7月29日ー30日に恒例の関東・関西のおっさんキャンプを行いました。
場所は岐阜県恵那市にあるキャンプ場。結構な距離です。(約380km)
連日の猛暑で天気はサイコーです。
今回は猛暑の中不安はありましたがウラルで参加。

前夜にある程度の荷物を積み29日は渋滞を避けるため早朝5時に出発。
昨年は、6時に出発して圏央道八王子JCTの手前からトンネル渋滞に
つかまりましたが、今年は八王子JCTの合流で少し渋滞でした。
夏休みに入ったこともありレジャーの車やバイクが多いですね。
時速80キロをキープして諏訪南ICへ向かいます。途中境川で休憩。
八ヶ岳PAで朝食のため入りましたが駐車場はほぼ満車。諦めて諏訪南IC
で降りて給油&コンビニで朝食を購入。ウラルは走行約180km超で
給油ランプが点灯します。
いつものルート国道152号の杖突峠へ。
スピードが出せないので後方を気にしながら杖突峠の駐車場へ
以前は景色が見える建物に入れたのですが、今は飲食店になったようで
中には入れそうもないのですぐに出発。

諏訪市を望む
の看板。数年前も災害復興で工事中で通行止めでした・・・。
ツーリングのメインである峠越えができないため伊那方面へ下り、国道153号線
を通るのは面白くないので並行して通る県道18号を走行。
時間短縮の為松川ICから中央道に乗り飯田山本ICへ。

飯田山本IC下車。まだ少し時間に余裕があるので、前回通過して目にした
「満蒙開拓平和記念館」を訪問。(下伊那具郡阿智村)

施設内の展示物の撮影は禁止でした。
日本で唯一の施設とのこと。長野県民は満州へ渡った一番多い県民とのこと。
(記念館の資料では長野県の多さが突出してました。)
当時輸出していた絹が世界恐慌によって暴落。農家の長男以外は土地を持たず、
山間部で平地が少ない長野県では土地の配分も難しいため、新天地の満州へ
希望を持って渡ったのは無理もないことです。
また、政府の強力な勧めもあったことから多くの人が渡航したようです。
しかし、現地では中国人の土地と家をわずかなお金で強制的に取り上げたため
ソ連軍侵攻後の悲惨な事につながったと思います。
記念館には当時の画像や動画(ソ連侵攻前)があり、苦しいながらも笑顔で生活
している人々がそこにいました。
また、当時生きて日本に帰ってきた人の証言ビデオや手紙などもあり、ソ連軍の
振興前と後の当時の状況がわかります。
時間があればゆっくりと見学したかったですね。
もっと多くに人に訪れてほしい施設でした。
(わが母校、東京農業大学も多くの学生が満州で亡くなっています。)
再び出発。国道135号線に入り集合場所へ向かいます。
治部坂峠を走行中。後方から車が来たので登坂車線に入ると横を並走する車を
見るとTさんのタント! 助手席には磯ちゃんが!
今回、Tさんはアドレスで参加したかったけどさすがに恵那まで一般道はきつい。
また、色々とキャンプ道具も積んでるので磯ちゃんと二人で車で参加。
タイミングよく合流できました。
峠の先の道の駅「信州平谷」で一緒に休息。

時間がないので早々に出発。国道418号は狭いながらも面白いコースでした。
国道257号に合流し集合場所の恵那市のスーパーバロー岩村店へ
すでに京都組は到着済でした。
後編へ続く
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ツーリングキャンプ | 日記
Posted at
2023/08/18 12:37:52