
認める事、認められる事、どちらも大切だ。
自分の非を認める。
他人の実力を認める。
人間、若い頃は、「こん畜生」とか言って、自分の非は認めず、他の物や事のせいにしたり
外見や性格で判断し、他人を認めたがらない。
これは、励みと言う部分では、良い方向に導く場合もあるが、いただけない。
変な、プライドにしがみつき、自分の非を認めなかったり他人の実力を認めない
相手を認め、違いを見つけ自分を高める、こんな風に出来ないものだろうか?
プライドなんて言うが、自分がどれだけの人間だと言うのか
一流と呼ばれる一部の人間が言うのは、分かる
そこまで、行ってない人間は、いわば「どんぐりの背比べ」大して変わらない。
認めることである意味冷静に物事を判断でき自分を見つめなおす
良い機会と考えれば、安っぽいプライドを捨て去ることなど簡単だとおもうのだが・・・
認められる
この、認められる(認めてもらう)というのは、言葉でいうほど簡単ではない。
自分で思うほど人は、評価してくれていないのが現状だ。
それは、人により判断基準が違うし、そうそう、飛び抜けた実力や才能にはお目にかかれないからで。
それに、輪をかけて先のプライドが邪魔をする。
そんな、中で認められると言うのは大変だ
人は、認められようと努力するわけではないが
努力して結果として認められる。
人間の価値は、認められた数ではないが
少ないよりは、多い方が良い
ま、悪い事で認められるのは、簡単だけどね。(笑)
精進、精進
Posted at 2015/07/18 19:04:03 | |
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