこを出ると、明るい部屋になり、JRになってから、ということで、個性的な車両等の写真等も展示され、JR化となり生まれ変わった…という展開になっています。
国鉄解体、JR発足から35年経ちましたが、JR本州3社は国鉄債務からの債務引き継ぎは絞られ(37兆円の内、6兆円)、残りは
国鉄清算事業団が25兆円、新幹線保有機構が5.5兆円となり、前者はバブル崩壊に伴う不動産売却の不調等から国鉄と同じく支払金利も賄えず、1998年に国鉄清算事業団は解散、結局は国民負担になりました。JR本州3社の経営が好調なのは、各社の努力も勿論ありますが、国鉄の時は企業努力ではどうしようもなかった人員・金利負担がなくなった、というところも大きいかと思います。
今、JR北海道の苦しい状況は時々報道されている通りですが、これも超低金利政策で当初予定していた資金運用益の大幅な減少も少なからず影響しているのではないか…、政治に翻弄されているのは今も同じではないかと…。こういう中、北海道新幹線の札幌延伸を契機に国鉄が果たした「全国を鉄路で結ぶ」体制の要否が問われているのでは…とはつらつら感じました。
新館5F展望台からは隣の大宮工場、高崎線、上越新幹線を眺めることもでき、家族連れで賑わっていました。

「鉄」「船」関連は、連れ合い様の関心を呼びにくく、今回は単独行動となりましたが、
お食事所も充実しているようなので、次回は引っ張り出せると…とは思っています。
鉄道自体の他、関連技術、昭和の社会世相を知る上でも面白い展示になっており、昭和好きにはお勧めではないかと思います。