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2021年05月04日 イイね!

大国主伝説を巡る旅Part2 番外編 神社シリーズその74「出雲大社 摂社 上宮」

大国主伝説を巡る旅Part2 番外編 神社シリーズその74「出雲大社 摂社 上宮」 今回の「大国主伝説を巡る旅」の締めくくりは、出雲大社から約1km先にある「出雲大社 摂社 上宮」です。
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R431から脇道に入るのですが、うっかりすると見逃してしまいます。(私もどこにあるのか最初わかりませんでした)
目印は
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この「大歳社」です。
しかしこの道、車一台分しか車幅がなく、駐車場もありませんので、稲佐の浜の駐車場から歩いたほうがいいと思います。
この道は住宅街の中にあって神社の看板もなく不安になりましたが、しばらく歩くと・・・
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ありました!
しかし神社というには鳥居もありませんし、見ての通り質素な造りです。
神社の入口付近が若干道幅が広くなっていますが、ここに車を駐車してしまうと、離合ができなくなるので停めないほうが無難ですね。
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由緒書きを見ると、神在月に八百万の神々がここで縁結びの会議を行う場所なんだそうです。
なるほど。それで神社という造りになっていないんですね。
一応ご祭神にスサノウノミコトと八百万の神となってます。万九千神社と同じですね。
スサノオノミコトはここの管理者なのかな?
神在月には神様がぎゅうぎゅうに詰まってらっしゃるのでお参りするとご利益がたくさんもらえそうです。
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一応 随身門がありその先に拝殿らしい建物があります。
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本殿の造りは平入の建物で、大社造りではないようです。
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千木も鰹木もありません。
いろんな神様が集まるので特定できないのでしょう。妙に説得力があります。
だから社殿も大社造りにしていないのか!
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境内は割と広く会議に疲れた神様はここでリフレッシュでもするのでしょうか?
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境内の一角に、これは井戸でしょうか?何の説明もありませんが、気になりますね。

さてこれで古事記、日本書紀での出雲神話の話は終わりになります。
国譲りの後は天皇の話になっていきますが、まだまだ謎は続きます。

その話はいずれ・・・
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※帰りは吉田掛合ICまで高速、その後R54で元来た道を引き返しました。
 途中の道の駅 布野で

では!


Posted at 2021/05/09 10:39:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社 | 旅行/地域
2021年05月04日 イイね!

神社シリーズその73「出雲大社」~大国主伝説を巡る旅Part2~

神社シリーズその73「出雲大社」~大国主伝説を巡る旅Part2~ 続いて出雲大社に行きます。 
稲佐の浜で国譲りを了承した大国主命はその代わりに天にも届く高い神殿を要求し、それがこの出雲大社の原型となりました。
メディアでも紹介されたように、実際にその神殿の柱が出土し話題になりましたよね。
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現在残っていたら物凄いパワースポットになってますね。
このことについて、前から疑問だったことがあります。
いくら出雲の国との交換条件だとしても支配した国のためにこんなに立派な神殿を作り、しかも現在まで大事にするものでしょうか?
敬意を払っているというよりは負い目や恐れを感じてしまいます。
大国主の後に統治した出雲国造とは天穂日命(アメノホヒノミコト)を祖先とする千家家で出雲大社の代々祭祀を司っており、近年皇族の方との結婚があったりと天皇家と深いつながりがあります。こうまでして出雲大社=大国主命に尽くすわけとは・・・
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出雲大社の参道は下り参道。通常は登るか水平です。
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大社へ参拝する前にこの祓社にてお清めを行うのが基本です。
この祓社は大神神社にもあります。こういう2重のお清め方法も独特。
(一つは手水舎)
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参道の右側に広場がありその先に鳥居があります。
前に来た時に気になっていたので、今回行ってみました。
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説明によると摂社ではなく、大国主の住居を作るための道具を埋めて奉納した場所なんだそうです。出雲大社の別名「杵築大社」の語源。
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会所です。
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会所とは平たく言えば社務所みたいなものです。
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有名な石像。今回は後ろ側から。
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巨大な拝殿です。
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隙間からじゃ本殿は見えませんね。
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本殿の前に楼門があり、これまた本殿全体は見えません。
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横からでは屋根しか見えません。
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写真ではわかりにくいですが、とにかく桁違いに巨大です。
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この本殿の中で、大国主命はなぜか正面ではなく横向きに座られているのだそうです。
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境内の東西にある十九社。神様の泊る場所です。今は無柱です。
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本殿の両脇に3つの社があり、大国主命の正妻の「スセリビメ」と一度目の復活に力を貸した「サキガイヒメノミコト」と「ウムガイヒメノミコト」の2女神、そしてもう一人の妻の「タギリヒメ」(宗像三女神の長女タゴリヒメとも呼ばれる)が祀られハーレム状態。
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あっ! つい手がシャッターを! 絵になりますねー。白と赤が鮮やかに映えます。
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さて、ここまで出雲大社を見てきましたが、何か気づきませんでした?
1.下り参道
2.祓社での二重のお清め
3.御祭神が横に向かされている
4.周りを女神に囲まれ骨抜き状態
そして最後は参道の直線状にない本殿入口です。
境内の案内図は、
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このように直線上にあるかの如く書かれていますが実際は
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左にずれています。参道がわずかに曲がっているのがわかりますよね。
昔は参道も横から入ってくる形だったそうです。
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なんか「スサノオノミコト」の祀り方と似ていませんか?
殺してしまったスサノオノミコトが祟り神にならないよう封印してるのと同じく、オオクニヌシノミコトも最終的に殺され祟り神にならないよう封印されているのではないでしょうか?

神話では穏便に国譲りがされているように書かれていますが、実際は虐殺や長い戦いがあったに違いありません。国譲りまでに何柱も神が来ていることがその証拠だと思います。そう考えると、この強力な怨霊神を鎮めるために厳重に封印し壮大な社殿を建て高貴な方たちが祈りを捧げているのでは・・・と妄想します。
日本が一つにまとまるために必要な犠牲だったかもしれませんが、大国主の伝説を巡ってきた私には切なく思えました。

などと妄想しながらも、しっかりとお土産を買ってしまう私なのです。
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このお饅頭は私の一押しです。「俵まんぢゅう
福岡の「通りもん饅頭」を抜いて一位ではないかと!
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下の白いのは「美保神社参拝記念饅頭」です。こちらも美味かったね。
皮は山芋で中はこしあんの蒸し饅頭でした。
俵まんぢゅうはカステラのようなふわふわの生地の中に上品な甘さの白あん。
このあんこが絶品で口の中でとろけます!
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ぜひ皆さんもご賞味あれ!

あっ あともう一つ番外編があります。それは次回で
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では!


Posted at 2021/05/08 23:55:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社 | 旅行/地域
2021年05月04日 イイね!

大国主伝説を巡る旅Part2 稲佐の浜

大国主伝説を巡る旅Part2 稲佐の浜 「万九千神社」を後にし、国譲りの舞台に向かいます。
ここからは出雲大社の近辺が舞台となります。

「国譲り」のきっかけは大きな国となった出雲を見て「アマテラスオオミカミ」がここは自分たち「天津神」が治める場所にふさわしいと言ったからです。
「古事記、日本書紀」によると「天津神」とは天上界(高天原)にいる高位の神、一方大国主命らは「国津神」という地上の世界にいる神のことです。

3世紀中ごろ(弥生後期)には九州、出雲に並び、奈良(大和)に大きな勢力ができてきます。大和に関しては先の日本海ネットワークから逸れているように感じますが、実際は丹後のあたりから琵琶湖に入ればあっという間に奈良にたどり着きます。出雲の人たちが奈良に住み着いていたという痕跡が、三輪山のふもとにあります。
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東(右端の)赤丸に「出雲」という地名があるのがわかりますかね?
(スマホの人、すみません)
西のほうにもあるらしいのですが探せませんでした。
大神神社(おおみわ)と言えば「大物主神」ですね。この神様も「大国主と深い関わりがあり
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※2019年に訪れた「大神神社」

この神様はスクナヒコナが国造り終盤で突然帰ってしまったとき、海の向こうから
やってきて自分を三輪山に祀れば国造りがうまく進むであろうと言いこの地に鎮座したといいます。大国主命の分身とされます。このことと、出雲の地名が残ることは、この大和の元になる国の成長に出雲の人が関わったのではないでしょうか?

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国譲りの舞台、「稲佐の浜」を目指します。
島根半島の西の端から海岸線を北上すると・・・
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到着です。
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「弁天島」が目印です。
この浜は神在月に八百万の神々がやってくる玄関口にもなりますが、国譲りの交渉の場でもあるのです。
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まず交渉のために、高天原から何柱も使者が来るのですが、ことごとく失敗します。
交渉上手の大国主のことですから、チョロいもんです。
しかし最後の使者「建御雷神(タケミカヅチ)」は違いました。武力行使です。
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右が「建御雷神」です。超威圧的な態度。これは怖いですよね。
大国主命は息子の事代主神に相談しますが・・・
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※前日に行った事代主神が祀られている「美保神社」

譲ったほうが良いでしょうとだけ言って籠ってしまいます。
そりゃあ事代主神は漁業の神様です。争いごとには向いていません。
そこで、もう一人の息子の「建御名方神(タケミナカタ)」に相談すると、勇敢にも建御雷神と力比べをします。
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しかし、軽々と投げ飛ばされて、そのまま当時交易していた諏訪まで逃げてしまいました。(新潟の糸魚川はヒスイの産地で勾玉などの祭祀の道具で重要です。上流に諏訪がありタケミナカタを祀る諏訪神社があります)

万策尽きた大国主命は立派な社殿を建ててもらうことを条件に出雲を手放すのです。

【妄想タイム】
この神話は中国の「魏志倭人伝」に出てくる「倭国大乱」に関係するものという説があります。九州、近畿で勢力を伸ばしていた国(部族の集まり)が争う内乱です。
出雲が広めた「卑弥呼システム」が権力者(男性)によって操作され始めたのでしょう。

持論ですが、魏志倭人伝にある邪馬台国は九州だと思います。大陸から来て一番近くて大きい国は九州だからです。朝鮮半島の人たちからも情報を得ていたと思うので妥当ではないかと。卑弥呼システムもありますし。逆に出雲は交易地としての機能は大きいけれど統治している人口が分散していて国として認められなかったのでは?

もう一つの候補地、畿内説はどうにも遠いし候補地としての判断材料の「卑弥呼」については卑弥呼システムとして複数人いるのだから決め手にならないかと。

では出雲に接触してきた国は九州かというと、そうではなく、内乱の度合いは九州が酷く、そちらで手いっぱいだったので「大和」だと思います。
理由として、大和は交易ルートが欲しかったのではと思います。内陸にあって日本海に進出するには出雲が邪魔ですし、出雲が流通させている鉄がどうしても欲しかったのだと思います。なので「大和の卑弥呼」から神託として出雲を手に入れよという操作が行われたのかも・・・

鉄は農具として国を豊かにできる道具ですし、また、強力な武器にもなります。
ただ出雲は鉄をほとんど武器として作っていなかったんだと思います。
これは以前訪問した荒神谷遺跡から出土した銅矛に刃がついていなかったことからも考えられます。縄文から弥生までほとんど争いをしてこなかったんだと思います。
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※荒神谷遺跡の出土品。棒状のものが銅矛、銅剣

こうして平和だった出雲は国譲りと称して侵略されてしまったのでしょう。
この時代(弥生後期)には島根、鳥取の遺跡から大量虐殺の痕跡も発見されています。血なまぐさい歴史があったのですね・・・
以上妄想タイムでした。

さて、気持ちを切り替えて、お昼近くになり、おなかも空いたので昼ごはんを食べに。
出雲に来たら、いつも「かねや」さんの出雲名物 割子蕎麦です。
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一段目は卵の乗った月見そば
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二段目は、とろろの乗ったとろろ蕎麦
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三段目はシンプルな「もみじおろし」だけの蕎麦
いやー美味い。
この後、出雲大社にお参りです。
デザートに参道沿いのお店でソフトクリームを
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はちみつソフトです。
トッピングにはちみつをかけてくれます。
この日は気温も上がって冷たいソフトが余計においしく感じました。

では!
Posted at 2021/05/08 16:44:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | 風景 | 旅行/地域
2021年05月04日 イイね!

神社シリーズその72「万九千神社」~大国主伝説を巡る旅Part2~

神社シリーズその72「万九千神社」~大国主伝説を巡る旅Part2~ 5月4日。
最初の神社は「万九千神社(まんくせん)」です。
神在月に全国から集まった八百万の神々が縁結びの協議が終了した後、最後の宴会を行う場所です。「直会(なおらい)」と呼ぶんだそうです。まあ「お疲れ様会」ですね。
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道が新しくなっているので、わかりにくかったよね。
駐車場も最近広く整備されたようです。
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だだっ広い敷地が公園のように整備されていてきれいです。
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その公園に「伊勢神宮遥拝所」という祠が整備されています。
なぜこの場所に?と、説明を見ると・・・
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出雲大社と万九千神社、奈良の大和、伊勢神宮の位置が一直線に並ぶんだそうです。日が昇る場所と沈む場所を意図的に結んでいる?という仮説から遥拝所を設置したのだそうです。
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参道です。ここも最近整備されたようです。
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神社の入口。「万九千神社」と「立虫神社」の二つの社があります。
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まずは立虫神社から。
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主祭神に「五十猛命」があるので出雲国風土記に関係する神社とわかります。
この神社はあの出雲国造(出雲大社の祭祀を代々執り行う)の千家氏ゆかりの神社です。
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祭壇の前にも鳥居があるのは初めて見ました。
本殿を拝みに行きます。
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割と新しい社殿ですね。遷宮されたのかも。
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なにか彫刻がされています。
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なんか雲のような・・・
なかなかカッコイイです!シンプルな感じが!
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側面にも。
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高床式♪
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右隣の万九千神社。
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主祭神の「くしみけぬのみこと」は食物を司る神様との説明ですが、熊野大社の祭神のことです。しかし熊野大社ではイコール「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」なので、こちらでは名前を変えられて祀られていることになります。複雑ですが、こうでもしないと「オオナムチノミコト(大国主命)」と一緒に祀られないんでしょう(妄想ですが)
当然相棒のスクナヒコナも一緒です。
あと、八百万の神というのが他にはないですよね!
今は神在月ではないのでほとんど無人ですが・・・(いや無柱というべきですね)
拝殿の裏に回ると
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「いわさか ひもろぎ」と呼ばれる岩が鎮座しています。
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この社は本殿を持たない代わりにこの岩がご神体だそうです。
祭祀もこの神社独特のものがあり歴史を感じます。
だって宴会をするためだけの場所ですから。おもてなしを十分にしないと失礼になるんでしょう。
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出雲大社遥拝所。この先に出雲大社があります。
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境内社の「旅伏社(たぶし)」島根半島に旅伏山という山があります。そこと関係があるのでしょうか?
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「和田津見社」 わだつみだから海の神様なのでしょう。この場所は宍道湖が近くにあるので航海の安全を祈ってなのかな?
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 ここ万九千神社は八百万の神々をおもてなしするところです。
ということは妄想すると全国の神様が集まるというのは大国主命とスクナヒコナが全国を回って交易を交わした国々からの人たちをもてなしたということではないでしょうか?
縁結びとは今でいう異業種交流会のようなもの?
年に一度こうやっていろんな部族の族長が集まり新しい交易を始める・・・
そんな平和な催しの名残ではないでしょうかね?
こうして大国主命とスクナヒコナの国造りは成功を納め出雲はますます発展してゆくのです。

しかし、その平和な出雲に激動の時代がやって来ます。
次はいよいよ「国譲り」の話です。
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では!
Posted at 2021/05/06 21:18:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社 | 旅行/地域

プロフィール

「まさかの新型! マフラーやウィングレットがかっこいい!!  見た目あまり変わっていないけど中身は別物なんだろうなぁ」
何シテル?   08/03 10:36
より3です。よろしくお願いします。 SSに乗っていますがサーキットを走るテクはないのでもっぱらスポーツツーリングにいそしんでいます。

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