着せ替え人形「リカちゃん」の誕生から50年がたった。ミニスカートやスチュワーデス風など流行を取り入れた華麗なファッションで、女の子のハートを捕らえてきたリカちゃんもすでに4代目。私も幼い頃、リカちゃんのファンだった1人で、初めて手にしたときの感動は今でも鮮明に覚えている。誕生50周年記念の展覧会が22日、福岡市で始まるのを前に、リカちゃんが歩んできた“人生”をたどってみた。
⇒【画像】初代リカちゃん 当時流行したミリタリールックで登場
20年前、6歳の私は念願のリカちゃんを買ってもらった。姉からの借り物ではなく、私だけのリカちゃん。お菓子の空き箱でベッドを作り、空想の世界に浸った。リカちゃんは、私の大切な友達となった。
リカちゃんは1967年、玩具メーカー「タカラ」(現タカラトミー)から発売。「外国産の大柄な人形が主流だった時代で、日本人向けの小ぶりな人形を作り、すぐに人気となった」(同社)という。販売累計(2017年3月時点)は約6千万体。50年で年間平均120万体、1日平均約3300体が売れたことになる。時代の流行に合わせ、手足を長くしたり、顔を小さくしたりするなどスタイルを微妙に変えてきた。
4代目になっても服装など変化を重ねており、人気は今も健在。「17年もすべての玩具の中で売り上げは上位。常に市場をけん引している」(日本玩具協会)という。
「リカちゃん」実はしょう油屋で誕生していた 発売50年、愛され続けるワケ
2代目リカちゃん(72―81) 78年、成田空港が開港。スチュワーデスが女の子の憧れの職業だった。
しょうゆ屋で誕生
取材中、気になるリカちゃんの出生の秘密を耳にした。「リカちゃんは、千葉県のしょうゆ屋さんで生まれたらしい」。半信半疑で調べてみると…。「その通りです」。同県の食品メーカー「タイヘイ」総務部、河野利之さんがあっさりと認めた。
リカちゃんが発売される前、同社の前身「太平醤油(しょうゆ)」に、タカラ(当時)から「日本の女の子のための人形を作りたい」という依頼があったという。「詳しい経緯は不明」(河野さん)だが、太平醤油は依頼を受け玩具部を新設。近所の主婦を急きょかき集め、髪の植毛、目や口元の彩色など1カ月ほど練習し、生産を始めたという。しょうゆ屋さんとリカちゃん。意外な組み合わせだが発売から2年後、タカラに生産工場ができるまで、太平醤油での生産は続いた。
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2018/02/21 15:56:24