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広島シロッコのブログ一覧

2017年10月28日 イイね!

入荷速報

入荷速報こんばんは。お久しぶりです。

仕事の展示会ラッシュが漸く落ち着きを見せ始めたので、そろそろブログ記事の執筆を再開したいと考えています。

マツダ・エチュードの宣伝ブログとしてB6エンジンの知られざる秘密だったりデザイン決定までの変遷だったり、諸々追加でネタを仕入れておりますのでお楽しみに。

さて、それはともかくとしてこんなものを落札しました。
エチュードのパネル時計です。



シガレットケースと並んで昭和の時代にはよく作られた自動車メーカーの記念品ですが、マツダは日本流の右に倣え的な風潮が嫌いだったのかこういう品は他社に先んじて余り作らなくなり、ルーチェの印鑑ケースだったりカペラのホッチキスだったりファミリアの方位磁石だったり、車を象ったものでもちょっと捻っていた印象があります。
バブル期頃からはそれすらも滅多になくなりさらにお洒落方面に向かいますが、その件についてはまだいつか。ユーノス500形のメタルキーホルダーは未だに探しています。

「1600 DOHC ONLY」と書いてあることからして1988年のSa追加前のものでしょう。

画像で見る限り、状態も良好そうで到着が今から楽しみです。

我が家には既にカペラCGのパネル時計がありますので、久しぶりに開封し並べて写真撮影と洒落込みたい所。



それでは、次回更新でお会いしましょう。
Posted at 2017/10/28 22:39:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年07月17日 イイね!

極東の地で響いたデザイン~エチュードの為のアリア~

お久しぶりです。広島シロッコです。

本日はマツダ・エチュードという車のデザインの源流というものを探っていきたいと思います。

時を遡る事約半世紀。1960年代の話です。極東の島国日本ではメーカーが雨後の竹の子の如く乱立した自動車業界も落ち着きを見せ始め、各社がデザインというものに目を向け始めた時期でした。

当時のトレンドは大きく分けて二種類。

一つはプリンス・グロリア (2代目)や三菱・デボネア(初代)に代表されるアメリカ調のデザイン。
敗戦後、大柄なアメリカ車に大柄な進駐軍兵士が乗り、我が物顔で街を走る姿は衝撃的だったのでしょう。
その「おこぼれ」に与るようなデザインはかつて珍しくありませんでした。
日本車がアメリカ車の地位を脅かし、巨人GMがXカーやJカーと呼ばれた小型車のシリーズで一台攻勢をかけるのは、それから十余年後のことです。

もう一つのトレンドは日産・セドリック(2代目)やダイハツ・コンパーノ・バン、日野・コンテッサなにど代表されるヨーロッパ調のデザイン。
こちらは本物志向で、ピニンファリーナやヴィニャーレなどのカロッツェリアやジョバンニ・ミケロッティなどのデザイナーに依頼して生み出されたボディを纏っていました。
近年の経済発展と先進国メーカーの自社デザイン化の進行に伴い、中国ではカロッツェリアの手掛けた車両が数多く見られますが、日本にもこれと似たような時代が存在していたのです。


日産・セドリック(2代目前期型)。同時代のフィアット製上級車に似たフロントマスク。

そして主力商品を軽自動車と三輪トラックからより上のクラスへと移行しようとしていた広島の小さな自動車メーカー、東洋工業もまた、後者の道を選びます。
パートナーとして選んだのはベルトーネ。一品制作の工房から、自動車メーカーへのデザイン提案から小規模な生産も行うメーカーへと発展する途上でした。

第一弾となったのはファミリア。スペイン語で「家族」を意味する名を冠した小型セダンであり、個性的なフロントマスクと実用性でまずまずの評判を得る事になります。
この流れに続けと生まれたのが、イタリア語で「光」を意味するハイオーナーカー、ルーチェでした。
かつて天からの光に全てを奪われた広島の人々がこの名を授けたことには、一方ならぬ思いがあったのやもしれません。
デザインを手がけたのは、当時ベルトーネの若手デザイナーであった一人の青年。彼は17歳でダンテ・ジアコーザに見出され、その4年後にはベルトーネ中興の祖ヌッチオ・ベルトーネにスカウトされベルトーネのチーフスタイリストに転身したという経歴の持ち主でした。
その名はジョルジェット・ジウジアーロ。自動車デザインのみならず、様々な工業デザインにその名を残す生ける伝説とも呼べる人物です。

ルーチェのプロトタイプは1963年にお披露目された後、非公開のデザイン検討用モデルとして同じくジウジアーロが手掛けた400cc×2のFFロータリーセダン、S8Pのデザインも取り入れ当初の予定から2年遅れの1966年に発売されました。



ルーチェプロトタイプとS8P。発売時はプロトタイプよりボディサイズが拡大されていた。
市販版の丸目四灯はS8Pの影響か。

またこのデザインに範をとった自社デザイン作、ルーチェ・ロータリークーペも世に送り出され、商業的成功は得られなかったものの、デザインで国内他社の先を行くメーカーという路線は現代にまで引き継がれています。

当時のマツダ社内では、デザイン能力の育成が社の発展には不可欠との認識があり、ベルトーネとの関係はここで一度途絶えることとなりますが、二つの敗戦国の小さな会社の物語はここで終わりではありませんでした。

1979年、ボルボから1台のコンセプトカーが発表されました。
ボルボ・ツンドラ。セダンベースのクーペ、262Cのデザインと生産を請け負っていたベルトーネの手によるコンセプトカーでした。このデザインはボルボとの間では実を結ばなかったものの、ベルトーネ退社直前のマルチェロ・ガンディーニが最後に手掛けたシトロエン・BXに大きな影響を与えたことはよく知られています。
しかしこのコンセプトカーの影響は、別の車両にも波及していました。

マツダMX-81“アリア”。「赤いファミリア」として一世を風靡し、オイルショックという大きな痛手を負っていたマツダを救った名車をベースにしたコンセプトカーとして生まれました。
1981年の東京モーターショーを皮切りに、翌82年春のモントリオールから83年末のフィンランドまでの長期に渡り数多くのモーターショーやクリニックに展示され、高い評判を得たと言われています。


ボルボ・ツンドラ


マツダ・MX-81“アリア”

さて、このコンセプトカーは80年代後半の「新しいライフ・スタイルのスポーティー・スペシャリティ・カー」のトライとして生み出された訳ですが、このコンセプトにピッタリ当てはまる市販車が一台存在します。

そう、何を隠そうマツダ・エチュードこそMX-81の実質的な市販ヴァージョンであるのです。

エチュードは商業的に成功したとは言えませんでしたが、その遠縁であるシトロエン・BXがマツダの5チャンネル戦略の一環としてユーノスディーラーで売り出され、“日本で最も売れたシトロエン”の座に今もなお留まり続けているというのは、まさに運命の悪戯と呼ぶべきでしょう。

そこからさらに20余年。マツダがCX-5を皮切りにスタートした“魂動デザイン”で世界を席巻する中、この小さな自動車メーカーを大いに刺激したカロッツェリア、ベルトーネは2015年3月、2度目となる倒産という形でひっそりとその歴史に幕を下ろしました。

しかしかつての同盟国の優れたアーティスト達から受け継いだデザインの志は、今もこの国に息づいています。
ベルトーネの終焉と同じ年にマツダから発売されたSUV、CX-3は量販コンパクトカーのコンポーネンツを使用したスペシャリティーカー。
発売後1ヶ月でエチュードの総販売台数に並ぶ販売台数1万台というスマッシュヒットを達成し、“アリア”に着想を得た“練習曲”は漸くその役目を果たしました。


CX-3。“魂動デザイン”の中で唯一ブラックアウトされたCピラーを持ち、エチュードに似た印象を与える。

そしてその陰にはベルトーネという稀代の“作曲家”がいたことも、どうか心に留め置いて頂きたく思います。



それでは、次回の更新もお楽しみに。
Posted at 2017/07/17 12:50:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年07月01日 イイね!

次回エチュードブログ更新予告

こんにちは、広島シロッコです。

夏から秋にかけては勤務先のイベント出展が多く、執筆も中々進んでおりませんが、次回ブログの内容を告知させていただきます。

マツダ・エチュードという車のデザインを読み解くには、ある会社の説明が不可欠です。
その会社は、エチュードを直接デザインした訳ではありません。
しかしピニンファリーナ時代のパオロ・マルティンの作品であるコンセプトカーBMC・1800がロベール・オプロンのシトロエン・GSなどに強い影響を与えたように、優れたデザインは例えそれが直接プロダクトモデルに結びつかなくとも、どこかで花を開かせるということが往々にして存在します。


BMC・1800。マッチボックス社のミニカーが当時輸入されており、本邦でもエンスージャストの間ではそれなりに知られた車である。

カロッツェリア―イタリアという国で輝いた綺羅星達の多くは、今や見る影もありません。
けれどもそんな星々の光、かの国の言葉で言う“ルーチェ”は、極東の島国で、人類史に再び刻まれてはならない惨禍からまだ20年にも満たなかった地を照らしました。

それからさらに約20年。月日と共に星は巡り、再びその光が訪れたのです。

次回「極東の地で響いたデザイン~エチュードの為のアリア~」。

更新をお待ちくださいませ。


Posted at 2017/07/01 22:39:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2017年06月25日 イイね!

ずっと探している、音楽のために。

ずっと探している、音楽のために。お初にお目にかかります。広島シロッコと申します。

大分昔に作ったままのアカウントでしたが、この度かねてより捜索中の「マツダ・エチュード」の為にこちらを本格始動させることと相成りました。

総生産台数約1万台。BF型ファミリアとコンポーネンツを共用したスペシャリティカー。
開発当初は正式なプロジェクトですらなく、開発コードP226は後から付けられたものでした。


開発中のモックアップ。まだアングラ・プロジェクトの段階。

後継となったファミリアアスティナ/ユーノス100のように海外輸出(海外では323F)もされず、国内専用車として短い生涯を終えた車ですが、私は昔からこの車を愛してやまない一人です。

トヨタ・セリカ(ST16*)やダイハツ・リーザにも似たグラッシーなグリーンハウスは、良く言えば質実剛健でクリーン、日本車の中では優れているが悪く言うならば「ドイツ風日本車」の枠から抜け出せなかった当時のマツダデザインの中では頭一つ抜けていた。そう私は考えています。


トヨタ・セリカ。エチュードより2年早い1985年に発売。

この車の発売当時、(創業当時から基本的なフォルムを守っているポルシェと空力性能を重視し始めたモデルチェンジから日が浅い車種を除けば)ドイツ車の多くが全ての線を定規で引いたようなデザインばかりでした。

1987年初頭に産声を上げたエチュードと同じハッチバックスタイルのクーペにおいて、ドイツメーカーがこのようなフォルムを手に入れたのは1年後―アウディ・クーペ(B3)やフォルクスワーゲン・コラードの登場からとなります。


アウディ・クーペ。エチュードやセリカを思わせる小さなリア・デッキを持つ。

歴史に「もしも」は禁物とは言いますが、後継の323Fがそうであったように、エチュードを欧州に輸出していれば一定の、恐らく日本国内以上の反響が起こりえたのではないでしょうか。その素養は十分にあったと思います。

基本コンポーネントはファミリアと共用だったのですから、BFMR用のB6ターボ+フルタイム4WDの組み合わせでドイツ勢のオルターナティブとなることすら夢ではなかった。

しかしそうはせずノンターボのFF、されど低圧ガス封入ダンパーを採用(1600ccのみ)するなど走りに無頓着という訳では決してない。
このひとつの「余裕」が、エチュードという車を定義するにおいて重要な一点かもしれません。

前述のフォルクスワーゲン・コラードはスポーツカー的性質を強めてしまいましたが、前身にあたるフォルクスワーゲン・シロッコはコンパクトなスペシャリティカーという、エチュードと同じ属性を持つ車でした。
初代モデルのデザイナーは同じく初代のフォルクスワーゲン・ゴルフを手掛けたジョルジェット・ジウジアーロ。マスプロダクトモデルをの線を引かせたら天下一品、ルイジ・コラーニの対角線上にいる偉大なデザイナーです。


フォルクスワーゲン・シロッコ(初代)

そんなシロッコは手を加えられてこそいましたが、メカニズムのベースはやはりゴルフ。
絶対的なスペックにおいては、目を見張るようなものはありません。
しかしこのモデルは、7年間で50万台以上の売り上げを誇りました。

車のエラさというものが、必ずしも排気量やシートの素材で決まる時代ではなくなってきていたのです。

エチュード開発の動きがスタートしたのは、1980年代前半(この件を含めた開発エピソードについては、いずれ当時の記事なども交えつつご紹介させていただきます)。当時のマツダ社員には、オイルショックによってマツダが受けた大打撃と、「広島ゴルフ」と言われ、当時は現行車種だったBD型ファミリアによる復活劇を記憶する人も少なくなかったでしょう。

そんな中与えられた後にファミリアベースのスペシャリティカーという代物に、シロッコとの近似性が生まれるのはある種の必然だったのかもしれません。

そんな背景も踏まえ、「広島シロッコ」という名前を名乗らせていただくこととなりました。

これからこのブログでは不定期ではありますが、これまでに収集したエチュードのカタログ、記事、ミニチュアやテレホンカード等の各種販促物などを交え、その魅力を伝えていける場になれば、と思っております。
未入手の品でしたら購入も検討させていただきますので、お気軽にご連絡ください。

またこちらのブログをご覧下さった方には、一台でも多くのエチュードを生かしていくために、現存情報の提供にご協力いただければ幸いです。

Posted at 2017/06/25 11:41:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「おまけにカタログを付けてくれました。いい出品者様です……え?逆?」
何シテル?   12/04 20:39
ミニカー(主に80~90年代のマツダ車及びイタフラ車)収集及び旧車探索が趣味。 某玩具メーカーで模型の商品企画に携わっております。 学生の時分からマ...
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