翌朝5月3日 今日は広島に帰る日です
朝食を食べて
今日はせっかくなので倉敷まで下って
あの美味しいラーメンでも食べて帰ろうと
道路状況をチェックします
なにー!!
山陽道の下り車線で事故が3件も!
まだ8時です
こりゃダメだ
山陽道は渋滞だらけになりそうです
しかし、このまま帰るのはもったいないので
予備で調べておいたとある神社に行こうと思います
その名は「石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)」
津山と岡山の中間の山の中に位置する神社です
まず津山市から県道26号に向かいます
この道
川沿いの快走路です!
車もいないしチョー気持ちいい♪
しかし不幸は突然に・・・
この分岐で右の道路に行かなくてはいけないところを
左側に行ってしまったのでした!
しばらく走るとなんか道がどんどん狭くなって・・・
気づきました 道が違いましたね・・・
ほんと
特にSSはハンドルの切れ角が小さくって一車線の道路でも普通にはぐるっと回れません
何とかUターンして
正解の道へ
この道、「美作やまなみ街道」という道に通じているようで、岡山県のツーリングコースになっています
こんな山奥なのにバイクがたくさん走っていました!
そして山の中をひたすら走って(と言っても30分くらい)
到着です!
朝10:00なのにけっこう車もいて
有名な神社のようです
そうなんです
周りは山だらけ!でも以外に交通量は多い!?
なんででしょう?
新築の鳥居です
氏子さんたちの信仰が深いデスネ
さてこの神社、関西の方ならピンとくると思いますが、奈良の「石上神宮」の「石上」という名前と「布都魂」という祀られているご祭神と名前が同じということで両社は深い関係があります
では さっそくそれを確かめに行きましょう!
鳥居をくぐると・・・
むむっ!
神社は見えないです
もうちょっと上にあるのかな?
看板に「神社第3駐車場」と?
すると第2、第1があることになります
まさか・・・
めっちゃ遠いんじゃないですか!?
上り坂はまだ続きます
妙なところに第二の鳥居が!
おそらく舗装道路ができる前はこのような参道が通っていたのでしょう
花畑・・・
けっこう歩きましたね
やっと第一駐車場へ さて神社は?
ええっ!!
マジか!
この山を登れってか!
これはきつい!
もはや登山です!
途中に年配の参拝客がいらっしゃいましたが、よく登ってこられたなあ!
奉納の石碑がありましたが、その額! かなりの信仰を集めていますね!
息も絶え絶えでやっと手水舎にたどり着きました
お約束のロリ少女
花手水ですね!
始めて見ました
ちょっと花が少ないですが・・・
あともう少しです
ふー
やっと着きました!
小さな社ですが、手入れが行き届いています
この神社は名前の通り
「スサノウノミコト」が八岐大蛇を退治したときに使った「十束の剣」が納められた神社です。主祭神は「素戔嗚尊(スサノウノミコト)」です
由緒書きにも同様の記述がありましたがWikipediaにこんな記事があります
「ヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使った十拳剣(別名「天羽々斬(あめのはばきり)」。“羽々”とは“大蛇”の意味)で、ヤマタノオロチの尾の中にあった草薙剣に当たって刃が欠けたとしている。この剣は石上布都魂神社に祭られ崇神天皇の代に石上神宮に遷された。石上神宮ではこの剣を布都斯魂剣と呼び、本殿内陣に奉安され祭られている。」
まさに由緒正しい神社なのです。
摂社です
本殿は
流れづくり
屋根の近くに彫刻があります
竹ですね 何か意味があるのでしょうか?
ここにきて、また出雲が出てきました
スサノウノミコト⇒八岐大蛇⇒十束の剣⇒石上布都魂神社⇒石上神宮
この流れは何を意味しているのでしょう?
<妄想タイム>
以前のブログ「八岐大蛇伝説」で十束の剣は鉄剣ではないかと推察しています
大陸からスサノウノミコトが五十猛とともに持ってきたのだと
もしかしたら出雲と同じく鉄などを製造していた岡山(吉備国)の技術集団=温羅(うら)に、刃こぼれしてしまった剣を研いで修理してもらおうと交渉しに向かったのかもしれません
温羅は鏡を研磨する技術に長けています
さらに温羅は渡来人だという仮説があります
その途中でオロチを切った汚れた剣を浄化するためにこの神社(元は山の上の巨岩がご神体です)を選んでまずは安置したと思うのです。
津山からこの神社を通る先ほどの「美作やまなみ街道」はおそらく昔の街道
そしてこの道は
刀剣で有名な「備前長船」に通じています
ここからはさらに妄想が進みますが、
石上と言うと奈良の石上神宮が有名で、物部氏の総氏神です
剣は「石上布都魂神社」に長らく安置されたままになっていたものを、物部氏が奈良(大和)に持って行ったんだと思います
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は天照大神(大和朝廷)へ
十束の剣は作られた大陸と同じ場所からやってきた物部氏へ
物部氏は武器を作る技術に長けた集団です
そんな氏族がいきなり大和に発祥するとは考えられません
物部氏の祖先は元々出雲の近く「物部神社」がある地域に大陸からやってきたのだと思います
そして吉備国で鉄鉱石から鉄を作ることをはじめ、さらにその技術を出雲のオロチ族に砂鉄から鉄を取り出す技術(たたら)に発展させた
出雲の発展とともに鉄を全国に広めていきます
しかし飛鳥地方の勢力(まだ大和朝廷になる前ですね)はどうしてもこの鉄を独り占めしたく出雲の国譲りと同時期に出雲の民と物部氏を連れて行ったのでは?
物部氏はこの時、自分たちの国で作られたこの十束の剣をご神体として石上神宮に持って行き祀ったのではないでしょうか?
妄想タイムはやめられませんね
そんな楽しいことを考えていると
そろそろ帰る時間になってきました
こんな山奥に想像を掻き立てる神社があるとは思いませんでした
この御朱印はなんと自動販売機で購入するのです!
あっ
日にちを記入するのを忘れています!
そう!
帰りも中国道で帰ります
山陽道はヤバそうなので
お昼ご飯はどこで食べようか?
中国道のPAと言えば
「真庭PA」の「真庭ラーメン」で決まり!!
このピリ辛の味噌味が最高なんですよ!
中国縦貫道は思った通り車が少なめで
安全に自宅まで帰れました
今回の神社シリーズ
新しい妄想が膨らんで
楽しい旅になりました
では!
Posted at 2023/05/06 12:13:31 | |
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