
子供の頃の暖房は、何でした?
私は、薪ストーブから始まっている。
その後、石炭ストーブ、石油ストーブ、エアコン、ガス集中暖房と変化している。
薪ストーブ、石炭ストーブは、煙突掃除が必須で
冬になる前に煙突のスス掃除とスズメが巣を作っていないか点検したものだ
その頃の家は、木造平屋
最近は階段が膝に負担等の理由から高齢者に流行しているが当時は、一般的だった。
私が小学校に入学する頃は、まだ薪ストーブ(鉄板ストーブ) で
畳に熱が伝わらないように木枠に鉄板の台を敷いて断熱していた。
最近の鋳物製ではないので火がなくなると家の中がすぐ寒くなった。
朝、起きると、水が凍っているなんて当たり前だった。
燃料の薪は切り株で、斧でまき割りをして小さくする作業をよく手伝っていた。
春先に、道路の踏み固められた雪が凍って、氷の塊になったものが道路を覆う
その氷を割るのに、鶴嘴(ツルハシ)を使うのだが、その経験が今でも役立っている。
そうそう、飯炊きも上手かった。
中学校のキャンプで上手にご飯を炊いてみんなに喜ばれたことが有る。
ま、とにかく貧乏だった、TVも小学校に入学してから、水道も無く井戸水だった。
おいおい、どこに住んでいたのと問われそうだが、場所は近所だ(笑)
当時近所には、何もなかった。
家は、とびとび、100メートルくらい離れていた。
冬に雪が降ると道が分からなくなった。
そんな時の目印は、とびとびの家と樹木
周りは、畑、田んぼ、原っぱ(家畜の放牧)しかなく、そんなものしか目印にならない。
交通手段は、馬そりなんてのも有った。
そんな中、雪遊び、家に帰ると着ていたズボンが凍っていたなんてのも有る。
冬にスキーをしていて川に落ちたことも有る。
そんな生活だったので、しもやけで手足が赤くなっていたのを覚えている。
もう、50年も前の話だ
後、50年経過したらどうなっているのか?
私は、居ないだろうが、火星に住んでいる方がいるかも知れない
暖房は超小型原子炉ボイラー?(笑)
50年前の真空管ラジオを眺めながら過去から未来のブログを書いて見た。
Posted at 2016/03/01 22:54:02 | |
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