その1から続きです。
上陸翌日は、朝一で、小倉の
旦過市場(⇒
リンク)へ行ってみました。火災が相次ぎ、報道もされていたところです。
旦過市場に隣接、火災で消失したが、被害ファンからの支援等で再興した近隣の名画座、小倉
「昭和館」も観に行きました(⇒
映画館リンク、
Wikipedia)。
旦過市場自体は、一部火災で空き地となっているところもありましたが、昭和の市場の雰囲気を感じることもできました。鮮魚店は、九州らしい魚が活きた状態で売っていました。

首都圏で相応のサイズのワタリガニ一匹丸々を手に入れるには…??、私の近隣の魚屋では見たことがありません。茹でたものは、甘い蟹肉で何とも言えず美味しいのですが…、首都圏民からは羨ましい限りです。
この辺、昭和らしさも随所に残っており、ブラブラして愉しいところというのを実感できました。食べ歩き等もできるようです。
この後の数日間は、プライベートな行事があり、愉しい思い出ができました。
九州最終日は、北九州、下関界隈をドライブしました。
名門大洋フェリー(⇒
リンク)の新門司出港は19:50であり、18:30頃までにはフェリーターミナルへ着きたいところです。
まずは、知人から教えて貰った
Cubsの
今永投手(⇒
Wikipedia)の
マンホールなるものを観に行きました。今永投手は、北九州市八幡西区の出身の由、です。
こちらがマンホールです。マンホール近くでは、動画も見える由でした。
投げる哲学者とも言われているのは、皆さんご存知の通りです。
この後は、北九州市八幡東区のスペースワールド跡地にできた「
いのちのたび博物館⇒
リンク」へ行ってみました。
展示スペースも広く、休日ですが、人に押されて…ということは無かったです。上野の
東京国立科学館と比較すると、設備も新しいこともあり、大変快適に観ることができました。

他、北九州市の歴史も展示対象となっており、公害克服の軌跡、企業城下町ならではの昭和の社宅が展示されていました。
官営八幡製鐵所(現、日本製鉄)の 旧本事務所も近くにあり、行きました。世界遺産の由、です(⇒
リンク)。

ボランティアの方が熱心に歴史、建物自体の説明をされていました。
この後は、門司港へ向かいました。門司港レトロと言われるエリアです。
門司港レトロ展望室に登ります(⇒
北九州市パレット、
Wikipedia)に登ります。高層マンションの最上部が展望台となっています。
関門橋です。
関門海峡で下関市街、小倉方面です。関門橋とは反対側です。快晴で、波光煌めく状態でした。
お昼時となりました。
関門海峡、下関/門司で、
地元B級グルメとしては瓦そば、焼きカレーがありますが、
焼きカレーを食べることとしました。門司港レトロ展望室のすぐ近くにある
門司港茶寮というお店で、何の下調べなしで入りましたが、まずまずでした。
この後は、鉄の一員として、
九州鉄道記念館(⇒
リンク)へ向かいます。
「電機機関車新時代へ」という企画展を催しており、国鉄型機関車からJR化後の設計となる新型電機機関車への交代をテーマにしたもので、EF81-303(通称;銀ガマ)の引退に合わせたものと思いました。
記念館自体自体は、奥の茶色煉瓦の建物で、かっての国鉄門司鉄道管理局の由。
九州の赤い電機機関車の写真が展示されていました。
マニア垂涎の銀ガマ、EF81-303の写真も展示がありました。
門司港駅との間には、保管用車両が展示されています。
まずは、九州交流電機のパイオニア、ED72です。この型は、ここでしか見られないかと。
「
く」の字型のフロント部が特徴です。
続いては、583系です。月光型とも言われ、飛行機がまだ高嶺の花の頃、新大阪乗り継ぎでの東京出張等で活躍したという記憶です。
この博物館の展示車両は、車内に入れ、且つ寝台も展開されているのが特徴です。ここまでやっているのは、日本でもここだけでは?
B寝台の下段で、A寝台と同等の広さで、人気でした。
特急月光のダイヤが展示されていました。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通標語がありましたが、旅行だと、夜行列車はホテル代の節約にもなり、この位の所要時間で十分ではないかと…。
14系も展示されています。
B寝台ボックスです。
B寝台そのもの。

ブルートレインは遠い過去の乗り物となったと暫し感慨に耽った後、鉄道記念館を後にしました。
さて、この後は、夕餉の心配です。下関名物の
瓦そば、
鯨料理が
リーズナブルに食べられる、名門大洋フェリー受付にも間に合う食事処はないか、ネットで探していたところ、
壇ノ浦SA(下り線⇒
リンク)が該当するという結論に達しました。
最後はここに立ち寄るとして
長府の毛利邸に行けないか、悩んだのですが断念、連れ合いさまは行ったことのない、
日清講和記念館(⇒
リンク)と
赤間神宮(⇒
リンク)を観て、壇ノ浦SAへ立ち寄り、新門司へ向かうこととしました。
日清講和記念館は、下関の高級割烹、
春帆楼の敷地内にあります。
中には、講和会議のセットが保管されていました。
清国代表の李鴻章の椅子です。
歴史の教科書に出てきた絵と記憶しています。
陸奥外交の功績者の銅像です。陸奥宗光は徹底したリアリストだったとか。
この後は、隣の赤間神宮へ行きました。源平合戦の最後、「波の下にも都の候」と訊かされ入水したわずか8歳の安徳天皇を偲ぶものです。
ライトアップされた神門の先に、夕暮れの関門海峡が見え、いい雰囲気でした。
フェリーの締め切り時間も迫っていることから、壇ノ浦SAへ向かいます。SA内、関門橋の主塔の側に停めました。
SA内レストランは関門海峡を一望できるのですが、もう日は暮れており、真っ暗な眺望です。
まずは、下関B級グルメの瓦そばです。連れ合い様が注文しました。

甘いタレが瓦で熱した茶蕎麦に合い、連れ合いさまと喜んでしまいました。
私は、前掲した「ふぐと鯨合い盛丼」です。

こちらもタレが独特で、フグ、鯨両方に合い、こちらも美味しかったです。鯨はもう少し、他の部位もあっても…とは思いますが、価格を踏まえると無理は言えないかと思いました。
さて、後は、フェリーに乗るだけです。関門橋を渡り、新門司の名門大洋フェリーターミナルへ到着しました。乗船船舶は、「
フェリーきょうと」(⇒
船内図リンク)です。
東京九州フェリーと異なり、ここは、ドライバー、同乗者いずれも車に乗って乗船できます。乗船手続きもスマホのQRコードを示して、ピッピッとあっさり終了です。
Graちゃんも無事乗船できました。こちらは、トラックの空いた隙間に押し込むようなことはなく、整然とした積み込みでした。
部屋は、複数名向けの部屋が取れず、ファーストSという窓なし、洗面台有りの一人部屋となりました。
空調は個別空調であり、この面では快適です。
ネット接続は、StarLinkへ無料で接続しますが(⇒
リンク)、回数制限があります(⇒
ご案内HP)。
トイレ等は共同でしたが、清掃は行き届き、不快に感じることはありませんでした。
東京九州フェリーとの違いでは、19:50発、翌8:30着で旅行には使い勝手が良いことから、家族連れが大変多い、加えて、丁度、夕餉の頃の出港となることから、夕ご飯の弁当をロビー等でお酒も入って食べる人が多く、騒々しいのは、東京九州フェリーとは決定的な違いです。
レストランも東京九州フェリーと異なり、
バイキング一択(大人1名、2千円)であり、私もここの利用は遠慮、前記した通り、壇ノ浦SAで乗船前に済ませました。
お風呂に入った後、予め、Amazon Primeでダウンロードした邦画を観て就寝しました。瀬戸内海であり、揺れ等は全くありませんでした。
長くなりましたので、ここまでとし、以降は、その3とします。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。