27日今日は大分から いよいよ神話の舞台
日向(宮崎)に向かいます
ここで「天孫降臨」の伝説について
ざっと おさらいを
この伝説は「天孫」=「天照大神の孫」=邇邇芸命(ニニギノミコト以下ニニギ)が地上を治めるため高千穂の峰に降り立つことから始まります
降り立ったニニギはしばらくして「オオヤマツミノカミ=山の神」の娘の「コノハナノサクヤビメ」と結婚します
コノハナノサクヤビメは三人の子供を産みますが、その長男「火照命(ホテルノミコト)」
と三男の「火遠理命(ホオリノミコト)」との間でいさかいがあり長男が屈します
※ウミサチ、ヤマサチの物語で有名ですよね
ホオリノミコトはこの物語の中で「綿津見神(ワタツミノカミ)」の娘「豊玉毘売(トヨタマビメ)」と結婚します
トヨタマビメは子供を産み、その子は養育係であった「玉依毘売(タマヨリビメ)」と結婚しその子供が「神倭伊波礼毘古命(カムイワレビコノミコト)」=「神武天皇(天皇の始祖)」となるという伝説なのです
いやー長かったデスネ
お疲れさまでした
この物語は「日向三代」と呼ばれ古事記で神代として上巻がまとめられています
私が興味を持ったのは天皇家に通じるこの物語の舞台が、なぜ九州北部ではなく九州南部なのか?高千穂には「天岩戸伝説」等もあり、神話が集中してるんですよね!
その辺の秘密を探りにGOです!
大分を出発し朝から35度の気温の中、南下します
もうね
節約なんていってられないっす
高速道路で常に風にあたっていないと死にそうで
大分から延岡あたりまで高速道路で移動(うれしいことに無料高速道路でした)
休憩のため「道の駅北川はゆま」に降ります
宮崎のお土産をたくさん売っていたので

「チーズ饅頭」と「日向夏のジュース」!暑い日にはたまりませんなぁ
ここから有料の「東九州自動車道」になります
しかし、あと少しで宮崎というところで・・・
はいっ
お約束のゲリラ豪雨ですね
といっても豪雨まで行かなくて
すぐ近くのPAに避難
君に言われたくないですね・・・
少しは涼しくなるかと思いましたが
雨量が少なく蒸し暑いだけ
あっという間に日差しが戻ってきました
そして宮崎市に入り「西都IC」で降ります
この近くに「都萬神社(つまじんじゃ)」という日向二之宮の神社に向かうのです
えっ?
一之宮の「宮崎神宮」へは行かないのかって?
これは私の神社の感が囁くんですよ・・・
伝説の舞台は二之宮なんだと!
町はずれの公園っぽい所にある境内の駐車場にバイクを置き
歩いて神社へ
案内板を見ると・・・
ほーら
祭神は
「コノハナノサクヤビメ」じゃないですか!!
しかも子育ての場所らしいです
コノハナノサクヤビメを祭る神社といえば「浅間神社」が有名ですが
やっぱり原点に近いここが伝説の地としては正解でしょう
境内には巨大なクスノキがあちこちにあり
歴史を感じます
甘酒を赤ちゃんに飲ましたって!
まあ この言い伝えから現在のご利益につないだのでしょうね
コノハナノサクヤビメは個人的にも好きな神様です💛
(絶対に超美人に違いない)
順路に沿って歩きます
あちこちに巨木が!
相撲の土俵もあります(相撲はもともと神事です)
参道は別のところからまっすぐに通っていました
変に曲げられていないので怖い神様ではないですね
おおっ!
狛犬さんが南国風です
シーサーみたい!
場所が変わると
やっぱり違いますねー
こういうところがワクワクします
立派な拝殿
横を見ると
なんじゃこりゃ?
へえー
清酒発祥の地
さっきのは酒樽か!
私的には島根の「佐香神社」だと思うんですけど・・・
年代も古そうだし・・・
いや待て!
あっちは濾過していない「どぶろく」だったのかも!
などと妄想しながら
お参りします
本殿は
朱色が鮮やかな「流れ造り」
千木は女神なので内削ぎ
ちゃんとしてます
摂社を見てみましょう
「四所神社」の祭神に
「磐長姫神」とありますが
この神はコノハナノサクヤビメのお姉さんです
ニニギノミコトがコノハナノサクヤビメと結婚する際にオオヤマズミノカミは姉の磐長姫もいっしょに連れてきたのですが、ニニギノミコトが容姿の良くない姉を返してしまったことから怒りにふれ天皇家の子孫は寿命が与えられたということです
(まあこの辺り政治的な編集ですね)
ちゃんとお父さんの神社もあります
本殿の細部を見ると
イルカ?
なかなかカワイイ彫刻です
境内の外にひっそりと祠が
地主伸でしょうか?
参道は川を渡らせています
結界です
この場合は聖と俗を分けるためですね
思わぬご祭神に巡り合って満足したので
次の場所へ向かいます
この神社から少し山側のなだらかな丘陵地帯に行くと
だだっ広い原っぱに
妙な土の盛り上がりが!
これは古墳ですね!
「西都原古墳群」
中でも行きたかったのが
「鬼の窟古墳」
説明書きにコノハナノサクヤビメに恋した鬼が一夜のうちに作ったとか
ここにもコノハナノサクヤビメが出てきましたね
どうやらこの九州南部では独自のコミュニティーが存在するようです
おそらくニニギノミコトは日向を治めるコノハナノサクヤビメに対して交流を図り国を広げようとしたのではないかと思います(妄想中)
そのような大きな出来事があったと考えたら神話として語り継がれるわけですよね
さて
鬼の窟古墳は?
あの階段を上るようです
登ってみると
石室への入り口が!
行ってみましょう
床の石は後から敷き詰めたものですがその他は当時のそのままのようです
結構大きな石を積んでいます
いったいどうやって加工して積み上げたんだろう?
作られたのは6世紀後半から7世紀ということなので
全国的には前方後円墳が主流なのでしょうが、こちらは円墳です
ただ言えるのはそれよりはるか昔から、ここにはかなり高い文化を持った人たちが住んでいたということですね
ここの地形を見れば集落を作るにはもってこいの場所というのがよくわかります
高千穂もわりと近い位置にあり、高千穂の国の人たちは縄文時代は狩猟採集に適した山の中で繫栄し、弥生時代に東のこの地まで広がって稲作を始めたと考えたら豊かさでいうと九州北部にも匹敵していたかもしれません(妄想中)
だとすると
ニニギノミコトなどのすごい人物が輩出されていてもおかしくないのかも!
まだまだ
妄想は続きますが、長くなったのでいったんこの辺で!
では!
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Posted at
2024/08/03 14:41:04