
福岡県糸島市の南側にそびえる雷山の中腹にある『雷神社(いかづちじんじゃ)❗️』と高祖山の南西麓にある『高祖神社(たかすじんじゃ)❗️』へ参拝に行って来ました。
先ずは雷神社(いかづちじんじゃ)です。

昔は、天候を司どる雷様に雨乞いなども行われていたようです。
御祭神は、水火雷電神(すいからいでんしん・瓊々杵尊)を主祭神とし、高祖大神(彦火火出見尊)、香椎大神(息長足姫尊)、住吉三神、八幡神の五神がお祀りされています。
社記によれば、第6代孝安天皇より第11代垂仁天皇の御代まで、異国からの襲来が何度もあり、当社の神が大雷火となり異賊を降伏させたとの事で、垂仁天皇がこの御神徳を畏こんで社殿を建て、『敵国降伏の神』として尊崇されたと伝えています。
また「雷山千如寺縁起」には、神功皇后が三韓征伐の時、武内宿禰に命じて宝剣宝鏡を供えて、雷山の主神「水火雷電神」に伏敵祈願を行ったとも記されているとの事です。

参道に張られた注連縄です。

参道の鳥居です。

手水舎です。

参道の右手にある樹齢1000年以上と言われる観音杉(県指定天然記念物)、とても大きな千年杉です。
残念ながら触ることは出来ない様にロープが張ってありますが、近くで見るだけでもエネルギーを頂ける気がします。

参道の階段、階上に拝殿です。
この階段の左側には大銀杏(県指定天然記念物)があり、此方は樹齢が約900年との事で、これまた驚く程に大きい・・・。

拝殿前の狛犬です。

拝殿と御本殿です。

御本殿左手の境内社です。

上を見上げると・・・凄いの一言で、まるで山の神様のような木々が・・・。
空気の流れ・揺れ、差し込む光に違いを感じとれる場所でした。
紅葉の季節に再度、参拝させて頂きたいと思います。
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続いて訪れた高祖神社です。

御由緒によると、高祖神社は彦火々出見尊を主座に、左座に玉依姫命、右座に息長足比女命の三柱をお祀りする神社で、九州諸将軍記には「神代より鎮座あり神功皇后、三韓より凱旋の後、当社の社殿を乾の方に向け御建立」と記されているらしく、この機縁で神功皇后を相殿にお祀りしたと記されているとの事です。
また、古代から怡土郡の惣社(中世には怡土庄一の宮)と崇敬される神社で、三代実録には、今から千百五年前の元慶元年九月二十五日発亥「正六位高礒比賣神に従五位下を授く」と記されていて、この高礒比売神とは高祖神社のことで、相殿に玉依姫命、息長足比売命をお祀りしてあるので、このように呼ばれたと語り伝えられているとの事です。
また境内神社として伊弉諾神社・思兼神社・農業、特に畜産農家の信仰厚い徳満神社の三社がありました。

神社入口に立つ注連縄を架けた注連柱です。

参道途中に立つ一の鳥居

参道途中左側に奉られる境内社:徳満神社です。昔から牛馬の神様として、近年はペットの守り神として崇められているそうです。

参道の途中です。

境内入口に立つ、元禄3年(1690)建立の二の明神鳥居です。

手水舎です。

妻入りの開放的な拝殿です。

境内社:伊弉諾神社です。

神楽殿です。
高祖神楽は、神社の公式サイトによると、今から五百十五年前の応仁元年、戦国動乱の時代、時の高祖城主、原田筑前守種親が盟主である周防国山口城主、大内政弘の要請を受けて京都守護の大任に当った時、戦陣のつれづれに習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされており、江戸時代までは旧怡土郡の神職の奉仕で舞われていたが、明治になってからは高祖神社の氏子の人たちによって受け継がれ、現在は十三人の氏子の神楽師の奉仕で、毎年春の祈年祭、四月二十六日午後一時ごろから夕方まで高祖神社境内の特設舞台で舞われているとの事でした。

とても落ち着いた気分にさせてくれる神社でした。
今回、伺せて頂いた二社は私を神話の世界へ招待して頂いているようでした。
Posted at 2016/07/25 09:21:32 |
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