MiniCar|EBBRO トヨペットクラウン DX 1958年式 (RS21)
投稿日 : 2010年08月23日
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1955(昭和30)年1月、3年の開発期間を経て発表されたトヨペット・クラウン。ライバル勢が外国メーカーとの技術提携やノックダウン生産を行う中で、あくまでも純国産にこだわって産み出され、戦後日本の復興を象徴する存在として語り継がれています。
私の記憶では1号車には時の通商産業大臣である石橋湛山氏が乗り、とても満足している旨の発言もあったと何かの本に記されていたと思います。
今回ミニチュア化されたのは1958年式。10月にマイナーチェンジを受け、エンジンなどのパワートレインやサスペンションまわりの改良、さらにはミッションにオーバードライブを備えるなどの進化を遂げたモデルです。
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開発の総責任者となった中村健也氏は、「アメリカンスタイルとして、明るく軽快さを演出」「小型車規格いっぱいのボディサイズで堂々と見せる」といったデザインに関する基本テーマを掲げていました。
そして大きな特徴にもなったのが、観音開き方式のドア。前ヒンジの前席ドアに対して、後ろのドアは後ろヒンジで開きます。ただし最近見られるピラーレスではなく、前後ドアを開放してもその間にBピラーが残ります。
これも中村主査のこだわりで、後席への乗り降りをゆったりさせるために絶対必要」と観音開きドアの採用を一歩も譲らなかったそうです。
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顔つきは威風堂々としたもの、特にDX(デラックス)は装飾も華美である上に、曲面1枚ガラスをフロントウィンドゥに採用したことから、流麗さも兼ね備えています。
DXグレードはデビュー年の12月に追加発表されたもので、いわゆる"豪華仕様"。これが神武景気などを背景に市場で大いに受け入れられ、1955年に2,452台だったクラウンの生産台数は1956年には9,657台、1957年には15,596台へ飛躍的に増加していったのです。
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リアビューでの特徴は、当時アメリカ車でもてはやされた「テールフィン」が採用されていること。全盛期のアメリカ車ほど仰々しくそびえ立ってはいませんが、実はこのデザインから海外市場への進出を開発の時点で見据えていたのではないかと窺い知ることが出来ます。
1958年6月、30台のトヨペットクラウンがアメリカに輸出されました。
しかし日本とは格段に異なる高速移動が常のアメリカでは耐久性や運動性能に難があり、1960年には早々に撤退を迫られてしまったのでした。
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その後は事実上の日本市場専用車として着実な進化を遂げ、半世紀以上に渡る伝統を築き上げてきたクラウン。バブル景気の頃には車名別登録台数のベスト3に入ったこともあり、「いつかはクラウン」という名コピーも産まれました。
昨今はセダン市場が冷えきっていますが、それでも他社が同クラスのセダンを生産中止したり、伝統あるブランドネームを新しいものに替えるなどしている中、クラウンは一貫してクラウンであり続けています。
ここにきて中国市場などへの展開も拡大されていますが、もっとも日本の道、そして日本人を知り尽くしたクルマがクラウンであると言えるでしょう。
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