※今回は車ネタではありません。
だいぶ間が空いてしまったが...ようやく復調した。
8月半ばのツーリングに参加された皆様へ
勿論、本来ならばツーリングに参加するつもりでいたのですが、諸般の事情から参加出来なくなったこと、お詫び致します。
ツーリングへの参加見送りは断腸の思いでしたが、その「諸般の事情」について、今日はこの場を借りて説明できれば、と思います。
結論から言うと、7月末にドクターストップならぬ、会社の産業医からの、「産業医ストップ」がかかった。
期間は、丸々8月いっぱい。
僕が2月に転職したことは、以前にここでも触れた。
まず試用期間内の3か月間は、わき目も振らずといったスタンスで、これまでに経験してきたことを目一杯現職で生かすつもりで、自分なりにではあるが仕事に勤しんできた。

(オフィス:写真はイメージです)
そして試用期間が終わり、さぁここから更に加速、するはずだった。
だが、エンジンがかかりきらない。ギアが上がらない。何か変だなと感じたのは5月の10連休後、少し経過してから。
比較的忙しい部署なのと、連休明けで疲れてきただけだろう、そう思っていた。休日は、外出したり、みんカラでブログを書いたり洗車をしたりと、リフレッシュできていた(つもりだった)ので、尚更だ。
しかし、リフレッシュしたはずが、仕事でのパフォーマンスは上がらないまま。
これはさすがに少しおかしいと思い始め、当時の状況を含め、人事に話した(当社は、中途入社の社員も多く、中途社員が入社してから半年間、定期的に人事が面談し社員をケアするということがルールになっている)。
すると、一度産業医兼カウンセラーとも話してみることを勧められ、そこでいろいろ話してみて、理由が分かってきた。これが、5月半ばの話だ。

(産業医との面談:イメージ)
これまで僕は、新卒から、立場や会社、役職などを変えながらも企画系の仕事に一貫して関わってきていた。
少し説明を申し上げると、企画系の仕事の仕方はおよそ、下記の2つのパターンに分かれる。
1.極力自社内で完結
企画の段階から最後の(少しそれっぽい言い方をするなら、上流工程から下流工程まで)できるところまでを、自社内で極力完結させる方法。
メリットとしては、時間やコストを最小限に留められること、また社内に優秀な担当者や責任者がいる場合は良いのだが、そうでない場合は外部からの客観的な意見が入りにくいため、出来上がりが自己満足なものになるリスクも孕む。
またこの場合、広告代理店などの外部の人間は広告を掲載する枠を広告出稿主の代わりに買う(媒体枠のバイイング、等と表現する)、広告の掲載先になる媒体社(出版社やテレビ局などの)や広告主に代わり内容を最終チェックし、広告の原稿を媒体社に提出する(広告「原稿」を「入れる」ため「入稿する」等と言う:出版業界などでは多用される表現だ)など、あくまでも「作業屋」的な扱いになるので、存在意義を今一つ発揮しづらい。
2.外部関係者と一緒に作り上げる
企画の初期段階から外部関係者(広告代理店やコンサルなど:それっぽい言い方をするなら、ベンダーなどという)に入ってもらい、二人三脚で施策を作り上げる方法。
メリットとしては、外部の意見が入ったり、自社或いはそれぞれの担当者が不得手な部分をうまく補いあえたり、いっそのこと得意な人に任せてしまえ、といったことも出来る分、独り善がりな完成物が出来上がることは少ない。
が、その反面、人手が増える分時間と手間=コストはかなり掛かり、作業時間が延びれば延びる程、それは膨大になる。(なお、1.でもこれは同じだが、外部関係者が企画も含め様々な局面でかかわる場合、依頼主との間には予め秘密保持契約など、守秘義務を命じる契約を必ず締結させられるため、重要な情報が外に漏れることは基本的にはない。逆に、漏洩が起こると損害賠償請求など、重大なことが起こる)
僕がこれまでに経験してきたのは、後者のやり方がほぼ全てだった。
反面、現職ではほぼ全てのケースで、前者のやり方で仕事を進める。
たかがやり方が違うだけでしょ、と思われた方もいらっしゃるかも知れないが、上記の内容をご覧いただくと、両者にはかなりの違いがあるとご理解いただけるのではないか。
少なくとも僕は、両者はかなり違うと認識している。
勿論、企画業務の担当者としては、両方のやり方に対応できるのが望ましい。というか本来ならば、前者の仕事のやり方をマスターしていることが望ましく、またこれができると、キャリアという観点でもかなり武器になる。
なので、ここで会社のやり方というかマーケ担当者が一般的に行う方法に自分も慣れられたら、スキルの幅は確実に広がる。そう思い、業務に取り組んでみた。
だが、違和感と戸惑いはほとんど拭えなかったのだ。

(写真はイメージです)
以上のような話を産業医にしてみたところ、「『何か変だな』と感じた原因はそれです」と言われた。
まず慣れるように努力してみて、とか、ガス欠になりかけてるからうまくリフレッシュして、というものも含めて先生からアドバイスいただき、その後もひとまず仕事を続けていた。
が、ひと月、またひと月と経つに連れて(その間も人事とは定期的に面談をしていた)、チーム内のメンバーや後輩からも「ダ・ヴィンチさん、大丈夫ですか?」「ダ・ヴィンチさん、少し様子変ですよ?」と社内で言われることが度々発生し、遂には尊敬している上司からも心配される始末。
自分ではいつもと変わらず、元気なはずなのに。
ただ、些細なミスは増えた気もする。
これはどうしたものかと自分で思い始め、産業医に再び会うことにした。7月の末のことだ。
そのときに、こう言われたのだ。
「ダ・ヴィンチさん、一回休みましょう、お仕事。率直に言うと、このままだと危ないです。」
正直、ショックだった。
これまでにも大変なことはあったし修羅場もそれなりに潜ってきたつもりだか、そういうときでさえも「休まなければいけない」という状況にはならなかったからだ。
その知らせはすぐさま上司にも伝わり、休職となる。その伝達を聞いたのは、7月の、最終営業日のことだ。
そうして仕事から離れ(半ば無理矢理離され)、仕事のことは極力考えないようにしながら過ごすことに。
休職となった当初はどうしても「焦り」や、趣味的なものも含めた「やる気」が喪失するような症状もあった。
また、5月に体調を悪化させた叔父が更に体調を悪化させお見舞いに行かざるを得なくなるなど(これが8月10日のことです)、なかなか大変だった。
だが、8月もお盆を過ぎたあたりから落ち着きを取り戻し、僕自身も元気にもなってきた(ちなみに、叔父も元気になった。)。
そうして休養後3週間程が経った先日、産業医との面談で、
「だいぶ元気になられた印象ですね。ただ、ダ・ヴィンチさんの休職前のお話からは、やや適応障害(※適応障害はあくまでも「障害」であり病ではないため、うつではない。但し、適応障害になる要素や原因を除去或いは克服することが困難だと、その後うつ病になるというケースはある)に近いものがあることが分かったので、今後少しの間は無理は禁物なのと、部署を変わるということも含め、環境を変えることも視野には入れていただきつつ、9月から復職していただいて結構です。人事にもそうするよう、私から伝えます」
との許可が降りた。
ひとまず、9月からの復職が決まった。
正直この1か月、長かった。
が、精神衛生面を良い状態に保つことが大事だということを学んだ。
また、自分では元気なつもりでも周りから見たら「あれ?」というようなことは往々にして起こり得る話で、そういうときは自分の感性を含めて自分自身を疑ってみることが必要だということを、あらためて感じたのだった。
また、僕が今回遭遇したこのようなことは、誰の身にも起こり得る、ということも知っていただければ良いのでは、と思う。月並みな言い方だが。
いろいろなことが起こってもそこそこ適当にやり過ごせて、そこそこタフだ、と自分で思っていた僕ですら、こうなったのだから。